28,中央政府/資料室・午前
所狭しに資料の並ぶ、広大な部屋。
少しの身動きだけで埃の立つようなその場所で唯一日の当たる場所──窓辺の椅子──に座ったメイラが、黄ばんだ紙を横に何やら物を書いていた。
「……何の用ですか」
視線を感じたメイラが、ふと声を上げる。
「あら、気付かれちゃった?」
メイラの背後に現れたのは、ローブのフードを目深に被ったアレグリアだった。
「何の用ですか」
背を向けたままぶっきらぼうに言うメイラを前に、アレグリアは不快そうに眉を寄せる。
「ねえ貴女、遠征前より生意気になってなくて? ああ、成程。あんな虫だらけの土臭い場所で三週間も下等生物と戯れてれば、礼儀の一つや二つ忘れても──……」
「何の用ですか」
「……この、」
頑なに態度を変えないメイラに殺意を抱いたアレグリアだったが、一度大きく息をついてから、彼女はメイラの向かっている机へ紙束を置いた。
「これ、例の対『能力』保持者部隊の構成員よ。人選はこれで確定だと思って頂戴。陛下への謁見は明後日。その間に顔合わせでもするのね」
「了解しました」
ぽつりと言ったきり何も喋らなくなったメイラは、黙々とペンを紙に走らせる。その潔いまでの無関心に、アレグリアはいよいよ表情を歪ませた。
「貴女、不愉快よ。今すぐその可愛くない面を削ぎ落してやりましょうか?
……まあでも、貴女と真面にやり合うのは色々と面倒そうだし、特別に見逃してあげるわ。自分の幸運に感謝なさい。次に顔を合わせるまで、愛想の一つでも振り撒けるようにしておく事ね」
惜しみなく毒を吐き捨て、アレグリアは資料室から乱暴に出て行った。
時は過ぎて。
漸く一通り書き物を終えたメイラは、アレグリアから渡された書類に目を通す。
「陸軍の第六〇一大隊から一人、隠密大隊から一人、中心地区警護隊から一人、シュダルト警備隊から一人、か。と言うか──……」
何だこれは、と舌打ちをして紙を捲ったメイラが、ふと最後の行に記されていた文言に目を留めた。
「『追伸:シュダルト警備隊のシグネ・キャスティは私の愛弟子だから、是非可愛がって頂戴ね』? ……知った事か」
溜息をついたメイラは諸々の紙を纏めて席を立ち、資料室を後にするのだった。
・・・
中央政府宰相及び帝国軍元帥補佐、並びに帝国陸軍第十師団隠密大隊・大隊長。
このアレストリアで皇帝に次ぐ権力を持つ女、アレグリア・スファロウス。ここ三十年で帝国内部の治安が急速に悪化した、その全ての元凶。
持てる権力を濫用して中枢の人間を次々と買収、帝国の腐敗と巷にのさばる悪を助長し、民草から重税を巻き上げ、そのほとんどを軍備に使い潰して他国や他民族はおろか、国内にまで戦いの火種をばら撒き、その癖自分は決して表に立たず、裏で捕虜や国内で不正に売買されている人間──奴隷、家畜と蔑称されている──を嬉々として甚振り殺し、剰えこれら全てをやめられない趣味と称する、真正の魔女にして生粋の外道。
厄介な事に何かしらの『能力』、それも相当強力なものを持っているらしく、奴に異を唱えた人間は軒並み陥れられるか不明な手段によって惨殺されている。しかもその事実すら自らの手で闇に葬り去っていると言うのだから質が悪い。今やあれに真っ向から敵対する人間など、帝国軍や中央政府はおろか、国内外でも私一人しか居ないだろう。
例えどれほどの下衆だったとしても、相手に対して敬意を払うのは軍人として当然の行動。だが、あの女だけはどうも駄目だ。敬意云々よりも先に強烈な嫌悪感が首を
何が、愛想の一つでも振り撒けるように、だ。貴様に振り撒いてやる愛想などあるものか。ああ、あの妙に甘ったるい声音を思い出しただけでも吐き気がする。
……さっさと忘れてしまおう、こんな事。思い詰めた所で私の精神が参るだけだ。
散歩がてら、久しぶりに海でも行ってみるか。
片田舎の港町デルノレ/波止場・昼
