第十章 合一(愛の完成)
闇の向こうを見透かそうと、マルトは鉄格子の間を凝視する。
二階の部屋に連れ戻され、後ろではジークムントとカンドールが話している。
「詳細はわかりませんが、突然現れた敵から西門が攻撃を受けています」
「敵の数は?」
「多くはないですな。攻撃直前まで誰も気づかなかったのを考えても、少人数の部隊でしょう」
「だとすると目的は」
「マルト殿の奪還でしょう、おそらく。さっきの暴動は、陽動作戦だったわけです」
「もしかすると、コトブスに兵を移して手薄なことも知っているかもしれんな」
その時、遠くからどおんという爆発音が聞こえ、部屋が少し揺れた。
「手練れの魔導士がおりますな。数が少ないからといって油断は禁物ですぞ。ジークムント様自ら指揮を取られた方が良いかと」
「わかった。いずれにせよコトブス行きは延期だ」
ジークムントはマルトの方を向いた。
「聞いての通りだ。君はこの部屋で待っていてくれ」
答えを聞かずにすぐまた踵を返す。後ろに従ったカンドールは、マルトに片目を閉じてみせてから扉を閉めた。このまま逃げろという意味だろう。
独りになって、マルトは腕輪を外すと、もう一度外の闇を凝視した。
東の城門は開け放たれている。街の暴動鎮圧に出した兵を戻そうとしているのだ。
ヴィシェフラトのように国軍を整備したわけではないから、三々五々やってくる兵たちの装備や服装はまちまちである。
しばらく待ち、人の流れがかなり少なくなってきた頃、二人組が入ってきた。マントを羽織り、深く帽子をかぶっているので、顔も服装もよくわからない。が、前庭に入った二人が目立たない壁際に移動するのを見て、マルトはそれが目当ての人物と確信した。
衣装棚からなるべく目立たないマントを一枚取って手早く羽織ると、部屋の明かりを消してから窓辺に戻り、魔力で鉄格子を曲げた。こちらを見ている者がいないか、目で探す。城門には櫓があるが、外から入ってくる兵士に注意が向いているらしく、見られてはいない。マルトは庭に飛び降りた。
二人はそこで気づいたらしい。小走りに、マルトに近づいてくる。顔が見えるところまで来て、二人は帽子を取った。
「久しぶりです」
にこりともせず言ったのはノエミだった。
「久しぶりならもっと懐かしそうにしろよ」
そう突っ込んだ方はレオシュである。
「二人ともすまない。恩に着る」
マルトは頭を下げた。
市街の暴動、西門への攻撃は両者とも囮だろうと、マルトは見ていた。兵の移動に紛れて、数人が城内に侵入するはずだと。
「ノエミが来てくれるとは思わなかった。心強いよ」
「私の力はマルトさんに及びません。ですが魔装徹甲弾を持ってきました。少しは役に立つでしょう」
ノエミはマントの片側を上げて、腰の銃を見せた。マルトのものとは少し違う、単装の銃だ。
「……うん。ところで西門に攻撃してるのは誰なんだ?」
屋上から見えた森の中の光を思い出しながら、マルトは言う。あれは剣や鎧が夕陽に反射していたのだ。
「あれはフンデルトヘルメの魔導隊が主だな。カレルとエリシュカもいるぜ」
「ああ、さっきの派手な爆発はエリシュカか」
「あいつは優等生みたいな顔してけっこう危なっかしいぞ。戻ったら教育してやらんと」
レオシュは不穏に笑った。
「話はそれくらいにして、早く行きましょう。城門が閉まる前に」
ノエミが話に割り込んだ。
「おう、そうだな」
「待ってくれ」
城門に向かおうとする二人をマルトは止めた。
「一人、連れていきたい。ここにいてくれ。すぐ戻る」
レオシュとノエミは顔を見合わせる。
「誰だかわかりませんが、戦力になるんですか」
「なる」
なるわけがないが、マルトは断言した。
「それなら四の五の言ってる場合じゃないな。行くぞ」
レオシュがマルトの背中を押す。
「いや、いいよ。私だけで」
「行きましょう」
ノエミも城に向かって歩き始めた。
「あなたを一人にすると何が起きるかわからない」
「信用がないな」
マルトは冗談めかして答えたが、ノエミは何も言わない。言葉を失っていると、レオシュが肩を叩く。
「気にするな。あいつの態度は俺にもよくわからんが、お前を心配してるのは確かだ」
マルトは頷いて、ノエミの後ろ姿を追う。
