第79話 若様!

 人型の影は左右の腕を広げると、弧を描くようにして伸ばしてユリアンヌを挟もうとする。


 さらに体から黒い矢も放ってきた。


 後ろに下がれば手からは逃れられるだろうが、迫り来る黒い矢からは逃げられない。


 かといって前に出るのも危険で、唯一の逃げ場は上にしかなく、ユリアンヌは跳躍してすべての攻撃をかわす。


 だがそれは、敵が狙った動きだったようだ。


 空中で動けないユリアンヌに向けて、再び黒い矢が放たれた。


 その数は三本。


 数は多くなかったので、槍の柄で弾いてしのいだが、バランスを崩してしまい着地時に膝と手をついてしまう。


 ユリアンヌはすぐに動けず、頭上には人型の影の手が近づいてくる。


 既に走り出していた俺は、ユリアンヌを抱きかかえると、その場を離れた。


 後ろから、ズンと床が叩かれたと思われる重い音がした。


「あれは俺が受け持つ。アデーレに協力してもらえないか?」


 顔を赤くして、ぼーっとしているユリアンヌにお願いをした。


 返事を待ちたかったのだが、その余裕はなさそうだ。


 人型の影が俺の方を見ている。


「任せたからなッ!」


 アデーレなら負けることはないと思うので、ユリアンヌは保険でしかない。


 仮に動かなくても何とかなるだろう。


 投擲して地面に落ちてしまった剣を拾うと、人型の影に向けて走り出す。


 黒い矢が五本飛んできたので、双剣を振るって叩き落とした。


 剣が二本もあるのだ。


 この程度の数なら余裕でさばける。


 人型の影に近づいたので、跳躍してから、剣を横に振るって首を両断した。


 手応えはなく、水を斬ったような感覚だ。


 すぐにくっついてしまう。


 人型の影から、黒いトゲが何本も伸びてきた。


「ちッ!」


 空中にいて動けない俺は、剣を振り下ろして黒いトゲに当てると、体を上昇させて回避した。


 だが敵は不定形の魔物で、肉体という制限を持っていない。


 頭部から細く黒いトゲが無数に出てくると、俺の方に伸びてきた。


『シャドウ・ウォーク』は自分の影に沈んで、視界内の影に移動する魔法であり、空中では使えない。


 アデーレから学んだ双剣術で、何とかするしかないだろう。


 顔を狙った黒いトゲの束を右手の剣を横に振って軌道を変えてから、腹を狙ってきた黒いトゲに対しては、左手の剣を振るって回避した。


 受け流すついでに体を移動させたため、致命傷を狙う黒いトゲからは逃げられたが、いくつかは腕や足に刺さってしまう。


 黒いトゲを双剣で両断し、地面に着地してから次の攻撃を警戒していたのだが、人型の影は動かなかった。


「何が起こった?」


 異変があったのは間違いなく、周囲を観察する。


 エールヴァルトは倒れたままだ。


 すると、操っているヤツらに変化があったのか。


 どうやらユリアンヌは、俺のお願いを聞いてくれたようで、アデーレとの戦いに参加している。


 敵は劣勢のようで、革鎧を着た戦士の一人は倒れていた。


 アデーレが戦士一人をグイントとユリアンヌがもう一人を相手していて、デブ男を守る壁はない。


 黒い水晶が光ると人型の影が、デブ男の方を向いた。


 俺を倒すのではなく、自分の守りに使うつもりか!


 俺が人型の影を抑え込んでいると、信じ切っている三人は気づいていない。


 このままだと危ないッ!


『シャドウ・ウォーク』


 ランタンのおかげで影はある。


 自分の影に沈むと、デブ男の影から俺の姿が浮かび上がる。


「なんで、ここに!?」


 すぐに俺を攻撃せず、驚くとは。


 戦いには慣れてないようだな。


 右手に持った双剣を手放すと、デブ男の首を絞める。


 難なく拘束できたので、左手に持つ剣で頬を軽く突き刺した。


「すぐにアレの動きを止めろ」


「誰が……いだいッ!」


 文句を言ってきそうだったので、切っ先を少しだけ深く刺した。


 たったそれだけで、涙を流す。


 痛みに弱すぎるな。


「これが最後のチャンスだと思え。アレを止めろ」


「はい……」


 黒い水晶から光が失われるのと同時に、人型の影が消えた。


 どうやらあれは、魔力で生み出された魔物……いや、ゴーレムの一種だったのだろう。


 デブ男の魔力が切れるまでは、動き続けていたはずだ。


「若様!」


 アデーレと戦っていた戦士は、デブ男を助けようとして俺の方に向かってきたが、背中を切られて倒れてしまった。


 残っていた戦士もユリアンヌの槍に胸を貫かれ、グイントの剣で首を飛ばされる。


 敵に背を向けるなんて自殺行為だとは分かっていただろうが、それでもデブ男を助けたかったのだろう。


 呼び方から、なんとなくこいつの正体が分かった。


「お前、セシール商会の跡継ぎか」


 商会を立ち上げたセシールの息子であれば、戦士の対応も納得できる。


「どうしてここにいる?」


 大切な息子を派遣しなくても、人型の影は操作できただろう。


 俺が倒した番頭に任せて、待っていれば良かったのだ。


「……信用してほしいなら、俺を現場に送れって言われたんだよ」


「デュラーク男爵にか?」


 裏切り者が新しい場所で信用を得るためには、それなりの働きを見せなければいけない。


 二重スパイを警戒する意味でも、前の場所に戻れないような仕事をさせるはずだ。


 下っ端では意味がないので、血縁者が選ばれたのだろう。


「そうだッ! あのクソ男爵、絶対に許せねぇ!!」


 裏切り者が何を言っている。


 それは俺のセリフだろ。


 デブ男は助けてもらえると勘違いしているようだが、そんなことは絶対にない。


 早いか、遅いかの違いだけで、俺を裏切った時点で死ぬしかないのだ。

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