エルフの魔法商人
北元あきの
第1話 魔法商人とハーフエルフちゃん
1.鉄と火薬と魔法
この世界から争いが絶えないことを憂いた神は、罰として人々から魔法の力を取りあげて、数多の図書にして天まで届く巨大な塔に封印することにしたという。
だが。
神は愚かだ。
そんなことで、争いはなくならない。
世界はこんなにも鉄と火薬に満ちている。
世界はこんなにも血と暴力に満ちている。
「神サマだかなんだかは、人に期待しすぎだわ」
吐息まじりに、ささやくように、彼女は言った。
空と大地の境界線が、オレンジ色に染まっている。
太陽が沈み、世界に夜が訪れるまでのわずかな時間。
晴天はすでに黒く染まり、そのくせ太陽の残光はまだ主張をやめていなかった。
「明日になったら、また昇るでしょうに」
今日が最期だと言わんばかりに、消えることをやめない太陽の光が滑稽に思えた。
もうすぐ、夜の帳がおりる。
淡く冷たい月の光だけが、世界を照らす。
彼女は月のほうが好きだった。
自ら光り輝く太陽よりも。
「〈魔法図書塔〉か」
彼女の瞳には、はるか彼方にそびえ立つ巨大な黒い影が映っている。
まるで不吉な墓標のようだった。
魔法が図書として封印されたという塔は、本当にある。
およそ人間の力ではつくることのできない、巨大で不可解な構造をした建造物。
世界のどこからでも見える――実際にはそうでもないが――と言われるその塔は、いまは沈みゆく太陽の残光にその威容を照らされている。
深く息を吸い込んだ。
冷たい空気が身体を満たし、濃すぎるくらいの緑の匂いがする。
ザッ――
手にしていた無線機から耳障りなノイズがした。
『車列がそろそろ見えてくる頃合いだ。出番だぜ、イオ』
雑音まじりに低い男の声が響く。
イオと呼ばれた少女は、
「了解です」
と、だけ答えた。
化粧気のない地味な顔立ちに、短くカットしたくすんだブロンド、濁った碧眼。
街を歩けば、似たような少女はいくらでも見つけられそうだ。
特徴と言える特徴は、中途半端に長い尖った耳。
イオはその耳を無自覚にひこひこさせながら、太陽の残光が地平線の彼方へと消えていく様子を眺めていた。
身にまとっているのは夜戦用の黒い戦闘服とタクティカルベスト。
使い込んだ自動小銃を抱えるようにして、彼女は樹齢数百年はあろうかという巨木の枝に腰を落としていた。
地上から数十メートル。
周囲は永遠に広がっているのではないかと思える森林地帯だった。
鬱蒼と巨木が生い茂り、天然の迷宮となって外敵の立ち入りを拒む〈森の精霊人〉――エルフ人たちの森。
1000年続く誇り高き彼らの国家――オーベイロン王国の領土。
だが、それはもう昔話だ。
エルフ人たちの王国は〈魔法図書塔〉の管理権限を巡る七度の紛争によって、何度も国土を蹂躙されたし、何度も他の国を蹂躙した。
殺したり、殺されたりした。
略奪したり、略奪されたりした。
強姦したり、強姦されたりした。
(そして私が生まれたというわけ)
ゆっくりと立ちあがり、イオは胸中で自嘲した。
彼女はハーフエルフだった。
純血のエルフ人たちに言わせれば、雑種ということになる。
それも、戦争の最中に敵国の兵士に強姦された女から生まれた戦争雑種だ。
もっとも、このご時世にそんな出自をもつ者は珍しくはない。
不幸自慢をするには、いささか陳腐というものだ。
「さて」
仕事に集中しなければ。
イオは眼下を睥睨する。
エルフ人の王国を守ってきた森をどこまでも切断するかのように、幅広の道が延々と続いていた。
森林を伐採して簡易的に整備した悪路だが、輸送用のコンテナ車がすれ違えるほどの道幅がある。
戦時中、前線へとエルフ人の兵隊や物資を運ぶために使用された輸送路。
