第8話 深海の魔女
全ての講義が終わり、時刻は深夜を回っている。
寮でほぼ全員が寝静まっているなか、オレは学園に併設されている図書館に来ていた。
左手には複数のサンドイッチが入ったバスケット、右には周囲を照らすランタンを持っている。
この時間に図書館を訪れる者はいない。
図書館には閉館時間があるので、当然と言えば当然だが。
こんな時間にここを訪れたのは、図書館そのものに用があるのではなく、この場所に入り浸っている人物に用があるのだ。
この図書館は王国建国以前の書物まで管理しているため、物の価値が理解出来る人間には宝の山である。
そのため、建物全体に最高の盗難防止魔術がかけられており、用意に中には入れない。
──しかし。
わずかに扉が開けられており、気配で一人、誰かがいることがわかった。
よかった、今日は外れということはなさそうだ。
学園に籍を置く非常勤講師の一人だけが、図書館の自由な出入りを許可されている。
扉を開けてすぐ、テーブルを照らす光が灯っている。
オレが持つランタンのようなオイルを燃焼した光ではなく、光で構成された珠がふよふよと漂っていた。
《ライトアップ》という魔術である。
テーブルの上には目算して百冊以上あり、崩れれば体が本の海に沈むことになるであろう。
オレの心配なんて露知らず、一人の女性が一心不乱にページを捲っていた。
「オリビアさん。お裾分けです」
「……? おお、カナタ氏ではないか。これはこれはかたじけない」
「何ですか、その話し方は? また、何かに影響されたんですか?」
「これは実に面白いでござる。『くの一、花散る』は大変な一品ですぞ。カナタ氏にはまだ早いでござるが」
「はあ、そうですか?」
オリビア・シーサイド。
元伯爵家令嬢で、とある理由により身分を剥奪されたが、これまたとある理由で王家から再び身分を与えられたりと忙しい人生を送っている人だ。
あまり手入れされていない黒髪を切らずに伸ばし放題で放置し、わずかに前髪からのぞく黒い瞳と光の珠が相まって一種のホラーである。
「卵〜ハムーレタス〜ベーコン」
不思議な曲調で歌いながら食べるオリビア。
バスケット一杯にあったはずのサンドイッチは、ものの五分で彼女の胃袋の中へ消えていった。
「さすがはカナタ氏の妹君。とってもおいしかったです。かたじけない、かたじけない」
「それはよかったです」
オレがサンドイッチを持ってきたのは、善意ではない。
もちろんないわけではないが、これは言わば前金を支払ったのだ。
「今日は何が聞きたいのですか? この前は、フレッド氏のことでしたが。カナタ氏のご主人様の下着の色なら、カナタ氏が一番知っているはずですが」
「そんなどうでもいいことを聞きにきたわけではありません。……聞きたいことは大別して三つです。デッカー様とメイドのノーラさん、それとデッカー様とドリルヘ──アンジェラの間におこなわれたお見合いの全てを」
オリビアはあらゆる情報を好む。
過去の遺物に描かれた壁画から、街の奥様が井戸端会議で話すような噂話まで。
好きがこうじてあらゆる情報を得られるように、国内外に情報網を広げている。
その情報力は侮れず、国の諜報員が頼りにするほどだ。
ついた二つ名は、『深海の魔女』。
驚異的な情報収集能力に加え、水系魔術だけならば王国随一の力を持つ。
他国から恐れられる第Ⅰ級魔術師だ。
オリビアにオレやクリスティーナが疑問に思った事の経緯を話した。
「フレッド氏が婚約しない理由……? うーん、噂程度なら知っていますぞ」
「本当ですか? それは、どんなもので?」
「懸想している女人がいるとか」
懸想……つまり、好きな人がいる?
「それなら、好きな人と結ばれればいいんじゃ……」
「詳細までは存じませんぞ。フレッド氏の家格に釣り合わなかった人間なのか、あるいはすでに故人なのか……あるいはその両方か。追加で調べるでござるか?」
「お願いします」
「今度はクリームシチューを所望しますぞ」
「麗しい我が義妹に頼みます」
しかし、好きな人か。
それなら、婚約していない理由に説明がつく。
ノーラはこの見合いに意欲的だが、知ってるのか?
