第5話 ヘイYO! ばぶばぶバブブ! チェケラ!


 ──チュンチュンチュンチュンチュン。


「……ハゥッ!」


 目が覚めると、ふたつのましゅまろに顔がうずまっていた。


 寝汗をバッチリ帯びたパジャマ越しのましゅまろは風味豊かで味わい深く、昨日の体操着とはまた違う安らぎを演出していた。


 芳醇ほうじゅんでクリーミーな香りが、僕の鼻をくすぐる。


 雨雲が過ぎ去った翌朝を飾るのに相応しい、最高金賞のましゅまろが此処には在った。


 ──チュンチュンチュンチュンチュン。


 そして何故か、普段はまったくさえずらない小鳥たちが、これみよがしに囀っている。


 ──チュンチュンチュンチュンチュン。


 そうか。小鳥さん、そういうことなんだね?


 僕は昨日、あのまま──。


 あのママ…………。



 ──チュンチュンチュンチュンチュン。



 止まない雨が止んだ喜びから、勢いよく陽葵ひなたをベッドに押し倒してしまって……。


 ましゅまろに、顔をうずめてしまって……。


 そんな僕を受け入れるように、陽葵は……。


 …………………………。


 ………………。


 うん。僕の頭を「よちよち」って撫で続けてくれたんだ。


 そして気づいたら朝になっていて、小鳥さんたちがさえずっている。


 ──チュンチュンチュンチュンチュン。


 ……う、うん。


 つまりは要約すると。


 『妹と同じベッドで一晩を明かし、朝起きたら小鳥さんたちが囀っている』


 あ、あれぇ……。これじゃあまるで、朝チュン……。


 僕はただ、ましゅまろを枕にして眠っていただけだ! それ以上のことはなかった……はず。


 ──チュンチュンチュンチュンチュン。


 小鳥の囀りが僕に問いかける。


 〝本当にそうだったの〜?〟


 ほ、本当にそうだったよ?!


 ──チュンチュンチュンチュンチュン。


 されども小鳥さんたちは元気よくさえずり続ける。


 ──チュンチュンチュンチュンチュン。


 そして今もなお、クリーミーで芳醇なパジャマしゅマろに顔がうずまる僕は、事の重大さを悟る──。


 ……あかん。


 ましゅまろを枕にして寝ていた

 ってなんだ! もうそれ事案発生しているだろ! 小鳥さんだって囀ってしまうだろうて!


 ……ああ。昨日の僕はどうかしていた。


 こんなの妹と至っていい行為じゃない……。 


 でも、今なら──。


 今なら、まだ──。


 たった一度の過ちなら、まだ──。


 何事もなかったかのように純然たる兄としての振る舞いをすれば、今までと変わらずに、仲睦まじい兄妹で居られるのではないだろうか。


 答えはYESだ!


 泣きたい夜もたまにはあるさ。枕を濡らす、そんな日もあるさ! yeah!

 

 よしこれだ。こんな空気を全面にかもし出して! 僕はお兄ちゃんを実行すればいい!


 しかしここで──。

 ぎゅーっとましゅまろに顔が押しつぶされてしまう。


「おはよ。お兄ちゃん♡」

 

 ひっ、陽葵……。大丈夫。僕はお兄ちゃんだ。なによりまだ、僕をお兄ちゃんと呼んでくれている!


 さぁ。お兄ちゃんを開始しようか!


「……お、おっ、おはよ陽葵。い、いいいい朝だね……」


 ──チュンチュンチュンチュンチュン。


 ちょ、ちょっと小鳥さん! 今は自重して!!


「うん♡ とっても幸せな朝だね♡ 目が覚めたらお兄ちゃんがすぐ隣に居る。ぎゅーってしないわけにいかないよね! ほら、ぎゅぅ♡」


 うっ……。陽葵は完全に昨晩のノリが継続している。


 でもだからって、呑まれるわけにはいかない!


 さぁ、気を取り直して始めようか。お兄ちゃんの時間を!