「大扉の向こうは広間だ。私のことを知っているやつがいるかもしれない。二階の私の部屋から行こう」
「私の部屋、ね」
聞き咎めるように、ノエミはマルトをじろりと見た。
「ち、違う。私が閉じ込められてた部屋って意味だ」
「わかってます」
ノエミは取りつく島もない風だ。
三人はすぐに、マルトの降りてきた場所に着いた。
「こいつを持ってきたぞ。こんなところで魔力を無駄に使う必要もない」
レオシュはマントの内側から、細いが丈夫そうな縄を取り出した。
「さすが、準備がいいな」
「俺はお前みたいに行き当たりばったりじゃない」
「そうね」
マルトは縄の端を持って、重力を操って跳び上がる。
出る時にねじ曲げた鉄格子をつかみ、するりと部屋に入った。
扉が開いている。ここを出た時は確かに閉まっていた。誰かが来たのか。
用心しながら鉄格子に縄を括りつけた時、暗い部屋の中で何かが動く音がした。
「来るな」
下の二人に向けて小さく声をかけた後、マルトは素早く振り返る。
「誰だ!」
「マルト――」
声を聞いた瞬間、緊張が安堵に変わる。
「良かった。君を探しに来たんだ」
影の中から姿を現したヴィビイは、マルトに抱きついてきた。
「マルト、一人で行ったのかと思った」
「そんなことしないよ」
しゃくり上げるヴィビイの頭をわしわしと撫でる。
「そいつが戦力かあ?」
縄を伝って上がってきたレオシュが、呆れ顔で言った。
「おい、来るなと言ったろ」
「お前が来るなと言う時は面倒が起きてるに決まってんだから、行かなきゃならんだろう」
レオシュは鼻を膨らませる。
「とにかく、連れていきたかったのはこの子だ。ヴィビイ、来てくれて助かったよ」
「では、引き上げましょう」
レオシュに続いて部屋に入ったノエミは、すぐにまた、足を窓辺にかけた。
「行こう、ヴィビイ」
「荷物を取ってくる」
ヴィビイはマルトの体を離して、部屋の隅に置かれた鞄に向けて走った。
不意に、マルトは気配を感じた。
「ヴィビイ待て!」
だがその刹那、ヴィビイの体は床に叩きつけられた。
「ヴィビイ!」
「ちょいと気づくのが遅かったなあ」
言葉とともに、扉の向こうから影が伸びる。
「オンディーヌだな……」
「オンディーヌ⁉︎ 敵将か!︎」
レオシュが叫び、ノエミはベルトに手を滑らす。
「三対一か、怖いねえ」
おどけて手を上げながら、オンディーヌは室内に入り、そこでマルトをぎろりと睨んだ。
「安心しろ。お前らなどどうでもいい。勝手に出ていって、私の知らないところでくたばれ」
「じゃあ何しに来た」
「用があるのはこいつだよ」
オンディーヌは床に倒れたヴィビイを片手で持ち上げる。
「やめろ、ヴィビイを離せ!」
「嫌だね。こいつは成体融合に使う」
その言葉は、ざわざわした悪寒になってマルトを駆け抜けた。
「な、何を言ってる? どうしてヴィビイが……」
オンディーヌは嘲笑の表情になって言った。
「気づかなかったのか? こいつはキメラだよ、ジークリンデと私で作った」
「キメラ……? 馬鹿な、だってこうして喋って」
「ああ。知性を持ったキメラ。この子以外には作れなかった」
片手でぶら下げていたヴィビイを両腕でその胸に、オンディーヌはかき抱く。
「何度か研究の材料に使おうと思ったよ。だができなかった。だってこの子はジークリンデの子でもあるから」
「だったら今度だって。お願いだ、やめてくれ」
マルトはほとんど懇願するように言ったが、オンディーヌは静かに首を振った。
「もう時間がない。何を犠牲にしても、成体融合を完成させる。これまでとは比較にならない強さのキメラができるぞ」
「やらせない」
ノエミの声がした。マルトから少し離れた場所から、銃を構えている。
「馬鹿か、お前。撃ったらこいつにも当たるぞ」
オンディーヌは抱いていたヴィビイを再び片手で持ち、ぶらぶらと揺すってみせる。だが、ノエミは表情を崩さず答えた。
「構わない。そいつはキメラなんだろう。私たちの敵だ」
「ノエミ、駄目だ!」
マルトは叫んだ。
「うるさい!」
ノエミはマルトを睨みつける。
「私はあなたのように、感情に流されない。今この女を殺せば、将来死ぬかもしれない兵士たちの命を救える」
「そんな、そんなことは――」
「マルト、逃げて――」
