大好きな元夫へ捧ぐ

寺澤ななお

第1話

 元・夫である修司と会うのは7年ぶりだ。一緒に離婚届けを出したあと、最寄りの駅をから電車に乗り込む彼を見送ってからは直接合うことは無かった。


 優しさがにじみ出る目元、白髪交じりでウェーブがかった髪型。清潔感のある水色のワイシャツとベージュのスラックス。あの頃と何も変わっていない。


 待ち合わせ時間5分前に、修司は喫茶店へと入ってきた。表情は明るく、自然な笑みを浮かべている。やはり、田舎暮らしが性に合っていたのだろう。


「ごめん、待った?」


 少し申し訳なさそうに尋ねる彼に、私は顔を横に振って応えた。


 私も自然な笑顔を見せれていると思う。そもそも彼が嫌いで別れたわけではない。


 元気そうな彼を見て素直にうれしかった。


「ずいぶん調子はいいみたいね?」


「おかげさまで」


 彼はニコッと笑みを深めて言った。


 私と修司が出会ったのは大学1回生のときのこと。新入生歓迎会という名の飲み会でたまたま隣の席になった。


 いきなり意気投合し、恋愛感情を抱いたわけじゃない。初対面の際の印象は真面目そうだというだけだ。話の内容さえ覚えていない。


 ただ、他の新入生が浮き足立ってお酒を嗜んでいるなか、未成年だからと頑なに飲酒を断っている姿は覚えている。美味しそうにオレンジジュースを飲んでいる姿も。


 偏差値は高くもなく、低くもない都内私立大学の文学部。多くの人たちは卒業までの猶予期間モラトリアムである4年間を勉学に費やすことはしない。


 だが、彼は違った。部活にもサークルにも入ることなく、学業に限られた時間を注ぎ込んだ。


 その時は知らなかったが、彼の偏差値は学部の合格ラインより遥かに高かった。尊敬する教授の元で学ぶことしか考えてなかったらしい。福岡県から上京。入学後は1年時から教授の研究室に通い詰めていた。


 バイトは大学内の図書館。安めの時給だが、待機時間には好きなだけ本を読める環境は彼にとって天国だった。


 私との接点も図書館だ。もっとも私は小説専門ではあったが。


 貸出カウンターのすぐ横の机で、いつも同じ紺のセーターを肩にかけて読書する修司に私は少しずつ、本当に少しずつ惹かれていった。


 彼はおもしろい小説に読み漁るように学術書の世界に入り込んでいた。レポート用にメモを取ったり、借りて持ち帰るわけでもなく、学術書を長時間読み込む学生はほぼいない。


それがやけに気になって、私は後から同じ本を借りるのだが、内容はとっつきにくいものばかり。同じ趣味だから距離が縮まったわけではない。


 私が修司のことを知りたいと思い、彼と同じ本を読むたびに少し距離が離れた。それは3年間繰り返された。だから少しずつ少しずつ惹かれていった。


 告白は私の方から。生まれてはじめての告白だった。図書館のバイト終わりで駐輪場にいた修司を自分から呼び止めて置きながら、気持ちを伝えきるまでに30分以上かかった。


 桜が咲くかさかないか。肌寒い日の夜に彼は私のたどたどしい告白を真剣に聞いてくれた。回答があったのは3日後。彼との恋愛が始まった。


 お互い上京組である私達は、お金に余裕もなくデートらしいデートも殆どなかった。ゼミの活動が終わり、学食で合流し、どちらかのアパートでご飯を食べる。しばしの読書を挟んで就寝。翌日は自転車をおしながらゆっくりとキャンパスへ向かう。その毎日がただただいとおしかった。


 卒業してからも修司との交際は順調だった。


 そして、お互いが25歳になった時。残りの人生を二人で歩んでいくことを決めた。


「一人でも楽しく生きていけると信じてた。でもそれは違った。君がいない人生はありえない。考えたくもない」


 プロポーズは私の誕生日。はたから見たら気障きざに感じる彼の真剣な言葉を私は一生忘れることはないだろう。

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