平時となったいまは整備された物流網に取って代わられ、ほとんど使われていない。
真っ直ぐ伸びる道に、連なるヘッドライトの光が見えた。
輸送トラックの車列だろう。
イオは暗視機能がついた双眼鏡を覗き込んだ。
連なるコンテナ車。
先頭を走るのは、護衛に雇われた民間警備会社の警備員――といっても、実戦経験のある兵隊あがりだ――が乗車している四輪駆動車。
「情報と違う」
彼女の仕事は先頭を走る護衛の車両を潰して、輸送車の隊列を足止めすることだった。
聞いていた話では警備員が乗車している車両は一台のはずだったが。
双眼鏡を覗き込んだイオの目には、先頭を走る二台の車両が見て取れた。
「先頭に二台ついています」
無線機に呼びかける。
彼女の声音はいたって冷静で、冷えた鉄のようだった。
『こっちで確認したときには先頭は一台だった。用心深い連中だな』
途中でどこからか合流して数を増やしたのか。
確かに用心深いし、慎重な連中だ。
もしくは情報がもれている。
『とはいえ、だ。やれるよな、イオ?』
「はい、もちろん」
『はっはっ、頼もしいじゃねえかよ。借金してまでお前を買って正解だった』
無線機の向こうで、彼女の主人は芝居がかった口調で喜んでいた。
主人がやれというのなら、答えは肯定しかない。
彼女は商品としてそう躾けられてきたし、優秀な飼い犬というのはそういうものだ。
『じゃあ、よろしくやってくれ』
交信が終わる。
イオは無線機を野戦服にねじ込むと、躊躇なく枝から一歩を踏み出した。
落ちていく。
重力に身を任せて。
地上までの数秒――彼女は身体を丸くして幾重にも重なった木々の葉に突っ込み、うまく枝につかまって勢いを殺し、まるで猫のようにして音もなく地上に降り立った。
四輪駆動車のヘッドライトに照らされて、ハーフエルフの姿が闇に浮かびあがる。
イオは着地と同時に、タクティカルベストのポーチから一冊の本を取り出した。
厳重に帯封がされた文庫本。
「……」
気の利いた言葉などなしに、彼女は帯封を切った。
文庫本を開く。
この世界の誰もが理解できない文字が並んでいる。
学者たちに言わせれば〈世界干渉言語〉――ワーズワースというらしいが、イオにとってはどうでもいいことだった。
彼女にとって唯一重要なことは。
この文庫本――魔法図書の複製本――が。
完全防弾仕様の四輪駆動車を。
吹き飛ばすことができるということだけだ!
文庫本のページが風もないのに盛大に捲れていく。
記されている文字が水に濡れたかのように滲み、浮きあがり、消える。
すべてのページが白紙になる。
イオは用済みになった文庫本を投げ捨て、右手を高らかに掲げた。
瞬間。
煌々と燃え盛る炎の槍が、彼女の右手に握られるようにして出現する。
一回使い捨ての魔法図書の複製本。
神とやらの罰に対して、人々は反省などしなかった。
魔法図書の利権を狙って国家が、企業が、あるいは一攫千金目的の命知らずどもが、こぞって〈魔法図書塔〉の攻略に挑んだ。
その大半はなんの成果もないままに、ただ死んだ。
豚のように。
だが、奇跡的に魔法が封印された魔法図書の回収に成功した連中もいる。
魔法図書の原本は複製され、瞬く間に世界中に広まり、莫大な利益を生み――鉄と火薬と同じ暴力のひとつとしてよみがえったのだ。
「まったく」
イオは左足を大きく踏み込むなり、右腕をしならせて炎の槍を投擲した。
それはオレンジ色の軌跡を残し、一直線に車列の先頭を進む四輪駆動車に向かい――
爆発。
盛大な爆炎が噴きあがり、黒焦げになった四輪駆動車が派手に吹き飛んだ。
熱風が森の木々を揺らし、空気を焦がす。
イオは髪と肌が炙られる感覚に、小さく嘆息した。
「本当に」
コンテナ車が急ブレーキをかける耳障りな音が何重にも響く。
