“いらんことしい”の聖女様

やなぎ怜

“いらんことしい”の聖女様

「おっさんはイイひととかおらへんのか?」

「セシリーちゃん……そんなセクハラオヤジみたいなセリフ、どこで覚えてきたの?」


 呆れ返る“おっさん”――もとい、筆頭神殿騎士という要職に就くバートの言葉に、セシリーはムッとした。


「ちゃうわ! おっさんにイイひとがおるかおらんか気になっただけや! 他意はあらへん!」

「他意はなくてもそういうのはセクハラになるのー」

「ぐむむむむ……」


 セシリーが頬を膨らませて黙り込めば、バートはそんなまろい頬を人差し指でつつく。ぷすっとセシリーの小さな唇から空気が抜ければ、バートは腹を抱えて笑い出しそうな顔になった。そんなバートを見て、セシリーは己の中に湧いた使命感が萎えて行くのを感じた。


 セシリーは聖女である。それもよわい九にして神代以来の力を持つとまで言われる、天才聖女である。


 セシリーは天才なので、ある日気づいた。聖女補佐を務めるアリアが、バートに好意を抱いているということに。


 やたらとバートとふたりきりになりたがったり、セシリーがバートと話していると視線を感じたり、なんだったら直接セシリーにバートのことを聞きにきたりする。だから、セシリーはアリアの気持ちに気づいた。


 けれどもどうやら、バートはアリアの気持ちには気づいていないようなのだ。なんたる朴念仁。セシリーはバートの鈍感ぶりにがっかりした。


 そして、バートにアリアの気持ちをそれとなく伝えてやろうという使命感をにわかに燃やし始めた。


 セシリーが「おっさん」などと言うのだから、バートは結婚適齢期をそろそろ過ぎようかという年齢である。「可愛い奥さんが欲しいなあ」などとボヤくところからして、結婚願望がないわけではないのだろうが、かと言って能動的に妻を探そうとしているわけでもない。困ったおっさんである。


 なのでセシリーは一肌脱いでやろうと思った。


 セシリーにとって、バートは信頼に足る相棒のような存在だ。年の差は大きいし、性別も違うが、阿吽の呼吸には自信があった。そんな相棒のため、そして聖女補佐として働いてくれているアリアのため、セシリーは頑張ろうとした。


「おっさんの好みってどんななん?」

「出るとこ出ててー優しくてーメシが上手くてーオレのことを怒らなくてー」

「本気で言うとる? 高望みしすぎやわ!」

「えー、ひどーい」

「そんな都合のいい女はおらん! おったとしてもおっさんには嫁いでこーへんわ!」

「セシリーちゃんから振ってきた話題なのにい」


 セシリーはバートの妄言――と言うよりほかない――に呆れ返った。


 だが、アリアはどうだろう。九歳のセシリーより出るところは出ているし、優しく聡明ともっぱらの評判だ。神殿の炊き出しの際には率先して調理を担当しているし、いまいちデリカシーに欠けるバートに対しても、アリアはいつもにこにことしている。


「……アリアはどうや?」


 セシリーは率直な言葉でバートに尋ねる。


「えー? アリアちゃん? セシリーちゃんの補佐をしている?」

「せや。アリアはこの前のうちの暗殺未遂事件でも活躍しとったし、頭ええし美人やし優しいからおっさんの理想とちゃうか?」

「あはは。ナイナイ」

「なんでや? アリアはけっこーおっさんのこと気に入っとるんとちゃうか? 暗殺未遂事件のことも、おっさんにまず相談したっちゅー話やないか」

「まあね。おっさんモテモテだからさ!」

「……うっざ……」


 セシリーは半目になって腕をさすった。鳥肌が立っていた。


「セシリーちゃんこそ急にどうしたの?」

「……どうもせんわ。おっさんが独り身なんは可哀そうやと思っただけや」

「セシリーちゃん……そういうの、セシリーちゃんのお里でなんて言うか知ってる?」

「あん?」

「『いらんことしい』だよ」

「は―――――――ん???!!!!」



 ◆◆◆



「おっさんもさ、こんなことはしたくないんだよね。特に君みたいな若くて綺麗な女の子にはさ、優しくしたいわけ。わかってくれる?」


 アリアはバートを見上げて、必死に何度もうなずいた。


「わかってくれた? あはは。ありがとう」


 アリアは胸中で思う。「なんでこんなことになったんだろう」と。


 聖女補佐として神殿にやってきて早半年。アリアには不満などひとつもなかった。否、この世界に転生してからというもの、アリアの人生はバラ色に彩られていた。


『聖女のためのファントムルージュ』……。それは、アリアが前世プレイした乙女ゲームのひとつ。アリアは、何の因果かその世界によく似たこの世に転生を果たした。しかもヒロインのポジションで。それに不満を抱けようはずもなかった。


