レッチリインザレイン

不可逆性FIG

RHCP in the rain.

「うーわ、酒くさッ!? ほら、さっさと車乗って帰りますよ、先輩!」

 雨がざんざん降る真夜中、俺はいきなり先輩から呼び出されていた。要領を得ない電話に適当な相槌をして仕事帰りでくつろいでた最中、ため息混じりに最寄り駅まで車を走らせていたところ、ギターケースを担いでふらふらに酔っ払った先輩を発見した次第である。繁華街ではないとはいえ、酩酊状態の女性を外に残しておけないため、しかたなく先輩の家まで送ることにしたのだった。

 とりあえず重そうなギターケースを預かり、後部座席に置いて彼女には俺の肩を貸しながら、助手席に放り込んだ。金髪に染めたロングヘア、シンプルなパーカーによくわからんデザインのキャラとバンドロゴがプリントされたTシャツ、黒いタイトなダメージジーンズを履いた先輩はまだバンドを続けていて、今日もきっとライブハウスのステージに立っていたのだろう。

「あれー、後輩くんがいるー? あははは、そっかこれが送り狼ってヤツかあ! なんだか楽しいね~!」

「アンタが急に呼び付けたんでしょーが!? ほら一応シートベルト締めて!」

 日付も変わって終電もとうに無くなり、寂しくなった駅前のロータリーは雨が闇夜に降りしきり、青信号は道路へと反射している。俺は誰もいない道なのに律儀に右折ウインカーを出して、ゆっくりと発進させた。

 ……最悪のドライブだ。明日も仕事だっていうのに、天気は大雨、隣には愉快に笑う酔っ払い。どうか先輩が俺の車で盛大にリバースしませんように、と願うばかりである。


*****


「ねえー、無音ってつまんなーい。なんか雨っぽい音楽流してよぉ! 後輩くんあんまり喋ってくれないしさー」

「悪天候だから運転に集中してるんですよ! 一旦そこに駐車して音楽かけますから、ちょっと待って下さいね!」

「路駐……路チューってこと!? あははは、キス狙ってるのかあー!?」

「はいはい……」

 静かに眠ってくれればいいものを、先程から延々と何かを喋っている先輩だった。そう思ったら、よくわからない注文を言い出す始末。これだから酔っ払いは……と思ったので、俺はささやかな意趣返しを思い付いた。

 雨の雰囲気の音楽というと、少しダウナーなバラードなんかを選択しがちだが、あえて俺はこのアーティストの曲を車内に流すことにした。フロントガラスを穿つ無数の水滴に白色灯が散らばっている。あははと笑いながら、金髪を揺らす彼女は乱反射した街灯に照らされて、闇夜でも不思議なくらいキラキラと輝いて見えた。未だに夢を追い続けるその姿は俺にとって憧れの象徴のようで眩しかったのかもしれない。


 再生ボタンを押す。

 お世辞にも良い機材とはいえないカーステレオから、深みのあるドラムの打音が──シンプルなドラムの、ハイハットとスネアのエイトビートがゴーストノートを交えながらゆったりとした後ろノリのリズムを刻んでいく。一小節ほどそれが続いたあと、奥の方からスッと差し込まれるギターの飾り気の少ないざらついたリフがリズムの上を転がるように鳴らされる。それはまるでジャムセッションをするかのような気軽さ、ベースの低音が哀愁を帯びたギターリフの隙間を補完するような絶妙さで跳ねたフレーズを繰り返して気持ちの良いグルーヴを生み出していた。

 そして、曲の輪郭が出来上がったところで男性ボーカルの少しアンニュイな柔らかいラップ調の歌声が響いてくる。

「あー、アンソニーの声じゃーん。──ってことは、これレッチリかあ! いいね、私レッチリ好きぃ~」

 そう、レッチリだ。

 この曲を奏でるロックバンド、レッドホットチリペッパーズの『Dani California』を車内に流したのだった。叩きつけられる雨粒に負けじとボリュームを上げると、ドラム・ベース・ギター・ボーカルだけのシンプルで生々しいバンドサウンドがこの狭い空間を支配する。昨今の装飾過多な流行りとは真反対の、まるで極限まで削ぎ落としたような骨と肉だけの強靭な演奏。ファンキーなリズムと、ブルージーなメロディ、それでいてドラマチックな曲展開。どこを切り取っても最高の曲だ。

「でもさあ、後輩くん。レッチリって雨っぽくなくない? 私の中では、よく晴れた日のパリパリに乾燥したサウンドなんだけどなあ」

「そりゃあ、カリフォルニア出身のバンドですからね。乾いたような、枯れたようなサウンドの曲は多いですよ」

「それにレッチリ流すなら『Give It Away』とか『Around The World』とかにしようよー!」

 はい出ました。

 有名曲だけ知って満足する先輩の悪い癖である。

 確かにレッドホットチリペッパーズの傑作は何かと問われれば必ず挙がる二つのアルバム、『Blood Sugar Sex Magik』と『Californication』の収録曲である。名曲だ。いや、大名曲といっても過言ではない。だがしかし、雨の似合うサウンドかと言われればそれは否である。

「雨っぽい音楽を注文しましたよね。その二つならまた晴れたときに聴きましょうよ」

「だけどさあー、もともとレッチリっていうチョイスがすでにミスってんじゃんね?」

 基本的にレッチリの曲は乾燥している。だけど、全ての作品が乾いているわけではない。きっと先輩はジョン期のギターしか聴かないのだろう。もったいない。ああ、もったいない!

