安眠スイッチ

モルフェ

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安眠スイッチ。


それは小さな都市伝説から始まった。


『とある医者が開発したもの』で、そのスイッチを押せば『安らかに眠るように死ねる』そうだ。




お金を積めば手術をしてもらえる。


首の後ろに神経とつないだ小さな装置を埋め込み、それに対応するスイッチを受け取る。


名刺入れほどのサイズで、ロックがかかっており、パスワードを入力して起動する。


一瞬で極楽へ行ける魔法のスイッチ。


痛みはない。


そんな夢のような都市伝説。


誰も本気にしてはいなかったが、もしそんなものがあるなら、と空想する者は多かった。




その噂の出どころは様々だった。


刑事の知り合いから聞いた。


医者の知り合いから聞いた。


ネットで見た。


最近ニュースになった不審死の若者の手にスイッチが握られていたらしい。


などなど。




安眠スイッチの存在が広く知られるようになったのは、あるネット中継が始まりだった。


この一件で、安眠スイッチは都市伝説ではなく実在する、という認識が広まった。


『安眠スイッチによる自殺を生中継します』


そんな不気味な催しが、とある深夜にネット上で行われたのだ。


少年がPCに設置されたカメラの前に座っている。


取り立てて特徴のない、ごく普通の少年だった。




みな興味本位で集った。


否定的なコメントも数多く寄せられた。


「どうせインチキに決まってる」


「最後は『やっぱり死ぬのやめます、みんなありがとう』でエンドだろ?」


「本当に安眠できるのか? 血がぶしゃーなスプラッタとかにならないか?」


「期待」


「支援」


「早く死ね」


みんな好き勝手な言葉を投げかける中、その少年は無表情で丁寧に返事を返していた。




「手術はどこで?」


『それは……ちょっと詳しくは言えません』


「いくらかかったの」


『だいたい百万円です』


「そんな金があんなら死ぬ必要ねーじゃん」


『大金がかかってでも、やり直したいんですよ、人生を』


「死んだら生まれ変わる保証なんてねーぞ」


「自殺したら地獄行きだろ、どうせ」


『でも、楽にこの人生を終わらせられたら、と思いまして』


壮絶ないじめ体験の告白と、細部をぼかした「都市伝説の裏側」談が、見る者を夢中にさせた。




やがて少年が指定した時間が来て、少年はスイッチに指をかけた。


『百万円で、安眠が得られること、証明できたらいいですね』


少年は一切の不安を持っていなかった。


多くの人間が見守る中、少年はスイッチを押した。


『おやすみなさい』


そう言って、少年は画面の向こう側でうつぶせになった。


本当に、居眠りを始めたようにしか、見えなかった。


少年は最期の瞬間まで笑っていた。


その笑顔が、見る者すべての脳裏に焼き付いていた。




次の日の朝まで、その中継は続いていた。


じっと動かない少年。


窓の外が明るくなり、小鳥のさえずりが聞こえてくる時間になった。


「どうせ寝ただけだろ、俺も限界、寝る」


「突然起きだして俺たちを驚かせるオチに1000円かける」


「時間の無駄だったな」


「そのうち中継が切れて、ハイおしまい、だろ」


そう言って視聴者はどんどん減ったが、それでも最後まで見続けた者たちがいた。


そして、扉から彼の母親らしき女性が入ってきたことで、状況が動く。




『またこんなところで寝ちゃって……だらしないんだからもう』


『ほら、起きなさい、もう起きないと遅刻するわよ』


『ちょっと、もう、起きなさいって』


母親がいくらゆすっても、彼は起きなかった。


その時、彼の顔がよく映った。


本当に、寝ているような安らかな顔。


しかし、その顔色は死者の物だった。




息子の息がないことを知った母親はパニックになり、部屋中を動き回った。


それは決して、演技ではなかった。


この時間まで付き合っていた視聴者は、その場面を目撃して眠気も吹っ飛んだだろう。


リアルタイムで見られたことに、興奮していただろう。


PCのカメラが繋がっていることに気づいた母親は、電源を落とすことを忘れなかった。


その瞬間、この不気味な自殺中継が幕を閉じた。


しかし、「安眠スイッチ」の物語は、ここから始まってしまったのだ。


「安眠スイッチは存在する」


このネット中継を見たものは、そのことを疑わなかった。


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