この魔法に願いを込めて
kiwa
第零話 ゼウス①
「おはようございます。ソウト様」
その透き通るような声で名前を呼ばれて、オレは目が覚めた。
「ここは? 夢か……」
はっきりとしない意識の中で辺りを見渡す。そこは自分の部屋のベッドではない、それどころかここがどこなのかも見当が付かない。
現状が理解出来ず当然困惑した。だが自分を取り巻く環境を一瞥し、自分があまりにも現実離れした世界にいることが分かり、逆に焦りがなくなった。
ここには何もないのだ。目に映る景色には空も地面も、何もないのだ。
だがこの空間には自分の身体に加えて女性が立っている。その女性は白のベールに包まれて、髪は重力に逆らうように広がっている。そして慈愛を体現しているかのように微笑みこちらを見つめる様は、まさに神秘的だった。
そんな女性と宇宙に二人だけで取り残されているような錯覚に陥る。
その女性の口がゆっくりと動く。その動作一つにすら意味があるように感じる。
「いえ、夢ではありません」
「じゃあここは何だ?」
「ここは【無の空間】です」
「【無の空間】?」
「簡単に説明するとここは魂しか入ることが出来ない、世界と世界の間に位置する空間です」
「簡単に説明されると、余計にわけわかんないな」
オレは苦笑いを浮かべて頭を掻く。だがその行動は頭で考えただけで、実際には掻くための手も掻きたい頭も存在しない。
「なんだこれ、体がない……魂しかないっていうのか」
オレの思考は確かにここにある。だけどソウトという身体は、この空間には存在していないのだ。
「だったら、あんたは何者なんだ? 何故あんたはここに存在できる?」
「私はここを任されているゼウスと申します」
ゼウスはそう言って微笑んだ。その微笑みは老若男女問わず魅了するだろうとオレは感じる。ただ自分の名前を名乗っただけで、オレの荒んでいた魂が落ち着いていく。
そしてオレの思考が冷静になったところで、ゼウスは補足で説明を始める。
「私も姿こそありますが、実際は魂しかこの世界に存在しません」
「それなら何故オレにはゼウスの姿が見えているんだ?」
「それは、私の魂がこの世界に定着しているからです」
「定着? つまりこの世界から出ることが出来ない、ってことか?」
「はい、私はこの場所に囚われています。そのため私の仕事は世界と世界の狭間で彷徨う魂とお話をすることです」
ここまでゼウスの言葉に耳を傾けていたオレだったが、我に返ったようにある可能性に気が付いた。
「もしかして、オレは死んだのか?」
オレはここに来る直前の記憶が無い。だから何故この場所にいるのかが分からない。だがオレは魂しか入ることが出来ないという場所に来てしまっている。そしてここが世界と世界の狭間だと言われれば、そう考えるのは必然と言えるだろう。
だがゼウスの口からは、意外な内容が発せられた。
「いえ、貴方はお亡くなりになった訳ではありません。貴方はご自身の意思でこの世界にやってきたはずです」
「オレが、意図して来たっていうのか?」
全く身に覚えが無いことをゼウスは口にする。オレは気がついたらここにいる。ここに来る以前の行動が全く思い出せない。
だがオレがこれまで異世界に行くために様々な方法を模索していたのは事実だ。だからこの不自然な記憶喪失も、そのことが影響しているのかも知れない。
そんな思考を続けるオレをよそに、ゼウスは話を続ける。
「はい。その為貴方はこの後別の世界に転移されるはずです。今はその間の処理を行っているようなものです」
「ゲームのローディング的なものか……」
「げーむ、というものが分かりませんが、ソウト様はまもなくこの世界からは消失することは確かです」
「じゃあオレはゼウスとは雑談をするために呼び止められたのか」
「いえ、そうではありません。本題は私からソウト様に力を授けたいと思っています」
ゼウスが両手を広げてそう言った。
「力、っていうのは?」
「力はソウト様が今から向かう世界での『魔法』のことになります。そもそも『魔法』とは努力や家系、または才能によって開花させる力のことで、様々な効力があります」
「そういうものなのか」
『魔法』と一口に言っても、オレが元の世界で見ていた物語には様々な種類がある。今からゼウスから貰えるものがどのようなものか、期待して耳を傾ける。
だがゼウスの口からは、聞いたことのない単語が飛び出してきた。