 レッチリはギターのポジションだけはメンバーが流動的である。黄金期とも評されるジョンが居る頃だけでなく、一作だけだがデイブがジョンの代わりに掻き鳴らしていたヘヴィロックなアルバムも嫌いじゃない。さらに言えば、ジョシュが丁寧にレッチリらしさを表現していた頃も好きだ。

 ──だけど、広く浅くをモットーにしているような先輩にそんなことを語っても最初は同意してくれないだろう。ましてや今は酩酊状態。なら、手っ取り早くレッドホットチリペッパーズの懐の広さを聴いてもらおうじゃないか。

「先輩、なんで俺が『Dani California』を選曲したと思います?」

「日本で売れた曲だからでしょー、そういうわかりやすい選び方も嫌いじゃないけどねえ」

「違いますよ。このアルバムが一番、ジョンの弾くギターで湿度を感じるからです。俺が先輩に聴いてほしいのは、本当のところ十三曲目なんです」

 カーステレオからはいつの間にか二曲目の『Snow』が響いていた。スキップボタンを何度か押して目当ての曲まで飛ばす。先輩は「ふぅん」と零して、フロントガラスを穿ち、伝い、流れる雨を眺めていた。自分の意見が通らないと少し拗ねてしまうクセは相変わらず変わってないんだな、と俺は密かに苦笑。……俺と先輩がまだ大学生の頃だ。軽音楽サークルで飲み会したあと、酔い潰れた先輩の介護をいつも俺に押し付けられてたっけ。そんな苦いような甘酸っぱいような思い出がふと、よみがえる。

 音楽が人一倍好きで阿呆のように音楽を際限無く収集してた俺は、世界の広さと自分の才能の無さに早くから気付いてしまい、演奏することへの熱が冷めてしまってからは大して尖ったこともせずに卒業と就職を経験して特徴のない社会人を毎日演じてしまっていた。なのに、自分のエレキギターばかり毎日毎日触り続けて、歴史に燦然と輝くような音楽すら、ろくに知らなかった先輩が今もこうして音楽と向き合って、有名になろうと、金を稼ごうと、純粋に演奏を楽しもうと夢を諦めずに今も活動していることが、俺のあり得たかもしない未来を幻視するようで悔しいし、どうしようもなく憧れや希望でもあるのだ。

 どうか先輩──貴女あなたはいつまでもそのままでいてください。と、いつの日にか願ってしまった俺は、ステージから降りて酒を飲むと途端にダメ人間になる彼女の一面すらも近くで見れるこのポジションが存外、気に入っていたりする。だって、こんなにも近くで憧れた人の憧れたロックな生き様を見れるのだから。


*****


 そして、いつまでも車を停めているわけにもいかないので、ゆっくりとアクセルを踏んで発進させる。対向車の一台すらも通らない時間帯の二車線道路。少しかすれた白線を頼りに、等間隔に佇む白色灯を道しるべに、こういう寂しくて真っすぐ伸びた真夜中の世界もレッチリらしくて良い。

 もうすでに曲は流れている。俺が思う、乾いていない湿り気のあるアルバム『Stadium Arcadium』から十三曲目、『Wet Sand』のイントロがそっとカーステレオが響き出していた。ローファイなアコースティックギターのGコードが車内に沁み込んでくる。ジョンの弾くギターの音色はどこか空虚で悲しい。何かを諦めてなお、消えない情熱の灯がくすぶり続けている、そんな気持ちを代弁しているかのようなギターなのだ。

 そこに入り込んでくるアンソニーの歌声。決して若くない大人の男を感じさせる哀愁の響き。元気をもらったり、励まされたりするわけでなく、ただ隣に座って「大丈夫だ」と零し、肩を組んでくれるような不器用な優しさを持つ歌声がメロディを紡ぐ。そして、その後ろからフリーのベースとチャドのドラムが穏やかに乗っかってくるのだ。

