植物化する人間たち

黒鉦サクヤ

兄と弟

 体が植物になる病は前兆などはなく、ある日突然、体が変質する。大抵は膝から先が植物の根へと変わる。そこから徐々に植物へと変わっていくのだ。どの植物になるのかは決まっておらず、すでに存在している様々な植物へと変わる。

 今まで食べていたものは喉を通らなくなり、体が受け付けなくなる。水物であれば嗜好品も飲めるが、それも次第に水以外は受け付けなくなってしまう。

 体が前触れもなく変質してしまうため、治療法はない。根が出てしまえば、植物になる他ないのだ。

 遺伝子がどうのと言われてはいるものの、決定的なものは何も見つかっていない。未知で不治の病なのだ。


「ねぇ、僕は食べられる植物になりたいな」


 物騒なことを呟く弟の頭を軽く小突く。弟の下半身はすでに根に変わっている。もう水しか受け付けず、全身が植物になるのも時間の問題だろう。


「この根を見る限りさ、木ではないと思うんだよね。細くて何株にも分かれてる感じでしょ? なんだと思う?」


 植物になるのを悲しむ様子もなく、弟は興味津々といった様子で聞いてくる。

 こちらのことも考えてほしい。なんと答えればいいのだろう。植物になってしまえば、こうして話すこともできなくなる。

 たとえ血の繋がらない弟でも、俺にとってはかけがえのない人物だ。幼い頃、俺の後ろをヨタヨタとついて回っていたのを思い出す。喧嘩という喧嘩をしたこともなく、弟は今でも俺にべったりだった。初めて会ったときから可愛くてたまらなかった。もちろん、今だってそうだ。

 俺はまだ成人もしていない弟を失うのが、こんなにも悲しくてたまらないというのに、弟は気にした様子もなく尋ねる。


「サラダみたいにして食べられるものだといいと思うんだよなぁ。そうしたら、簡単に兄貴に食べてもらえるよね?」

「は?」


 何を言ってるんだ、こいつは。

 俺がお前を食べる? そんな馬鹿なことをするつもりはない。


「食べないぞ」

「なんでだよ。僕のこと食べてよ。あ、でも母さんたちにはあげないでね。ぜんぶ兄貴に食べてもらいたいから」

「いや、なんで俺が食べること前提になってるのか分かんねーし」

「だって、植物、しかも草っぽいやつなんてすぐ枯れちゃうだろ。僕、絶対そっちだと思うんだよね。だから枯れる前に兄貴の血肉になりたいの」


 意味が分からなくて、俺は弟を見つめる。


「枯らさなきゃいいんだろ」

「枯らそうとしなくても寿命で枯れるって言ってんの。あのさぁ、僕が何も思ってないと思う? 植物になって枯れちゃったらさ、知らない人にとってはただの枯れたゴミなんだよ。枯れても種で増えてずっと生き続けるのかもしれないけど、それっていつまで?」


 植物になったら意識は消えるという。ただの植物と同じになる。植物になった人も、ただの植物も同じ扱いをされる。俺が生きている間はこれが弟だと分かるけれど、俺が死んだあとは?


「嫌だよ、僕は。種でなんて増えなくていいんだ。残りたくないんだ」


 最後には独りぼっちになって何も分からないただの植物になるなんて嫌だ、と弟は初めて弱音を吐いた。

 俺だって弟がただの植物としての扱いを受けるのは嫌だ。意識がなくなっても、体は植物になってしまっても、俺の大切な弟なんだから。


「僕ね、兄貴が僕のお兄ちゃんになってくれて嬉しかったんだ。小さかったけど、初めて会った日のこと覚えてるよ。大好きだったからもっと一緒にいたかったけど……僕の足はもうこれだし」


 視線を落とした弟のひざ掛けの下は、むき出しになった根しかない。もう、一歩も動くことができず、窓際に座って一日を過ごしている。植物に変わっていくのを待つ日々は、まだ高校生になったばかりの弟にとっては地獄だろう。


「血のサイクルは百二十日なんだって。植物になった僕の寿命はどのくらいか分からないけど、食べてもらったら少なくとも百二十日は兄貴と一緒にいることができる」


 意識がなくなってからもそのまま育てられるなんて耐えられない、と弟は言う。


「兄貴、怖いんだ……怖いんだよ……一緒にいさせてよ。体が消えてしまっても、ずっと側にいさせてよ」


 縋るように見上げた弟の瞳から涙がこぼれた。

 あぁ、昔から俺はこの目に弱い。限界まで我慢して、最後の最後に弟が縋り付く先はいつも俺だった。そんな弟が可愛くて仕方がないのだ。

 つい、子供の頃の癖で、その涙を舐め取ってしまう。塩味が口の中に広がり、塩っぱいな、と思っていると目の前の弟が真っ赤になっているのが目に入った。まずい、子供の頃ならともかく、この年齢ですることではなかった。


「兄貴のさぁ……そういうとこダメだと思うよ。僕以外には絶対にしないでね」

「あぁ、しない」


 恥ずかしそうに視線を外しながら呟かれた言葉に頷く。

 そして、頷いた瞬間に見えたものに、俺は勢い良く手を伸ばし声を上げた。


「おいっ、これ……」

「あっ……良かった。食べられる植物だった」

「そうじゃないだろ! お前、もう……」


 俺が手にしたのは弟の左手だ。手首から先が、植物の葉になっていた。水滴のような粒が葉の表面についている。これはスーパーなどでも売っている、アイスプラントだ。指が一つ一つの葉になっている。全身が植物になったわけではないからアイスプラントの形状になっていないが、特徴は明らかだ。


「そろそろかなって思ってたんだ。指先の感覚がなくなってきてたから。兄貴が今触ってるけど、何も感じないんだ」


 だから食べても大丈夫、と弟は笑う。

 まだ人間のお前を前に食べろと言うのか、と喉元まで出かけた言葉を飲み込む。


「早く食べれば食べるほど、兄貴と一緒の時間が長くなるんだよ。僕は兄貴に食べてもらいたい。幸いにもまだ話もできるし、ね?」


 少しずつ僕を体に取り込んで、と弟の媚薬のような言葉が脳を麻痺させていく。

 本人に強請られて、愛しい者を食べるのは正しいことなのか。口に入れるのは植物で、人の肉ではない。けれど、今はまだ、生きている弟の体の一部なのだ。

 俺は弟の前に膝立ちになり、目を合わせる。本気かと尋ねても弟の瞳は揺らがず、恍惚としたように俺を見つめていた。

 そして、おもむろに弟は、アイスプラントになった自分の左手をもぎ取り、柔らかな笑みを浮かべ俺に差し出す。

 引きちぎられたそれは、もう元には戻らない。

 俺が食べなければ、ただ萎びていくだけだ。弟の体が失われてしまう。それだけは阻止したい。


「ねぇ、早く僕を食べて」


 弟の声が甘い囁きとなって俺を惑わす。

 俺は、促されるままに差し出された弟の一部を口にする。

 咀嚼したそれは、先程舐めた弟の涙と同じ味がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

植物化する人間たち 黒鉦サクヤ @neko39

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