師匠は趣味で探偵をしている

八咫鑑

第1話 噂の人食いジジイ

 暗い暗い夜道。

 航平はある噂を思い出し、ビクビクしながら帰り道を急いでいた。


 —— 学校の近くの倉庫で、夜な夜な人食いジジイが人間の解体をしている。


 そんな噂が立ち始めたのは、一週間程前。いまや、学校はその噂で持ちきりだった。航平は、実際に人食いジジイを見たという塾の先輩の話を思い出した。


「一軒だけ明かりがついてて、中を覗いたら、おじいさんが血まみれでデカい肉の塊をダンッダンッって切ってるのさ。俺が『今何時ですか?』って聞いたら、噂通り『見たな~!』ってデカい包丁振りかざしてこっち来てさ!」


 ——人食いジジイに時間を聞くと「見たな~!」と叫んで襲ってくる。


 今、航平は先輩と同じ道を通って、家に向かっていた。理由はシンプル。この道が家までの最短ルートであり、そしてわざわざ遠回りする程、人食いジジイの噂を信じていたわけではなかったからだ。


 航平は口の中がカラカラに渇く感覚を覚えた。

 なぜなら、航平は今、まさしく噂の地点を通りかかっているからであり、そしてくだんの建物からは、煌々こうこうとした明かりが漏れだしていたからだ。


 まさか。あんな作り話のような噂、本当なはずがない。

 航平はゆっくりと建物に近づいた。


 ダンッ……ダンッ……ダンッ……


 何かを叩くような音が聞こえてくる。

 航平は意を決してゆっくりと、光が漏れ出る扉に近づき、半分だけ顔を出して中を覗き込んだ。


 ダンッ……ダンッ……ダンッ……


 航平は目を丸くして、声が漏れ出ないよう急いで口を押さえた。

 建物の中ではおじいさんが一人、調理台の前に立っていた。その手には、航平の頭ほどもある巨大な長方形の包丁が握られている。

 身長は一八〇センチほどで横幅もそこそこ、大柄なクマのような体格。捲り上げた袖から見える腕はたくましく、体毛がもしゃもしゃと生えている。

 そして何より衝撃的だったのは、目の前の光景が、まったくもって噂通りだということだ。


 調理台には、中学生の航平と同じくらいのサイズの、大きな赤い生肉の塊が乗っていて、隣に置かれたバケツからは、何本か骨が突き出ているのが見えた。

 そして、おじいさんの手も、包丁も、調理台の上も、隣に置かれたバケツも、全て真っ赤っかだった。ふわっと香ってくる血なまぐさい匂いに、航平は二、三歩よろよろと後ずさった。


 ザッ……カンッ!


 後ろに下げた足が小石を蹴飛ばし、壁に当たって音を立てた。


 ダンッ…………


 おじいさんの動きが止まる。

 航平は内心、今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、同時に、あの言葉を言ってみたらどうなるのだろうという好奇心も、むくむくと膨れ上がっていた。


 おじいさんがゆっくりと航平の方を向く。おかげで、航平はおじいさんの顔をまじまじと観察することが出来た。

 おじいさんは長い顎髭をたくわえていたが、彼のほかの部分と同様に、その色は真っ赤っかに染まっていた。何より印象的なのは、目。茶色でも黒でもない。真っ青な光を爛々と放っているように、航平には思われた。


 航平は、膨れ上がる好奇心に押され、一歩、また一歩と扉に近づく。

 おじいさんは無表情のまま動かず、様子を窺うようにして、ただコチラをじーっと見ていた。

 扉に手をかけて身体を支えた航平は、ついに、完全に好奇心に負けた。

 喉をゴクリと鳴らし、あの言葉を口にする。

「あの、今、何時ですか?」

 おじいさんは包丁を振りかざして言った。

「見ーたーなー!」




 ~*~*~*~*~*~




「嘘だぁ。本当にそのおじいさんが人食いだったら、絶対に警察がもう捕まえてるって」

「嘘じゃないって、信じてくれよ和兎わと! 包丁持ってこっち来たからマジで怖かったんだぜ?」

 航平の話を信じ切れず、私は腕を組んで小首をかしげた。

『夜の街に現れる人食いジジイ』は、私の中学校に最近広まっている噂だ。私はこの噂に対し、何か別の真相があって、それに尾ひれがついて広まってるだけなんじゃないか、と疑っていた。

「いや~、そのおじいさん、実はシェフか何かで、肉は豚とか牛。それで、次の日の料理の仕込みをしてました~とかじゃないの?」

 私の推測に、航平はワンワンと嚙みついた。

「あそこはレストランでも何でもない、普通の家のガレージみたいなとこだった! それに、だとしたらなんで『見たな~』とか言って迫ってくるんだよ! 目撃者を消そうとしてるんだぜ? 絶対やましいことしてるからに決まってんじゃん!」

「確かにそこは謎ではあるけど~。でも、どうだかな~」

 それでも怪訝そうな顔を崩さない私を見て、航平は私にある提案をした。

「じゃあさ、今夜俺と一緒に確かめに行こうぜ? 和兎だって実際に見たら、納得するだろ?」

「えー、もしものことがあったら嫌だから、行きたくない」

 私は食い気味に返答した。なにせ、私はそういった面倒ごとを推理するのは好きなのだが、実際に巻き込まれるのは御免だからだ。

「なんだ? 怖がってんのか?」

 航平は半目になり、見下ろすような角度で私のことを見た。

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