第一話 トレント①ー3

 森の出口は目の前まで来ていた。街まではまだ距離があるが、この木々が密集している地点が終わる。そんな一時的なゴールは、もう目と鼻の先だった。


 だがその目前でオレの身体は木の怪物に囚われてしまった。


 腰に細い幹が何重にも巻き付いている。手足は動くが足は地面についておらず、幹に引っ張られるように身体が宙に浮いていた。

 ねばねばとした液体が幹に付いているため、オレが抵抗すればするほどその樹液のような物がオレの身体にまとわりつく。


「くそっ、どうやって振りほどけば良いんだ……」


 オレはポケットからサバイバルナイフを取り出した。何故オレがサバイバルナイフを持っているのかは分からないが、いきなりその道具を使うことになるとは思いもよらなかった。


 オレはそれを身体に巻き付いている怪物の幹に向けて振りかぶった。


 だがガキンと鈍い音が耳に届いてきた。その幹はうねうねと動くため柔らかく見えるが、その幹はナイフの刃を弾いた。伸縮性に富んでいる上、堅さも持ち合わせていた。


「まじかよ……」


 オレは何度もナイフを幹に向ける。だがその幹には傷一つ付かない、むしろサバイバルナイフの刃が欠けていくほどだ。

 オレはナイフで切ることを諦めて、腕力で幹をはがそうとした。だが緩まるどころか締め付ける力は強くなる一方だ。振りほどくことは不可能だと悟った。


 ここでオレは改めて思う。

 今の状況は本格的にまずい。力を使っても武器を用いても切り抜けることが出来ない。そしてオレには他に攻撃手段がない。

 その怪物は地面に根を張り、そしてのぞき込むようにてっぺんにある顔を地面に近づけてきた。そしてその口を大きく開いた。


 ――喰われる……


 すぐにそう理解した。この怪物はオレを捕食するために、オレを追いかけてきていたのだと。


「今こそ特別な力が発揮されるときだろ!」


 念願の異世界に来たのに、オレは何も異世界らしいことを出来ずにゲームオーバー? そんな悲しいことはない。何かしら力に目覚めてここは怪物を打ち破る場面だろう!


 だが物語の中にいる転生者が持つ特殊能力で上げられるものに、死ぬことで得ることが出来る効果もある。もしそうなら、一度死んでみるのも――


「――そんな確証のないことに賭けるほど、オレの命は安くねぇ」


 怪物に喰われる直前、死の恐怖からか脳がフル回転する。そしてこの状況を脱する可能性を模索する。

 そしてオレのポケットにスマホと財布が入っていることを思い出した。それと同時にある可能性を思いついた。というより思い出した。


 だがそのことが起こる保証は全くない。だけどこの状況を抜けられる一筋の可能性に賭けることにした。


「頼むぞ……」


 怪物の口にオレの身体が運ばれる直前で、オレはポケットから取り出したスマホを怪物の目の前に放り投げた。

 そしてオレのスマホを見たその怪物は、反射的にオレを縛っていない幹で掴んだ。


 その幹は見かけ以上に強い力を持っている。オレ自身もとても強い力で締め付けられているため、一瞬でも気を抜くと意識を持っていかれそうなほどだ。


 その力でその怪物はスマホを掴む。スマホは丈夫に出来ているため、多少の力では破壊されない。だがその耐久力よりも木の怪物の力が強いため、液晶にひびが入りスマホがミシミシと悲鳴を上げていく。


 割れた隙間に怪物の樹液が染み込む。そしてそのスマホに想定以上のとてつもない圧がかかる。


 これはオレにとって望みの薄い賭けだった。しかし――


「ギィィィィ!」


 怪物は金属同士がこすれるような、気味の悪い悲鳴を上げた。

 その理由は幹が握りつぶしたスマホが発火し、樹液を通して怪物の一部が燃えたからだ。


「よしっ」


 それと同時に自身を拘束していたツタが緩んだ。その一瞬の隙を突いてオレはそのツタから脱出した。そして森の出口へと全速力で駆けていく。


「上手く燃えてくれて良かった」


 オレは策が想定通りにいったことに心の底から安堵した。


 スマホにはリチウムイオン電池という物が使用されていると何かのテレビで見たことがある。これは小さく軽量ながら高いエネルギーを保存できる、現代科学の結晶であり今の文化の根幹になっている。


 これを通常通り使用するならば問題は無いが、浸水や高温下の状況、そして今回のように強い衝撃が掛かった場合には、安全装置が外れて発熱や発火するという事故があったことも、過去にテレビで見たことを思い出した。


 だからオレはスマホを怪物に壊して貰ったのだ。そうすることで発熱や発火という現象が起こるかも知れないと考えた。魔法など使わなくても。


 そしてもう一つ乗り越える賭けがあった。それは木の怪物が出している樹液が油のように燃えやすい物であるかどうかだ。

 木の出す樹液にも種類があり、可燃性と不燃性の物があると何かで聞いたことがある。この怪物が出す樹液が本当に燃えるかどうかも分からなかった。


 だがスマホから出た少しの火は、樹液を通してやがて幹一本分を燃やし尽くす程の炎になった。

 つまりオレは賭けに勝ったのだ。


 しかし窮地を完全に凌いだ訳ではない。まだまだピンチは続いている。あくまで絶望的状況を脱しただけだ。

 木の怪物は一瞬こそ炎に悶えていたが、燃えていた幹を切り落としそして再生させてオレを再び追ってきた。


 だがオレも密林を抜けられる直前まで来ていた。後3歩、2歩、1歩で――


「これ以上追いかけてくるんじゃねーぞ!」


 オレはそう叫んで密林を抜けて、草むらが広がる高原に足を踏み入れた。正直これ以上追いかけてこられれば、オレに勝機はない。

 追いかけてこないことを祈りながらオレは後ろを向くと、幹の一本がオレに向かって鞭のように振りかぶっていた。


「ぐはっ」


 オレは絶望に染まりながら、幹に打たれた衝撃で数メートルほど飛ばされ地面を転がった。転がった先は湖の畔のようで、身体の一部が水に漬かっている。


 オレはこの森を抜ければゴールだと考えていた。というよりもここがゴールでなければオレが助かる未来はない。


 だが外に出たオレの身体に怪物から攻撃が飛んできた。


 つまりオレは怪物に喰われて終わる、オレはそう思った。だが密林から怪物の攻撃がオレの元まで飛んでくることはなく、その怪物はオレを一瞥して来た道を引き返していった。


「助かった……のか…」


 オレはそう呟いて、疲労と安堵からオレはゆっくりと瞼が下がる。こんな危険な場所で眠るのは避けたいが、瞼にすら抵抗する力も残っていない。

 そんな意識を失う直前で一つの影を見て、ある言葉を聞いた気がした。


「トレントから逃げてた人は、同郷の方だったんだ」


 女性の声が聞えたのと同時に、オレの記憶は途切れた。

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