 特に『聖女のためのファントムルージュ』でアリアが一番大好きなキャラクターは、非攻略対象でサブキャラクターだったのだ。どれだけ画面外で好意を抱いても、ゲームでは攻略できるようにプログラムされていないから、ヒロインと彼とのあいだにはなにも起きない。


 けれども今は違う。これは現実なのだ。彼を――バートを思う気持ちを、アリアは存分にぶつけられる。その事実にアリアは舞い上がった。


 聖女補佐として神殿へ入ったアリアは、そこで出会った筆頭神殿騎士のバートの好感度を稼ぐべく奔走した。


『聖女のためのファントムルージュ』では冒頭で聖女のセシリーが暗殺されてしまう。それによってヒロインであるアリアが臨時の聖女となり、攻略対象たちと共に暗殺事件の陰謀を追う――。


 ゲームではそういうストーリーが展開されるわけだが、今のアリアはその事件の全貌も黒幕もだれなのか知っている状態だ。日ごろから品行方正に振舞っていたおかげもあり、セシリーの暗殺事件を未遂で阻止するのは造作もなかった。


 しかもその事件を阻止する過程でお目当てのバートとも何度も言葉を交わしたし、信頼を得られた。とアリアは勘違いした。


 あとはもっとバートが魅力を感じるような部分をアピールしていけばいい。とアリアは思ったが、それは上手くいかなかった。暗殺未遂事件が解決すると、バートとは再び距離ができてしまったのだ。どうしてなのか、アリアには理解できなかった。


 バートはセシリーの身辺警護を担当しているから当たり前なのだが、常に聖女である彼女と一緒にいる。それは、アリアにとっては歯噛みしたくなるほどうらやましい状況だった。


 だから、つい魔が差してセシリーに言ってしまったのだ。


「セシリー様はバート様のことがお好きなんですか?」

「え? うーん……それはめっちゃ悩ましい質問やわ」

「……悩むということはそんなにお好きではないのでしょうか」

「うーん……?」

「わたしはセシリー様よりバート様のことが好きだと自負しております。ですから――」


 にこにこと、アリアがいつもの笑顔を浮かべてそこまで言えば、セシリーは首をかしげたあと、なにかに気づいたような顔になる。


「え?! アリアはおっさんのことが好きなんか?!」

「僭越ながら……」

「ふ、ふーん……そうなんや……」

「ですから、協力して欲しいのです。いずれわたしも聖女補佐ではなくなります。ですからそのときにバート様に嫁ぎたいと考えているのです」

「ふーん……?」

「セシリー様はなにもしなくてもいいのですよ? ただ、わたしがバート様と今より多く一緒にいられるようにしてくだされば……」

「…………」


 セシリーが特にこちらに対して意見がないらしいとわかると、アリアはついつい調子に乗ってしまった。推しが肉体を持って存在している事実に、アリアは盲目状態になっていた。今思えばずうずうしく、軽率な言葉の数々。しかし一度口から出した言葉は、消えてなくなりはしないのである。


 アリアが、セシリーのことが邪魔だと思ってしまったことも事実だ。セシリーに死んでほしいとまでは思っていなかったものの、セシリーの存在のせいでバートとの仲に進展がないのも事実……だとアリアは思っていたからだ。


「『いらんことしい』って、わかる? ――『余計なこと』って意味だよ」


 だがどうやらすべてはバートに筒抜けで、浅はかなアリアの計画とも言えない計画も、お見通しのようである。


 当然のようにアリアより高い位置から見下ろしてくるバートの瞳は、冷たい。いわゆる壁ドンなどをされていないにもかかわらず、アリアは逃げ場がないと感じた。ヘビに睨まれたカエルとは、こんな気持ちなのかもしれない。


「セシリーちゃんはオレの恩人なんだよね。オレの心を救ってくれた。だから、セシリーちゃんにはこんな窮屈な環境でものびのび生活して欲しいってわけ。わかる? わかるよね? そっか。じゃあオレが言いたいこともわかるよね? うん、そっか。おっさんのこと好きなのはありがたいけど~……おっさんの命はセシリーちゃんに捧げるって決めちゃってるから。――じゃ、今度はもうセシリーちゃんに変なこと耳打ちしないでね?」


 アリアは口をつぐんだまま、何度もこくこくとうなずいた。どこかの郷土人形のような、規則正しい動きで。


 バートはにっこりと笑ったあと、踵を返して去って行った。


 残されたアリアはへなへなとその場に座り込み、己の恋が終わったことを悟った。



 ◆◆◆



「アリア、田舎に帰るだなんて急やなあ。やっぱりいっつも笑顔やったけど、神殿の生活はキツかったんかな?」

「アリアちゃんにはアリアちゃんの事情があるんだよ。案外、好きな人ができちゃったとかかもよ?」

「うーん……?」

「あはは。また『いらんこと』考えてないよね?」

「はーん?! 考えてへんわっ!」

「あはは。それならいいんだけどね」

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