「私が授けることが出来るのはこの【ランダムメイト】というものになります」
「【ランダムメイト】っていうのは、どんな魔法なんだ?」
「こちらの魔法は、名前の通りランダムに魔法が付与されるものとなります。その魔法がどのようなものになるのか、私にもソウト様にもわかりません。そのため一生をかけても魔法がなんなのか分からない可能性もありますが、何が特別な力か分からないとしても落ち込まずに頑張ってください」
「はぁ」
よく分からないが、何か力を得た状態で行けるということが分かった。力が貰えるだけでありがたい話ではあるが、不確定な力だけで異世界転生はハードモードが過ぎる。何か明確な力が欲しい。
「他に何か得ることが出来る特典はあるのか?」
異世界転生といえば、魔王を倒すために凄い力や武器を貰える物だという認識があった。聖剣や四次元ポケットのような、強力な何かを想像した。だからオレはそんな期待を露わにしたのだがだが――――
「ありません」
「他の特典は何か――」
「ありません。これで説明は以上になります」
二回目を口にすると、その美しい笑顔を見せながら食い気味で否定された。
しかしよく考えるとすでに特別な魔法を授けられている。その力に期待してもいいのかもしれない。これ以上何かを望むのは欲張りだと納得することにしよう。
「ではソウト様。新たな世界でご活躍されることを、ゼウスの名の下に――」
「ちょっと待って!」
神のありがたいお言葉を、オレは無理矢理遮った。一つだけ言い忘れていたことがあったからだ。
「まだ何かご質問がありましたか?」
「質問ではなく、頼みがある。聞いてくれるか?」
「質問、ですか? 私には力がないので貴方の望む事が可能か分かりませんが」
「ゼウスさんは、オレみたいに世界を渡る人には説明をしているんだよな?」
「は、はい。全てではありませんが、ソウト様の世界からの転生者は一度この世界に来るようです。何故そのようなことになっているのか分かりませんが、ここを一度通ることは確かです」
この世界がなんのために存在しているのか、何故この世界を通ることになるのか。その疑問はオレには関係のないことだ。
異世界転移をする際にこの世界を通るという事実、それが確認できれば十分だ。
「オレの頼みは――――」
まだオレはこの世界を完全な現実と信じきれていない。この世界の奇妙さも相まって、妙な浮遊感に包まれているようだ。だからこそ逆に冷静な判断が出来ていたんだと思う。
オレはゼウスにとある頼みをした。それは何か効果が出るか分からないが、もし効果が出ればオレに有益に働くだろう。そんな時限爆弾のような頼み事だ。
念願の異世界転生なのだ。オレの目的を実行するためには、少しでも考える必要がある。その為に思いついた策は、実行できるなら実行すべきだ。たとえそれが不発に終わっても、手は多い方が良い。
まさにオレは異世界転生者にだけ許される特権を行使したのだ。
「分かりました。では貴方にゼウスの名の下に神のご加護があることを祈ります」
そう言ってゼウスは目を閉じて両手を合わせた。そしてそれに合わせてオレの意識が徐々に薄れていく。視界が光に包まれ、身体から重さがなくなっていく。
魂だけが分離していく感覚だった。
「貴方が私の願いを叶えてくれることを願っています……」
そんな薄れゆく意識の中で、オレはゼウスの言葉が聞こえていた。
特別な力を授けると言われ、更にゼウスはオレの頼み事を聞いてくれた。記憶はないが望みだった異世界転生も出来る状況になっている。
その時ゼウスの左腕が砂のように崩れていく。祈りを捧げていたはずの両手が、今は片方しかなくなった。
だがゼウスは焦ることなく自分の塵になった腕を一瞥して、そしてオレの顔を見た。だがゼウスは何も言わずに、太陽のように眩しい笑顔を見せた。
――ゼウスの左腕は、オレに捧げた魔法の代償になったことなど。この時オレはまだ知る由もない。
そのためゼウスの美しい姿に見とれながら沈んでいくように、オレの意識も消えていく。
この時オレは異世界生活を楽観視していた。ゼウスから力を貰い、念願だった異世界に行くことが出来る状況に、万能感を抱いていた。
だがオレの思惑とは裏腹にオレの異世界生活は、とてつもない苦労が待ち受けていることも、オレはまだ知る由もない。
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