アレストリア南部に位置する、海を臨んだ町の一つ。
大きな、とは言えないが、町の住民に利益を齎すには十分な規模の港を持つ。
そんな片田舎の港町デルノレに近頃、海賊が出るようになった。
海賊は港周辺へ上陸する度に住民から金銭や食料を略奪しており、町は多大な損害を被っていた。
しかもこの海賊、逃げ足が非常に早く、その素早さは治安維持部隊が到着する遥か前に略奪を終わらせ、帝国海軍の大型帆船でも追尾が困難と言う程であった。
デルノレの港に、今日もまた海賊がやって来た。
ただ普段と一つ違うのは、港に泊まる海賊船に向かい合うようにして、灰緑の布に包まれている、半身より長い棒状の何かを背負った一人の青年が、波止場に立っている事である。
「あ、貴方が『ギルド』の方ですか?」
縒れたシャツを着た男が、おずおずと青年に声を掛けた。
「はい、そうです。掲示板で海賊退治の依頼を見かけたもので、受注させていただきました。良かったですよ、例の海賊がトンズラし終わった後でした、なんて事にならなくて」
「お一人でですか? 無茶ですよそんな!」
狼狽える男に、青年は浅く溜息をつく。
「まあ、そりゃそうですよね。どう見てもただのガキにしか見えない男が『ギルド』から来たとか言って、海賊多数を相手にしようって言うんですから」
「あ、いえ、決してそういう意味ではなく……!」
「ですが」
及び腰になる男へ、青年は笑顔を見せた。
「お任せ下さい、町長さん。一応こう見えても『ギルド』からオレ、結構信頼されてますんで」
そう言って、青年は背負った何かから布を取る。中から現れたのは、燻し銀の鞘に収められた長身の剣、ただ一振り。
「代わりと言っては何ですが、
「は、はい……」
男──町長が建物の中に入る姿を確認した青年は、剣を腰に差してから海賊船の浮かぶ海と相対した。
「小型帆船が、二、四、五隻か。割とすぐに片付きそうだな」
小さく呟いた青年へ、海賊船に乗る男が一人、船首に立って銃口を向ける。
「さっきからジャマなんだよテメエ! 死にたくなきゃどけェ!!」
「あ? お前等こそ、死にたくなきゃとっととブタ箱にでも入るんだな!!」
大声を張り上げた青年の啖呵に反応し、薄汚れた身なりの男達が甲板から顔を出した。
「何だこのクソガキ?」
「どうしますかカシラァ!?」
「こんなガキ一人、さっさと撃っちまおうぜ!」
「うるせえぞお前等ァ!!」
口々に言う船員達を、カシラと呼ばれた男は一言で黙らせた。
「さっきから話を聞いてりゃあテメエ、『ギルド』から来たそうじゃねェか。よーく信頼されてるんだってなア」
「…………」
「俺だって『ギルド』にゃ酒を飲みによく行くンだ。でな、あそこの壁には
だがよ! 何時見ても! 何度見ても! 一番上にある名前だけが変わらねェ! 聞きゃあその名前、一年もそこから動いてねえそうじゃねえか!!」
「…………」
口を閉ざしたまま、青年はカシラを見上げる。
「おいおい、バックレるのもいい加減にしろよ。茶髪赤眼、燻し銀の剣。テメエの正体はもう分かってんだ。だがな、テメエ一人に対してこっちは船五隻だ! 大人しく捕まれだァ!? フザけた事抜かしてんじゃねェぞ! テメエこそ返り討ちにして、奴隷として売り捌いてやらァ!! 『ギルド』一の稼ぎ頭って名前でも付けりゃあ、そこら辺のガキよか高く売れるだろうよ! なあ、テメエもそう思うだろ、ジェン・クストォ!!」
青年──ジェンへ向けられたカシラの銃口が火を噴いた。放たれた銃弾は硝煙と共に、人一人を撃ち貫くには十分な威力のまま、真っ直ぐに飛んでいく。
だが、その弾がジェンの身体を貫く事は無く。
ひゅう、と風を切るような音と共に弾は大きく逸れ、波止場へ力無く落ちた。
「な……ッ!?」
動揺するカシラを前に、ジェンは不敵な笑みを浮かべる。
「何やってんだ? もっと狙って撃てよ」