「雨、やまないね」

「そうですね。予報だと明日の昼過ぎには晴れるらしいですけど」

 フロントガラスのワイパーが休みなく左右に動き続けている。一向に弱まる気配のない荒れた天気が俺たちの視界を悪くさせていた。

 この道にも慣れたものである。何度、酔い潰れた先輩を車に乗せて送り届けたことか。そんなに遠くないくせにターミナル駅への乗り換えが絶妙に面倒くさい駅を最寄りにして一人暮らしをしている先輩。家賃が安いわりに部屋も狭くなくて快適なんだそうだ。それに終電が無くなっても、こうして俺が帰路の途中に住んでるからタクシー代がそこそこ浮くとかなんとか、まったくふざけやがって。──でも、そう言いながら今も先輩に良いように使われてる自分も嫌いではない。それはまあ、憧れたほうの、さらに言えば惚れたほうの負けなのだから仕方ないのだ。

「そういえば、レッチリの新作がリリースされるんだっけ」

「ジョンが十数年ぶりに復帰する期待のアルバムですね、新曲はもう投稿されてましたよ。聴きました?」

「うーんと、たぶん聴いた。なんか思ったより、落ち着いた曲だったような」

「ははは……言うと思いました。まあ、前作の『The Getaway』からしたら順当な作風のような気はしますけど、それでもフリーが弾くベースが心なしか楽しそうに暴れてるのが印象的でしたね」

 いわゆるスルメな曲になるのだろう。それを言ったらわかりやすい派手さのないレッチリの曲のほとんどがスルメ曲になってしまうのだが、ジョン復帰しての一発目の曲ということで聴き込む価値はあるはずだ。

 そうこうしてるうちに『Wet Sand』は三分半に差し掛かり、大サビまでの盛り上がりに差し掛かってきていた。楽曲全体に漂っていた物悲しいファンキーなグルーヴがここにきて一気にテンションを高めていく。切なさに感極まったような叙情性溢れるメロディが胸に刺さる。演奏するレッチリ四人の背景にも終わらない雨が降り続いていて、雨に濡れながら、雨に打たれながら歌い上げているかのようなドラマチックさがスピーカーから響いてくるようだった。

「あーやっぱレッチリ最高だね」

「ですね。雨にも合う曲はあるんですよ」

「……ねえ、後輩くん。今度リリースされるアルバムなんていうタイトルだっけ」

「それくらいチェックしときましょうよ、『Unlimited Love』です。ちゃんと予約しないとですよ」

 ずっと変わらないままの青信号を素通りしていく。フロントガラスの水滴が信号の色を乱反射させて一瞬、世界が滲んだエメラルドグリーンの破片色に染まっていった。運転に集中しているので、先輩が今どんな表情をしているのかわからなかったが、きっとレッドホットチリペッパーズを再評価してくれているに違いない。

「ごめん、聞き取れなかった。もっかい言って」

「あ、音量上げすぎましたかね。『Unlimited Love』です」

「へへ、もっかいお願い」

「ったく、まだ酔ってるんでしょ? いいですか『Unlimited Love』です、『Unlimited Love』! いい加減、もう覚えましたよね!」

「うへへ……」

 何がそんなに楽しいのやら、先輩はモジモジと身体をよじらせて気持ち悪い笑いを零していた。

 新作の『Unlimited Love無限の愛』。ジョンが復帰した後のタイトルとしては凄くシンプルでストレートだと思った。けれど、彼らのことだ。そんな誰でも想像つくような単純なタイトルではないのだろう。きっと色んな意味を持たせているはずだ。


 大雨は降り続いている。

 深まる闇夜の中を泳ぐように、先輩と俺を乗せた自動車がヘッドライトが照らす先へと運んでいく。エンジンの低いうねりと振動が、ガラスを叩くホワイトノイズと混ざって溶けていく。

 俺はちらりと助手席の彼女を見た。どうやら外を眺めているようで金髪の後ろ姿だけで表情まではわからなかったが、相変わらずニヤけた変な笑い声が漏れているあたり、まあ気分は良さそうだ。──結局のところ、俺は先輩とこの先どうしたいのかなんて未だにわかっていない。ひとりの女性として気になっているのか、ロックスターの虚像を彼女にダブらせているファンのひとりに過ぎないのか。次はシラフの先輩を連れてよく晴れた青空の真下をドライブしてみたいものだ。そうしたら『Give It Away』とか『Around The World』とかを流してみたいと思う。

 次に進めるのか、全て壊れてしまうのか、俺はどちらにも選べずにいる。選べないまま、悩ませたままロックはこの一時ひととき、情熱だけを膨れさせながら全てを忘れさせてくれるのだ。


 暗闇の向こう、大雨は呆れるほど降り続いている。

 先輩と俺を乗せた車の狭い車内には、骨太でファンキーなグルーヴを掻き鳴らしながら哀愁を歌うワールドクラスのモンスターバンド、レッドホットチリペッパーズがお世辞にも良い機材とはいえないカーステレオから最強に格好いい曲たちを響かせてくれていた。

 ──まだ目的地までは距離がある。もう少しだけ、雨のレッチリを堪能するとしよう。等間隔に並ぶ街灯を抜き去りながら、俺は今一度ハンドルを握り直した。


〈了〉


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