その時、ヴィビイが口を開いた。
「――オンディーヌ、ありがとう」
次の瞬間、ノエミが引き金を引いた。
同時に、オンディーヌはヴィビイを放り投げた。
銃声が耳に届き、オンディーヌの華奢な身体がくの字に歪む。同時にマルトの胸に、柔らかい物体が飛び込んできた。慌てて抱きしめる。
「ヴィビイ! 怪我はないか」
一呼吸置いて、
「大丈夫」
しっかりした声が返ってきた。
無言で、もう一度しっかり抱きしめる。
「オンディーヌが」
ヴィビイはマルトの腕の中で体をよじった。マルトも顔を上げる。
「……貴様、本当に撃ちやがって」
オンディーヌは右手で腹を押さえて屈んだ姿勢のまま、扉の向こうに後ずさった。
「ちっ、魔導器を外したか。では次の一発で地獄へ行け」
再装填の動作をしながら、ノエミが言った。
「させるか!」
オンディーヌの空いた左手が輝く。と思う間もなく光がノエミに飛ぶ。
「ノエミ!」
レオシュが放った魔法がぶつかり、オンディーヌの光弾はねじ曲がって床にぶつかった。爆発音、そして床から炎が上がった。
「火を消して!」
ヴィビイが叫んだ。マルトは空気の対流を止める。燃え上がった炎はすぐに消え、煙が一筋上った。
「は、はははっ」
顔面を蒼白にしてオンディーヌは笑った。腹を押さえた手の甲から血が二滴、三滴としたたる。
「いよいよ切羽詰まって来やがった。ジークムント、知ってんだよ、私が捨て駒だってな。それでも、私は、あんたに最後まで従ってみせる」
扉が音を立てて閉じ、そこにノエミの撃った二発目の徹甲弾が当たる。瞬間、扉は文字のような模様を浮かべて発光した。
「呪術が施してあったか」
扉にめり込んで止まった徹甲弾を見て、ノエミが舌打ちする。
「すぐ騒ぎになるな。早くここを出るぞ」
レオシュが言って、窓に向かう。
「オンディーヌ……」
扉の向こうを見つめるヴィビイの肩に手を回し、マルトは引き寄せた。
「行こう、ヴィビイ。私たちには、私たちのやるべきことがある」
こくんと頷くと、ヴィビイも窓辺に走る。レオシュ、ノエミ、ヴィビイ、最後にマルトの順で飛び降りた。素早く城壁近くの茂みに移動する。
城の中はそろそろ騒ぎになっているはずだが、まだ前庭に兵士の姿はない。
「まずい。城門が閉まっちまってるぜ」
レオシュが顔をしかめた。
「マルト、お得意の重力制御で城門を飛び越えられんか」
マルトは首を左右に振った。
「無理だよ。微調整やらが難しくて、同時にできるのは、二人がいいとこだ」
「ではどうしましょう。正門に強行突破をかけますか」
昔の癖が出たかノエミはマルトに目を合わせ、すぐはっとして視線が泳ぐ。
マルトはヴィビイを抱き寄せる。ノエミに言いたいことはあるが、今はここを出るのが優先だ。
「待って」
マルトの腕の中で、ヴィビイが言った。
「通用門がある。私、門番と知り合いだし、ジークムント様の命令って言えば開けてもらえると思う」
「お前、ちゃんと戦力になるじゃないか」
レオシュはヴィビイに笑いかけてから、
「よし、内壁を抜けたら、城門に繋がる橋の下に、俺たちが乗ってきた小舟が隠してある。夜陰に紛れて川を下るぞ」
四人は無言で頷き合った。
隠した小舟に乗り込むところで誰何されて乱闘になりかけたり、川を下る間も並行する内壁から矢の数本も飛んできたり程度のことはあったが、脱出までは概ねうまくいったといえる。
外壁を抜け、葦に囲まれた浅瀬で小舟から降りると、四人は一斉に安堵のため息をついた。
「次は、西門の部隊と合流だ」
レオシュが告げる。
舟は川を下って城塞の真西にいる。陽動部隊は南西の森に隠れて攻撃を仕掛けているようだから、南回りで陽動隊を加えつつ、南東へ向けて退却するのが合理的だ。
「既に城でも、マルトさんがいないと気づいているはず。追跡を出されると厄介ですね」
舟の揺れが得意でないのか、頭を押さえながらノエミが言う。
「多分大丈夫だ。城の兵力はかなり少ないし、リブシェは私よりリーグニッツの攻略に集中するだろう」
カンドールがジークムントをそう説得するはずだ。
光弾が飛んで、城壁で炸裂するのが見えた。攻撃は散発的に続いている。
「急ぐぞ。部隊は精鋭だからそう簡単には死なないだろうが、攻撃が長引けば被害が増える」