「!! お前等ァッ!!」
「おうよ、弾ァ有りッ丈持って来い!!」
「頭は狙うなよ! 死体は売りモンになんねえからな!」
「ハッ、全然温いっての……!」
飛来する銃弾の雨に臆さず、寧ろそれを嘲笑うかのようにジェンは海賊船に向かって駆け、勢い良く踏み切って跳び上がる。
ぴい、と鳴いた鴎が、空へと舞い上がった。
「あの野郎、跳んで来やがった!」
海へ向かって一番右に泊まる海賊船、その船首に見事着地したジェンは、甲板へと躍り出る。
「何なんだコイツ、本当に弾が──……ガハッ!?」
ジェンを仕留めようとした男達が、ジェンによって次々と殴り倒されていく。
「もっとデカい銃を出せ!! 中距離から援護しろ!!」
ジェンの居る船、その隣の船に乗った一人の男が、やや大型の銃を持ち出して構えた。連射の利く銃、所謂
「チッ、物騒なモン持ってんな」
乗り込んだ一隻を粗方片付けたジェンは、船の縁を踏み台にして隣の船へ飛び移る。そして乱射される銃弾を尻目に、更に隣へ跳んでもう一つ隣の船──カシラの乗る船──へと乗った。
「あいつ、カシラの船に!!」
「クソったれ、俺等に撃たせねェ気か!」
男達が引き金を引きあぐねている間、ジェンはカシラの元へと駆けつつ、腰に差した剣へ手を掛ける。するりと抜かれたその鞘から、やや細い、白銀に輝く両刃の刀身が露わになった。
「来やがったな。この距離なら──……」
「はッ!」
瞬間。カシラの銃が袈裟斬りにされた。文字通りの真っ二つである。
「な、じ、銃が……ッ!?」
常軌を逸した斬れ味にカシラは身を竦め、残った銃身を手から放した。
すぐさまジェンは剣を握る手を返し、石突でカシラの鳩尾を殴る。カシラは幾分か後ろに吹き飛び、倒れると同時に気を失った。
「か、カシラァ!?」
「野郎ッ!」
形振り構わず
「ヘッ、バカが。
男から向けられた大物を相手取るべくジェンは剣を構え直し、正面から大きく踏み込んだ。
「クソ、真正面からこの距離でも中らねェのか!?」
尚も銃弾を弾くジェンに、男は思わず怯む。
「オラァッ!!」
反応の鈍った男の隙を突いたジェンにより、
宙に高く放り上げられてから、がしゃん、と落下したそれに、ジェンは容赦無く刃を突き立てた。
ややとは言え大型の銃器を単身、しかも剣のみの武装で易々と破壊したジェンに刃向かおうとする海賊は、最早存在しない。
「バケモンかよ、あの野郎……!」
「カシラだってやられちまったんだ! 相手なんかしてらんねェよ!」
波止場から向かって左側の海に泊まっていた二隻──ジェンに襲われていない二隻──が船首を沖へ向け、みるみる港から離れていく。
「……逃がすかよ」
身体強化の出力を最大まで引き上げたジェンは甲板を踏み砕く勢いで蹴り、空へ大きく跳び上がった。海賊船の帆よりも高く跳んだジェンの眼下には船が五隻、幾分か小さくなって見える。
剣を構えたジェンは「能力」の出力を最大にし、逃走しようとする二隻の船へ狙いを定める。そして。
「オラ、逃げんじゃねえ!!」
声を上げると同時に、剣を振り下ろした。
空を斬ったと思えたその太刀筋は、大きな風の流れとなって船へと喰らい付く。
その一撃は二隻の船、双方の帆柱を縦に割り、帆をずたずたに切り裂いた。
その戦い様、正に無双。
ジェンが波止場へ着地した頃には、全ての海賊が動く気力すら失っていた。
大きく息を吐き出したジェンの元に、町長が布と麻袋を持って駆け寄る。
「大丈夫ですか!? お怪我はありませんでしたか!?」
心配そうに自身を見つめる町長へ、ジェンは爽やかに笑って見せた。
「はい、大丈夫です。ありがとうございました」
手に取った鞘に刃を収めてから、ジェンは町長から受け取った布で手早く剣を包む。
「さて、後はこいつ等を縛って治安維持部隊を呼ぶだけなんですが──……」
「その必要は無い。始末は彼等がやってくれるさ」