「ば、ばばばかなこと! い、言ってないで、が、がっがっこにいく支度………しなきゃ! ちちち、遅刻しちゃう…………ぞ!」


「んん〜? どしたの? すごいおどけてるじゃん……。もしかしてまだ怖い怖いなの? もう大丈夫だよ? 陽葵がずっと側に居るから♡ ほーら怖くない怖くなーい。いいこいいこ♡ よちよち♡」


 あうっ──。頭を撫でられた瞬間、全身に電気がほとばしる。


 頭なでなでとましゅまろのサンドイッチ。


 上下左右を包み込む、全方位・安らぎホールド。


 すべてが許され天へと誘(いざな)われてしまうような、昨晩の幸せな気持ちがフラッシュバック!


 気づいたときには──。


「……もっと。陽葵……もっと撫でて」


 おねだりをしていた。


 …………………………………。



 あっ……。これ、だめなやつだよ!


 感情を抑えないと!! 僕、戻ってこれなくなるよ!!


 はやく! はやくお兄ちゃんを再開しないと!!


「よちよち。泣き虫さんの次は甘えん坊さんになっちゃったんだね♡ いーよ♡ 陽葵がぜーんぶ受け止めてあげる♡」


「うっ……。ま、待って! ひ、陽葵……。だ、だめ。ちょっ、あっ!」

「ほらほら、ぎゅー♡ 怖くない怖くなーい。ぎゅぅぅー♡ お兄ちゃんはなぁんにも悪くない。いいこいいこ。ぎゅー♡」

「ひ、陽葵ぁぁぁ。……うぅ…………陽葵ぁぁぁ…………あああぁあ」


 ………………………………。


 ………………………………。


 チェケラ!


「……もっと。……もっと撫でて……」

「うん♡ 学校行くまで時間あるから、ぎゅーってしてよちよちしてあげる♡」


 あぁ。なんで僕は……。重ねておねだりをしているんだ。ほかでもない妹に……。兄としてあるまじき行いだ。


 でもまだだ。今ならまだ、戻ってこれる!


 お兄ちゃんを再開する!


 ………………………………。


 ………………………………。


 チェケラ!


「もっと。もっとだ陽葵! もっともっとたくさん撫でてくれなきゃ、いやなんだぞ! 僕、頭撫でられるの大好きになっちゃったんだから!」


 だ、だめだ。どうしようもなくだめだ、こいつ……。

 頭ではわかっているのに、この口は言うことを聞いてくれない。あまりにも素直過ぎる……。


 誰だよ、この男は……。……僕だよ!!!!


 ……落ち着け。大丈夫だ。まだ間に合う。


 僕はお兄ちゃんだ。お兄ちゃんなんだ。

 この強い気持ちの前では、なんだって乗り越えられる。たとえ芳醇でクリーミーなましゅまろであっても!


 さぁ、お兄ちゃんを始める時間だ!


 イッツショーTIME! チェケラ!


 ──しかしここで、三文字の魔法の言葉が更に僕を包み込む。


「ふふんっ♡ 今日のお兄ちゃんはとっても素直でね! えらいぞ〜! お兄ちゃんはえらい♡ 陽葵にできることならなーんでもしてあげるからね♡ 遠慮せずに言うんだよ? よちよち♡」


 え、偉い……? えらいだって? この僕が……?


 学校にも行かず、ご飯も食べられず、おとさんとおかさんの言うことを聞かないドラ息子の僕が……? 

 陽葵との約束を反故にしてカーテンを開けさせなかったばかりか、ましゅまろを枕にしてスヤァしてしまった倫理観もヘッタクレもないロクデナシの兄である、この僕が……?


 そんな、バカなこと……。


「えらいえらい。お兄ちゃんはえらい! 素直になれたお兄ちゃんはえらいぞ〜! よちよち♡ じゃあどうしよっか? なにしてほしい〜?♡ なーんでもしてあげるよ♡」


 あっ……。ぁぅ……。ぅぅ……。


「うぅ……陽葵ぁ……。それ。それがいい! もっと、もっと褒めて欲しい! それから撫でて……褒めて撫でて褒めて!!!!」

「うん♡ いいよぉ! お兄ちゃんはえらい! よちよちいいこいいこ♡ えらいえらい! えらーい♡ 生きててえらい! ぎゅー♡」



 あ、あれぇ……。なんだろう、これ。


 もしかして、僕……。

 赤ちゃん返りしちゃった……?

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