今度会った時にカマでもかけてみるか。
「あの、これはクリスティーナ様の考え過ぎだと思うのですが、デッカー様に悪い噂などはございませんか? 例えば……そう、女性を捕まえて国外に売り飛ばすとか」
ないだろうなと思いながら、一応、情報のエキスパートであるオリビアに聞いてみる。
眠たげな目を目一杯広げ、クスリと小さく笑った。
「フレッド氏は不正を嫌う潔癖な人格でござる。そのせいで、脛に傷を持つ、貴族連中から嫌われているぐらいですぞ。そんな人物でなければ、ラスト家が『王国の至宝』のお見合い相手に選びませんぞ」
「ですよねー。……ちなみに、男色家の可能性は?」
「男色家……で、ござるか?」
オレの目をジッと見つめるオリビアは何を思ったのか、ノートを広げ始めた。
「大きな地位にいる貴族と平民の執事……。どちらを攻めにすべきか? これは次回の新作の良いネタになるでござる」
何故かは本当にわからないが、尻のあたりがやけに冷たくなったように感じる。
オレの頭のなかで警報がガンガン鳴り響いた。
と、とりあえず、話を逸らそう。
「オリビアさん。ノーラさんについてですが」
「えっと……ノーラについてでござるか? フレッド氏はクリスティーナ嬢と関係があるからわかるでござるが、まさか……ノーラが好みの女性だとか」
「何でそうなるんですか。違いますよ」
「ノーラについては、ノーラ以上に知ってるでござる。私と彼女は同級生だったのですぞ」
「えっ、そうなんですか?」
クリスティーナは社交界デビュー時に、オリビアは同級生とは。
世間は狭いと言うが、本当のようだ。
「スリーサイズは──」
「それはいいです。彼女の戦闘方法だったり、好きなものとか何でも」
「そうでござるか。昔は、この情報を男子生徒に売り捌いてずいぶんと儲けたのに、カナタ氏は欲がないでござるな」
ひ、ひでえ。
同じ女性がやることだろうか?
この女性がノーラの情報だけ売っていたとは考えづらい。
伯爵家の身分を剥奪された理由の一つだったりしてな。
「彼女の武器は、鞭と風魔術を組み合わせて中遠距離で戦うタイプでござる。模擬戦で剣士を相手にした戦績は勝率100%。あれから年月が経っているでござるから、より強くなっているでしょうな」
……オレと相性最悪だな。
戦うなら、後ろから奇襲して不意打ちするのを鉄則にしよう。
まあ、本当に戦うような事態になるとは思えないけどな。
「最後の情報は、紙に纏めてもらっていいですか? ウチのお嬢様が見たがっているので」
「お安い御用でござるよ」
用が終わり、帰宅しようと踵を返そうとした時、テーブルの上にあった一冊の本が目に止まった。
「これは?」
「それはフレッド氏が書いた本でござる」
「あの人、本まで書いてるのか」
「それはもう読み終わってるから、貸してあげるでござるよ」
「いや、これ……背表紙に図書館のマークが貼ってありますよ? 私物化し過ぎでは?」
「ふふーん。カナタ氏も私の仲間になるでござる」
嫌でござる。
それはさておき、この本を借りるかどうか迷う。
アホな決闘やお見合いの件もあるし、読む時間が限られてくる。
……少しだけ考えて、借りることにした。
クリスティーナと婚約すれば、オレはお役御免になり、クビになりかねない。
フレッドに全力で媚を売り、引き続きクリスティーナの執事になれるように気に入られたい。
この本から、フレッドの思考に少しでも触れてどういう考えを持つ人間なのか知っておくとしよう。
せめて、クリスティーナの十分の一だけでも理解して会話出来るようにしなければ。
本のタイトルは──『魂はどこにあるのか?』
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