第25話 様子のおかしな人間界
「セリーヌ、今日もあまり食事をとらなかったようだね。まだ体が辛いかい?」
メイドに下げられていく皿を見ながら、部屋に入ってきたクラウドが心配そうにたずねる。
「私のことはお気になさらず。放っておいてください」
魔界へ行く前のセリーヌからは考えられないほど冷たい受け答えだった。
「……よほど、魔界で辛い目にあったんだね。かわいそうなセリーヌ」
クラウドは悲痛な顔でポツリと呟いた。
(違う、魔界ではこんなに幸せでいいのかと不安になるほどだったわ。いつかこの幸せが無くなってしまうんじゃないかとこわかった。結局、自分から手を離してしまったけれど)
自分が聖女などではなければ。何度そう思ったかわからない。それを今、目の前のクラウドに説明する気にはなれないが、かと言って軽々しく見当違いな哀れみを向けられたくはなかった。
セリーヌが魔界から人間界に戻り、すでに三日ほど経過した。
クラウドは自分の手を取ったセリーヌに気を良くしているようだが、何もクラウドだからその手を取ったわけではない。むしろあの瞬間、他に選択肢があったなら決して選ばなかっただろう。
全てはルシアンがセリーヌに失望してくれればと思ってとった行動だった。
「色々と忙しくて、なかなか君といる時間を作れなくてすまない。もう少しして落ち着いたらきちんと話をするから」
微笑みながらそういうクラウドに、何の感情も湧かない。
なぜか人間界に戻ってきてすぐに、セリーヌはこの部屋に通された。どうやら神殿にある客室の一つらしい。
色々と整理しなければいけないことがあるからとこの部屋に留まるように言われてしまい、ずっとここで過ごしている。
アレスター伯爵家に戻らずに済んだことはよかったが、これからどうするべきかをずっと考えていた。
(ずっとここにいるわけにはいかないわ……)
人間界の人たちは今でもセリーヌを生贄だと思っているだろう。
魔王や魔族が生贄を渡すように要求してきた時のためにこうして神殿にいさせられているのだろうか。
(いいえ、そもそもなぜ生贄である私をわざわざ人間界へ連れ戻したの……?)
セリーヌはルシアンが報復などするような人ではないと知っているが、他の人間たちはそんなことは知らずに魔族を恐れているはずだ。
おまけになぜセリーヌが生きていると分かったのか。
自分を見ようともしないセリーヌに焦れたのか、椅子に座る彼女のそばにしゃがみ込みと、クラウドは必死に言い募る。
「信じて欲しい。私は君を……セリーヌを愛しているんだ」
「そんな慰め、私には不要です」
「セリーヌ……!」
「あなたにはエリザ様がいるではありませんか」
「だから、誤解なんだ。エリザのことはそうじゃなくて──」
「クラウド様、そろそろ会議のお時間です」
信用ならないクラウドの言葉は、神官からの呼び出しに遮られた。
「……ああ、すぐにいく。……セリーヌ、またゆっくりと時間を作って説明するよ」
そう言ってやっとクラウドは去っていった。
詰めていた息を吐いて、セリーヌはソファへ移動して、だらしなく体を沈める。
(それにしても、神殿でなんの会議をしているのかしら?)
クラウドは次期侯爵であり騎士をしているが、神殿に関係などないはずだった。
セリーヌの知らない何かが動いている。そのことがモヤモヤと胸騒ぎになって襲ってくる。
(クラウド様から話を聞くのはもう少し後になりそうだし、ここのメイド達はどうも私と必要以上に話をしないように言い含められているみたい)
この部屋に来るメイドは三人ほどで、彼女達は皆無表情で最低限の挨拶しかしない。セリーヌが話しかけても曖昧に交わされるばかりなのだ。
そして、セリーヌは人間界に戻ってきてからまだメイドとクラウド以外は誰とも会っていない。
しかしその日の夕方、新しい来訪者があった。
「セリーヌ……! 本当に、戻ってきていたんだね」
「……マイロ兄さん」
叔父家族の長男、従兄のマイロだ。
叔父家族はセリーヌがいなくなって喜んだはずだ。優しいマイロだけは違うかもしれないけれど、自分がいなくなって一番恩恵を受けるのは実はマイロである。
(内心はどう思っているか分からないわよね……)
クラウドの裏切りはセリーヌを疑心暗鬼にさせるには十分だった。
再会に複雑な気持ちを抱きながら、メイドに通されたマイロを追い出すこともできなかった。
ソファに向かい合って座り、仕方なく用意されたお茶を飲む。
「クラウドの行動を調べてよかった。まさかセリーヌを連れ戻すことに成功しているなんて……」
「え? マイロ兄さんは私が戻ったことを知らなかったの?」
ここへ通されてすぐ、アレスター伯爵家には自分から知らせるから気にするな、とクラウドは言っていなかっただろうか?