レオシュが先導して、マルトたちは森の中に入る。
「変な匂いがする」
ヴィビイが鼻に手を当てた。
「硝煙だよ。火焔や爆破系の魔法を使った時の燃えかすの匂いだ」
硝煙の強い匂いは、それだけの魔法が使用された事実を示している。部隊は消耗しているはずだ。マルトの足は自然に早まった。
さらにしばらく進むと、ちらほらと兵士の姿が見え始めた。陽動が主目的だから、多くは敵の射程外に出ている。その上で、射線を絞らせないよう、散開しているらしい。
「任務完了、撤収だ。みんなノエミに続け」
「こっちだ」
ノエミが手を上げ、森の奥に向かって歩いていく。
「マルトさん!」
近くで誰かが立ち上がった。
「カレル。すまない、心配をかけた」
別れてからそれほど日が経っていないのに、随分長い間会っていなかった気がする。
「エリシュカは?」
「近くにいるはずです。おおい、エリシュカ」
「……ここです」
すぐそばにあるブナの木の横から、エリシュカの声がした。木の幹にすがってよろよろと立ち上がる。
「どうした! どこか怪我したか」
エリシュカは力なく首を振る。
「……違います。ちょっと消耗したみたいで」
「エリシュカは最初から飛ばしすぎだよ」
カレルに言われ、エリシュカはううと唸ってうつむいた。
「ありがとう。おかげで助かった」
「お役に立てて、良かった」
エリシュカは目を潤ませている。
「おい、再会を祝うのは後だ。まずはここから逃げるぞ」
レオシュの声が飛ぶ。
「ああ。行き先はフンデルトヘルメか?」
マルトが聞くと、レオシュは首を振った。
「違う、目的地はリーグニッツだ。だがまずは南東に向かって、ヴィシェフラト領に入ろう」
「リーグニッツで、皆でリブシェを迎え撃つつもりか」
「大体はそうだな。詳細は向こうで話そう」
マルトたちが背後の森へ振り返った、その時。
「待って、変な感じがする」
ヴィビイがマルトの手を強く握った。
「変? 何が――」
マルトは城を見上げる。
城壁の上、指図を出しているらしき背の低い人物の姿が、小さく映る。おそらくカンドールだ。慌てているのか、忙しく左右を見回し、両手を振り回している。
その後で、カンドールと、城壁の兵士たちまでが城の方に走り出した。
「おい、おかしい――」
皆に伝えようと振り向いたのと同時に、あたりが真っ白になるほどの閃光が二回続けて走った。
天から降ってきたかのような、金属質の声が響く。
「こいつはやばいぞ」
直感的に危険を察知したらしいレオシュが手を上げた。
「退避! 急げ!」
「エリシュカ、走れる?」
カレルがエリシュカに肩を貸している。
「う……」
「カレル、代われ」
マルトは腰を落とし、エリシュカを背負った。重力を抑制すると、背中の重みはかなり軽減された。これなら走れる。
「カレル、その子を頼む。手を離すな」
「マルト……」
不安そうなヴィビイの頭をごしごし撫でる。
「ヴィビイ、いい子だ。カレルの手を握っていけ」
カレルとヴィビイは無言で頷き合って、森の奥へ走り出した。
マルトは後ろを見ながら走り出す。城の内部で爆発するような発光があり、その後で城門が周りの城壁ごと吹き飛んだ。
マルトの頭上を越えて、大人よりも大きい石の塊が飛んでいった。周囲にも石や煉瓦の破片が降り注ぐ。
「逃げろ、早く」
ノエミの声のする方に、マルトは走った。
「あっ、あれ!」
マルトの背中でエリシュカが叫ぶ。
もうもうと砂煙の立ち込める城の中から、触手とも触覚ともつかない巨大な棒状のものが、数本突き出した。次の瞬間、棒の先端から稲妻のような光が、四方にほとばしった。
稲妻が直撃した城の物見櫓が根元から折れ、瓦礫の塊となって、ジークムントといた屋上に覆いかぶさる。マルトは思わず目を閉じた。
森にも光が着弾し、地面が震える。
「マルトさん!」
吹き飛んできた木の幹を、エリシュカが魔力で払いのけた。それで力を出し尽くしたらしく、マルトの背中に頭をつけ、動かなくなった。気を失っている。
「退避! 退避!」
誰かの声が響き、土砂と火焔の降り注ぐ中、マルトたちは南東の方角へ、夢中で走り続けた。
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