Ⅵ
「貴方様が一体騎士団へ何の用事です?」
「エレナと共にスレイド殿にご挨拶しにきただけですが?」
「それはそれは。流石に水祭りでさえ挨拶なしは気が引けますか、天下のシエラヴェール家の貴方様でも」
「何ですかねその言い方は。スターレイター家に挨拶なしがご不満か?」
火花というより氷の
そんなことより喧嘩を止めなければ。カルブは走ってきたということは急ぎの用があるし、ルゼルトはこれからエレナと噴水に行くのだから。
手を握ってルゼルトに声をかけようとしたら、ふとカルブがエレナを見てきた。
「珍しい……今日は緑のドレスなのですね。とてもよくお似合いです」
「ふぇっ!? あ、ありがとうございます、カルブ様っ……!」
……彼は喧嘩が好きなのだろうか、ルゼルトの前でそんな火に油を注ぐようなことを。しかもまだルゼルトに言われていないことを。
「行きましょうエレナ。騎士様はお忙しいでしょうから」
「あ、は、はい。では失礼しますカルブ様」
ペコリと一礼してエレナは、ルゼルトについていった。
大広場にくると、相変わらず噴水からは大きく水が出て、子どもたちは笑いながら走り回っていた。
「……私たちも」
「?」
「私達の子供も、いつかああして遊ぶのですね」
ルゼルトの瞳はどこか遠くを見るようだった。シエラヴェールの人間として子供は必要だが、彼は両親との思い出があまりないため、数年もすれば自分が親になるというのは遠い未来の話のように思えるのかもしれない。
一方エレナは、心優しい母はすでに病死したとはいえ、少し不器用ながら子煩悩な父と、意地悪だが可愛がってくれる兄と共に育ったし、家族の思い出は沢山ある。小さい頃から、母に頭を撫でられながら、お母様みたいな母親になるんだと夢見てきた。
「……私は母になったら……」
ぽつりと口に出したエレナを、ルゼルトが見つめる。エレナは噴水からあふれる水越しに子どもたちを眺めていた。
「いーっぱい可愛がってあげるんです。おやつを食べさせて、膝に乗せて頭を撫でて、寝るときには子守を歌を歌ってあげて、水祭りの日には温かい目で遊ぶのを見守って……」
エレナはちらっと上目遣いでルゼルトを見つめたあと、顎を上げて目を合わせ、笑った。
「そんな幸せな家にしたいです!」
…………わかっているだろうに。
シエラヴェール家は、子供を可愛がるだけではやっていけない。子供は家を存続させるのに必要なもので、そのためには魔法の才能が必要で、元から備わる才能の他にも、努力で身につける才能も重要で──エレナもそれはきっとわかっている。それでも、大人びているようにみせても……まだ夢見がちな少女だ。
……いや、違うか。ルゼルトは目を瞑った。恐らく気遣っているのだ、己を。ルゼルトは、水祭りの日を嫌ってはいない、だが、到底好きだとも言えなかった。両親が突如としてこの世からいなくなったのは、水祭りの時期だった。……たしか、夏季の40日……だったか。
二人で並んで、噴水を、水を眺めながら、聞いてみる。
「子供……何人ほしいとかありますか?」
「……そうですね、あまりたくさんいてもメイドが困ってしまいそうですし……二人……三人くらい欲しいと思います。旦那様のようにしっかり者の長男に、お調子者の次男、それから、その二人に愛される愛想のいい長女がいたら……とても理想的です」
……あぁ、たしかに。それは幸せな家庭になりそうだ──そう思いながら噴水から目を逸らした。
「……言い遅れましたが、そのドレス……とても似合ってます。似合ってますが……」
ルゼルトは言いながら鎖骨のあたりに手を伸ばし、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「こんなに
「っ!! えぁ、違っ……! そんなつもりは断じてっ……!!」
「ふふ、冗談で──」
「まぁ、こんにちはルゼルト様、エレナ様」
たちの悪いタイミングで誰が……と思いながら声のした方向を見れば、白銀のふわふわの髪をもつ修道女が近づいてきていた。アナスタシアだ。ついこの間尋問されたばかりのルゼルトとしては会いたくなかったが、そんなこと知らないエレナは無邪気に挨拶をした。鎖骨から手を下ろすのを見逃してはいない目をしていたが、特に何も言われなかった。
「こんにちは、アナスタシア様」
「私はただの修道女、様などつけずにどうぞ呼び捨てになさってくださいな」
「そんなわけには……」
エレナは苦笑いを浮かべた。どこまで事実かわからないが、アナスタシアとてかつて神の声を聞いたと言われる人の子孫で、教会は清く重要なもの。修道女の立場自体はそんなに高くはないと言っても、呼び捨ての敬語なしはエレナには難しい。ルゼルトは普通に呼び捨てにするのだが。
「……珍しいですねアナスタシア。こんなところにいるなんて」
「修道女が教会に引きこもってばかりだと思われては困りますわね」
ふん、と勝ち誇るような笑みをアナスタシアは浮かべた。ルゼルトは苦い顔を浮かべている。
「私ももう17……そろそろ結婚を考えていますが、そうなれば大抵の場合教会を出ることになります。私はそれでも構いませんが、牧師様は困るそうで……男女別の場所で生きていければいいのですけどね」
アナスタシアは遠回しで且つ少し上から目線で、ルゼルトの愛人にしてほしいと、そう言っている。何度かアナスタシアにあったことのある中で、エレナはそう確信していた。水祭りの日は国中で出かける人が多いからともかくとして、二人でひっそり出かけたときも、アナスタシアとの遭遇率が高い。ルゼルトはミルクが云々を除いても苦手意識を持っているためできるだけ教会近くには立ち寄らないのに会う確率が高いということは、向こうが探しているのだろう。エレナはルゼルトに恋愛感情は持っていないどころか男の愛人を作ることを勧めているくらいであるため、ルゼルトが誰を妾にしようが構わないのだが。
ルゼルトはというと、アナスタシアの思惑には気づいている。もう少しおしとやかな性格であればよかったものをと、思わずにはいられない。髪は柔らかそうだし、アメジストのように綺麗な紫色の目だし肌は真っ白だし……言ったら軽蔑されるだろうが胸大きいし……。神聖と言われるシエラヴェールの人間であるとはいえ、ルゼルトだって男だ。どうしてもそこに視線が向いてしまう。
「あら、婚約者様の前で不躾な視線を向けていませんこと? ……まぁいいでしょう。ではお楽しみくださいなお二人とも。ではまた」
「はい、また」
無言で背中を見送るルゼルトの横でエレナは普通に言葉を送った。エレナがああいう……明らかに婚約者を狙っている女をあまり気にしないような質というか、自分を友達感覚で思っている女性で良かった、などと考えていたら、肘で腕を突かれた。
「……え、エレナ……?」
「旦那様、公共の場ですよ?」
にこりと彼女は笑っている。誘っているのかと鎖骨に手を置いたことに怒っているのか、それともアナスタシアの胸部に目をやったのが悪いのか、それはわからないが。どっちもだと思うが。
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