「あいつは隠しておきたかったんだろう。神殿の数人以外、おそらく誰も知らない。だからセリーヌもここに閉じ込められているんだろう?」
「閉じ込められている……?」
まさか。自分は今軟禁されているのだろうか。考えることも多く他に行き場もなくて、無理に部屋を出ようとはしなかったため気付かなかった。
思いもしなかった事実にゾッとしてしまう。
「今日もクラウドが騎士団の方で作戦会議をしてるのを聞いて、なんとかセリーヌに会いにきたんだ。……おそらく、俺がきたこともすぐにバレるだろうけどな」
はあ、とため息をついて、マイロはがしがしと頭をかく。
「クラウドは……おかしくなっている」
「どういうこと?」
「よほどお前が生贄になったことがこたえたんだろう」
……クラウドは、エリザと結ばれるためにセリーヌを生贄にしようとしたのではなかったのか。
けれど、それを聞く前にもっと衝撃的な話がマイロから飛び出してきた。
「正気じゃない。セリーヌが無事なのは嬉しいが、生贄を奪還した上に魔界へ兵を差し向けようだなんて……」
「兵を!? ちょっと待って、どういうこと……?」
なんのために毎年貢ぎ物を送り続け、セリーヌを生贄として魔界に送ったのか。
真実は勝手に人間が怯えていただけで魔族が望んだことではないとはいえ、人間が魔族に敵わないことだけは事実のはずなのに。
「今日の作戦会議もその一貫だ。クラウドと騎士団は本気だよ。神殿もその気になっている」
「そんなまさか……」
セリーヌに言わせればあまりにもありえないことだが、クラウド一人が先走っているわけじゃないということか。
「あまりにクラウドの動きがおかしいから、俺も色々調べたんだ。その結果セリーヌを取り戻そうとしていることも知ったわけだけど……そうだ、本当にセリーヌにもすまないことをした。まさか、俺の家族があそこまで腐っているとは……」
セリーヌは思わず瞬いた。
マイロがまさか謝るとは思っていなかったのだ。もっというなら、こうして会いにきたことすら意外に思っている。
しかし今はそれどころではない。
「それはいいの、それより、他に何を調べたの?」
マイロは前のめりになり、顔をできるだけセリーヌの方へ近づけてこっそりと言った。
「魔族には人間程度の魔法は効かない。魔族の魔法が強すぎて剣や他の武器も通用しない。だけど、魔族に対抗できる武器を神殿が手に入れたんだ」
「えっ!?」
そんなものがどうやって手に入るというのか。
驚きに言葉に詰まっている間に、マイロは続けた。
「それからもう一つ。……セリーヌが魔界に送られた後、ついに聖女が現れた」
「そんな……まさか」
一瞬自分が聖女であるとバレたのかと思ったが、マイロは聖女はセリーヌが魔界に送られた後に現れたと言った。
ありえない。だって聖女はここにいる。
「初めは誰も信じなかった。だけど、神殿で証明したんだ。魔物にその血を飲ませて、見事絶命させてみせた」
「嘘……ま、待って。その聖女って誰なの?」
マイロは心底嫌そうに顔を歪めて吐き捨てた。
「女神は自分の愛し子の魂や精神の美しさは求めないらしい。──聖女は、エリザだ」
セリーヌは今度こそ言葉を失った。
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