二人の背後から聞き覚えの無い女の声がした直後、大型帆船が一隻、港に影を落とした。
「
ここで初めて、二人は女の方を振り返る。その姿を目にした町長は、引き攣ったような声を上げた。
「有難いのは山々ですが。あの、
ジェンの放った言葉に焦りを覚えたのか、大粒の汗を浮かべた町長は彼の両腕を掴む。
「貴方、存じ上げないのですか!? あの御方は帝国陸軍大佐、かの第一〇三防衛大隊を率いる、帝国軍最強と名高いメイラ・エンティルグ殿であらせられますよ!?」
女──メイラへ再度目線を移したジェンは、訝し気に眉を寄せた。
「陸軍大佐? 何でそんな偉い人がこんな場所に?」
「しっ! 余計な事を言うのではありません!」
「まあまあ。そう言ってやらないで下さい、町長殿」
町長に笑いかけたメイラは、ジェンの元へと歩み寄る。
「散歩がてらこの町に来たんだが、丁度君が船へ飛び乗った所に居合わせてな。万一を考えて、海上警備隊に出動要請を出しておいたんだ。海軍の屯所とここを全速力で往復する破目になったが、まあ、万事良好なら問題無い。大立ち回り、素晴らしかったぞ」
「あ、ありがとうございます」
思いがけない称賛の言葉に、ジェンは照れた様子で頭を掻いた。
「そこで、だ。君、帝国軍に入隊する気は無いか?」
「……は?」
またしても思いがけない言葉を受け、ジェンは間の抜けた声を漏らす。
「私個人の話ではあるが、深刻な人員不足に悩まされていてな。入隊すると言うのであればすぐに私が起用しよう。ともすれば命懸けになるだろうが、それに見合うだけの好待遇は約束するぞ」
メイラ直々の勧誘に、ジェンは少々唸った後、
「分かりました。良いですよ」
あっさりと承諾した。
「え、良いのか?」
「え? いや、言い出しっぺは貴女では?」
「…………」
「…………」
各々の困惑によって固まってしまう二人だったが、気まずそうに口を切ったのはメイラだった。
「確かに、それはそうなんだが。まさかこの場で快諾されるとは思わなくてな。本当に良いのか?」
「はい、良いですよ。あ、ちょっと報酬の受け取りだけさせて下さい」
「ああ、それは構わないが……」
見るからに自分より年下だろう男が、命懸け、という言葉に特段の反応を示さない事に面食らいながらも、メイラはジェンの背中を見つめる。
「では、はい。こちら、約束の報酬、金貨十枚、銀貨三十枚、銅貨五十枚になります。お納め下さいませ」
「確かに受け取りました。ありがとうございます。じゃあ、オレはこれで」
中身を確認してから町長にぺこりと頭を下げたジェンは、メイラの元へ歩いて行った。
「えっと。エンティルグ大佐? オレ、何かやる事とかあるんですか?」
「名前は好きに呼べ。これから予定は?」
「まあ、あるにはあります。と言っても、ただ『ギルド』へ飯を食いに行くだけですけど」
「そうか、奇遇だな。これから私もシュダルトへ戻るんだ。良し、帰りがてらに諸々を説明しよう。では、町長殿。ご多幸を」
「
去って行く二人の背に、町長は頭を下げるのだった。
「君、名前は何と言う?」
「ジェン・クストです」
「そうか。ではジェン、取り敢えず明日の昼、中央政府へ来てくれ。服装はそのままで構わない。君にはこちらで用意した書類に色々と書いてもらう事になるが、一応の確認だ。君、文字の読み書きは出来るな?」
「大丈夫です。出来ます」
「なら良い。道中で中心地区警護隊に声を掛けられるかもしれんが、私の名前を出せば通される筈だ」
「分かりました」
「ところで──……。いや、気にするな」
「? 何かありましたか?」
「いいや。只の杞憂さ」
「はあ」
それきり特に会話の無いまま、二人はシュダルトに入る。
昼の大通りの喧騒が、日射しと共に二人を包んでいった。
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