魔法による爆炎を避けようとして、反射的にハンドルを切ったらしい一台が大きく傾く様が見えた。
ゆっくりとバランスを崩し、牽引するコンテナごと木々を薙ぎ倒しながら横転する。
わずかな地響き。
舞いあがる土煙。
空回りする牽引車の大きな車輪。
後続のコンテナ車も次々と急ブレーキをかけ、車列は止まった。
「神サマは愚かね」
イオはスリングベルトで固定していた自動小銃を引き寄せ、大地を強く蹴った。
四輪駆動車の二台目は生きているはずだ。
案の定――爆発の影響でひっくり返った車体のドアが勢いよく蹴破られ、イオと同じような姿の男たちが転がり出てきた。
(三人か)
運転していた男は気絶しているのか、死んだのだろう。
イオは足を止めることなく自動小銃を構え、三人を左から撫で斬るように発砲した。
フルオート射撃。
瞬く銃火。
重なる銃声。
熱くなった空薬莢が、零れるようにして落ちていく。
仕留めるためではない、牽制だ。
それでも一発が目出し帽をかぶっている男の頭を吹き飛ばした。
ぱっと血煙が舞い、そのまま崩れ落ちる。
「――っ! ――っ!?」
「っ!? ――!!」
生き残った二人の男たちが、声を荒げて車体の陰に身を隠した。
混乱して言葉になっておらず、なにを言っているのかまでは聞き取れない。
反撃がくる。
自動小銃の銃口だけを車体から覗かせて、弾丸をばら撒いてくる。
イオはそれに臆することなく突進した。
空になった弾倉を交換し、すかさず撃ち返した。
防弾仕様の車体がすべての弾丸を意味のないものにし、甲高い跳弾の悲鳴と無数の火花だけを残していく。
「ちっ……!」
イオは軽く舌打ちして、そのまま敵が隠れている四輪駆動車に向けて滑り込んだ。
ひっくり返った車を挟んで、顔を突き合わせているような状況だ。
だが、数は二対一。
と、なれば相手が取ってくる行動はひとつだ。
当然、挟み込む。
この状況。
自分なら上を取るな、と彼女は思った。
思った瞬間、もう身体が動いていた。
躊躇なく身を起こすなり、ひっくり返っている四輪駆動車に飛び乗る。
「おおっ!?」
鉢合わせした男が悲鳴じみた声をあげた。
咄嗟に自動小銃の銃口がこちらに向けられ、イオはそれを蹴りあげる。
がら空きになった腹部に、容赦なく弾丸を撃ち込んだ。
男が地面に転がり落ちる。
側面から身を屈めて回り込んでいたもう一人は、ぎょっとした表情でこちらを見あげていた。
それはほんの一瞬のことだったのだが、致命的な時間だった。
イオはその男に向かって飛び降りるなり、自動小銃のストックで力任せに顔面を殴打した。
鈍い打撃音。
男がもんどり打って倒れる。
続け様に滑らかな動きで自動小銃を構え直し、三発だけ撃ち込んだ。
小気味いい銃声が響き、あとは静寂だけが残る。
足元に広がる血溜まりを気にした様子もなく、イオは無線機を取り出して報告をした。
そのまま横転したコンテナ車に向かっていく。
運転手はとっくの昔に逃げ出してしまったようだった。
コンテナは横転した衝撃で歪んでおり、ロックが外れて積荷の一部が見えていた。
りんごを入れるような木箱だ。
イオは木箱のひとつを引っ張り出すと、鉄骨の入った編み上げブーツで蹴り飛ばした。
乾いた音を立てて木箱が壊れ、中身がぶち撒けられる。
厳重に帯封がされた文庫本だった。
魔法図書の複製本。
停車しているコンテナ車すべてに、同じものが積み込まれているはずだ。
「この世界は――」
イオは複製本の一冊を手に取り、嘆息をもらした。
「鉄と火薬と魔法、血と暴力に満ちている。うんざりするほどにね」
無線機が再び彼女を呼んでいる。
さて、次の仕事を始めよう。
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