最終章

1. 正体

 ひとしきり泣いた後僕は、元からかのように、とても自然に彼の方を向いた。

 彼の目からはもう、あのブラックホールのような涙は流れてはいなかった。

 僕はその事実に、自分の推測が正しいことを理解する。


 彼はまるで、僕の考えを読み取ったかのように口を開いた。

「片割れくん、僕はそろそろおいとまするよ。一人になりたいでしょ」

 あの、不思議な微笑をその顔に浮かべながら。

「そっか」

 僕はそう言って、凝り固まった表情筋を動かそうと試みたものの、長年話す以外に使っていなかった僕のそれは石のように固く、そして何かが欠けるようなピキッという感覚とともに、1ミリ程度しか変化することはなかった。

 彼はそんな僕を見てぷっと吹き出し、

「え、何、片割れくん。もしかしてだけど、笑おうとでもしたの?」

と、小馬鹿にするように笑う。「……だったら何。悪い?」

 僕が少し不貞腐ふてくされてそう言い返すと、彼は驚いたように目を丸くし、そして気まずそうに視線を逸らした。

「いや、悪くはないけどさ。……というかそれなら逆に嬉しい、かな」

「え? というか、何?」

「嬉しいって言ったんだよ。少しでも笑おうとしてくれたんだったら、そりゃあ、ね」

「ふうん」

「はい、この話題はここで終わり。──あ、そうだ、片割れくんさ、僕が言うことじゃないかも知れないし、今すぐにとは言わないけど、信頼できる人、一人でも見つけた方がいいよ。さっきみたいに思い切り感情をぶつける相手がいないと、君は……いつか抱え込みすぎて、壊れてしまうから」

 彼は僕の目をしっかりと見据え、いつになく真剣な口調でそう言った。

「信頼、できる人?」

「そう。片割れくんはさ、外の世界、というか社会から目を背けている気がする。怖いのかも知れないけど、ゆっくりでいいから、ちゃんと向き合わないといけないよ。これは忠告」

 僕は彼に核心を突かれ、目を見開く。確かにそうだ。僕は、両親が死んでからずっと、外の世界との関わりを避け続けてきた。──また、あの時のように、大事な、大切な人やものを喪うのが怖かったから。僕は彼の視線から逃げるように俯いた。


 彼は僕の動揺に気付いているのかいないのか、ふぅと息をく。

「じゃ、今度こそ僕はもう行くよ。すごく短い間だったけど、片割れくんと過ごせてよかった。たった一日だったのに、色々なことがありすぎたね。ま、全部君が起こしたことなんだけど」

「分かってるよ……ごめん」

「やけに素直だね。変な奴」

 お前に言われたくないよ。僕はそう思いつつも、顔を上げた。彼が目を丸くして僕を見る。


 僕は、ごく自然な笑みを浮かべている。


「あのさ。最後に聞いてもいいかな」

「……うん、何?」

 まだ驚いている様子の彼に、僕は言う。


「君は、僕の心を具現化した存在じゃない。君は──、僕の中にある、なんじゃない?」

 彼を見ると、彼はあの穴ぼこのような暗い目で僕を見つめている。それからすぐに、彼はふっと微笑んだ。

「なんだ、分かってたんだ。いつから気付いてたの?」

「ついさっき。君の、涙が消えてたから」

「それなら具現化だとしても有り得るよね。それじゃあ説明にならないよ。僕は──」

「君は、僕だから」

「……え?」

「直感、って言うのかな。ふとそう思ったんだ。そう思った直後に、間違いないと思った。何というか、テスト勉強していたところがテストに出た時みたいな」

「……変な例え。でも、──お見事。そうだよ、僕は君の中にある負のエネルギーそのもの。君の中で、負のエネルギーが今にも破裂しそうになっていたから、僕は君の前に現れた。君の負のエネルギーを軽減するために」

「そんなに」

「うん、多分、普通じゃ有り得ない膨らみ方をしてる。だからさっき僕は言ったでしょ、信頼できる人を見つけてって」

 僕は頷く。彼はもう、行かなければいけないようだ。

 彼は僕の元へ来ると、手を出すように言った。言われるがままに手を出すと、彼は僕の手に何かを置く。それは、キラキラとした指輪だった。

「これは?」

「お守りみたいなものかな。君はこれを見る度に、今日のことを思い出す。一つの記憶として」

「ありがとう。肌身離さず持っておくよ」


 それじゃあね、と言いながら彼は帰って行った。彼が本来、いるべき場所へ。僕は彼を見送ると、母からの手紙に記されていた親戚の電話番号に電話を掛けた。

 

そうして彼は、僕の前から姿を消した。

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