第117話 あの娘も喜ぶと思います!

 アデーレとの訓練は昼過ぎまで続いたが、そろそろ終わりの時間だ。


 最後まで勝てずに終わると、木剣をしまう。


「また明日、頑張りましょう」


「もちろんだ。次こそ師匠に勝つからな」


「その日がくるのを楽しみにしてます」


 俺が強くなっていくのが嬉しいようで、裏表なさそうな言葉だった。


 少し名残惜しそうな顔をしていたが、アデーレは兵舎の方に向かって行く。


 これから鬼教官として、橋の警備に派遣する私兵たちを訓練するんだろう。


 俺はもう動きたくないほど疲れているのに……化け物級の体力である。


「腹が減ったな」


 動きたくはないが外で食事はしたくないので、重くなった体を引きずるようにして食堂に向かう。


 質素な廊下を歩いていると、ゆったりとした薄い緑のドレスを着たヒルデと遭遇する。


「ごきげんよう。ジラール男爵」


 スカートの端をちょんとつまんで挨拶された。


「元気そうだな。ここには慣れたか?」


「皆様、親切なので家よりくつろいでおります」


 特に不満がないのであれば問題ない。


 義母を冷遇しているなんて評判は流されたくないからな。


「それならよかった」


 長話するつもりはないので立ち去ろうと足を動かす。


「ジラール男爵」


 呼び止められてしまった。


 仕方がないので立ち止まる。


「何だ?」


「これからユリアンヌに会うのですが、ご一緒にどうですか?」


 そういえばヒルデに教育を任せてから一度も会ってなかったな。


 兵の訓練にも顔を出していないようなので、休む時間なく貴族の淑女としての動きを教えこまれているのだろう。


 愛や義理があるなら、この提案を受け入れるべきなのかもしれないが、俺は腹が減っているのでユリアンヌより食事を優先したい。


「残念だが、これから食事をする予定だ。その後は政務があるので行けそうにない」


「それは残念です。また今度、お誘いいたしますね」


 ヒルデの表情は変わっていない。


 声のトーンも普通だし、このまま無視しても大丈夫だと思ってはいるのだが、何かが引っかかる。


 ルミエのように感情を抑え込んで会話する技術が高いので、何を考えているのか読みにくいな。


 断ったからといって大きな問題にはならないだろうが、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま仕事はしたくない。


 俺の気分がスッキリするのであれば、一緒に飯を食べるぐらいは、しても良いだろう。


「待ってくれ」


「はい?」


 首をかしげて俺の言葉を待つヒルデは、一児の母だというのに少女っぽさが残っているように見えた。


 ヨン卿はこれで落とされたのか?


 今度あったときに、からかいながら聞いてみるか。


「せっかくなら三人で食事をしないか?」


「よろしいのですか! あの娘も喜ぶと思います!」


 手を合わせて小さく微笑んでいた。


 仕草がいちいち可愛い……というか無防備だな。


 俺を娘の旦那というカテゴリに入れているからだろうか、男として意識されてないようである。


「もちろんだ。婚約者と義母であれば、いつでも歓迎である」


「そのお言葉、ユリアンヌにも伝えますね。ずっと寂しい、寂しいと言っていたので、うれしがると思います」


 モヤモヤした気持ちが今分かったぞ!


 俺に会えないユリアンヌが、暴走するのを危惧していたのだろう。


 ルミエやアデーレは毎日のように会えているのに、自分だけヒルデが邪魔をして顔を見ることすらできない日々が続いている。


 となれば、ストレスが爆発して寝込みを襲ってくるというパターンもあり得ただろう。


 そういった危機を本能が感じ取っていたのだ。


「俺は汗を流してから食堂に行く。少しぐらいなら遅れても気にしないから、しっかりと準備するがいい」


 特に貴族の女は準備に時間をかけるので、寄り道は必要だろう。


 ヒルデと別れると風呂場に入った。


 伯爵や公爵クラスなら他人に体を洗わせるのかもしれないが、貧乏男爵なので一人である。


 魔道具という便利な物があるので、蛇口をひねれば井戸からくみ上げられた水が流れ出てきた。


 桶に貯めると頭から水をかぶる。


 火照った体にはちょうどよい冷たさで、疲れは吹き飛び意識が覚醒する。


 石けんで体を洗って泡を流してから脱衣所に戻る。


 体を拭いているとドアが開いた。


「お着替えをお持ちしまし……」


 裸を見てメイド見習いが固まった。


 顔を赤くして口をパクパクと開いている。


 視線は俺の股間に釘付けだった。


「ごくろう」


 待っていても来ないので、メイド見習いが持っている服を手に取る。


 パンツまではいてから口を開いた。


「お前の名前は?」


「え、わ、私はイナです。村には将来を誓った相手が……」


「そこまでは聞いていない」


「ひゃい!」

 

 俺が強めに言うと体が固まった。


 小動物のように怯えるイナが面白いので、もう少し遊んでやるか。


 上半身は裸のまま彼女の前に立つと顔を近づける。


「俺がシたいといったら、どうする?」


「え、え、あの」


 襲われると思ったのか怯えたような表情になった。


 体は小刻みに揺れている。


 これ以上は……変な噂が広がりそうだから止めておくか。


 遊びはこのぐらいにしておかないとな。


 イナから顔を離すと口を開く。


「次からはノックして返事を待て。わかったな?」


「はいぃぃぃ~~」


 情けない返事をしたイナは立ったまま動けない。


 これで貴族の恐ろしさを理解してくれたのであれば、来客があったときに気をつけてくれるはずだ。

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