第24話 愛しているからこそ

 

 異変が起こった頃、セリーヌは部屋で荷物の整理をしていた。

 夜の間に、すぐに出て行こうと思っていたのだ。


 しかし、そのうちに何かピリピリと肌が粟立つような奇妙な感覚を覚えた。


(なに……?)


 戸惑い、立ち上がろうとした次の瞬間、部屋の中が真っ白になる程の強烈な光が発生した。


「きゃっ……!?」


 思わず顔を背け、手で庇うように身を翻し、目を瞑る。

 光が収まった後も、あまりの眩しさにすぐには目を開けることができない。


「――セリーヌ」


 誰もいないはずの部屋でかけられた声に、時が止まったような気がした。


(嘘よ……そんなはずがない……)


 まだ目が開けられない。

 ブルブルと震え、うずくまったままでいるセリーヌの肩にそっと何かが触れた。


「セリーヌ、ああよかった……! 本当に無事だったんだね!」


 セリーヌの肩に触れたのは誰かの手だった。

 信じられない思いで、やっと瞼を開く。床に向けた目に絨毯の模様がハッキリ映る様になり、顔を上げると、そこには――。


「セリーヌ、大丈夫かい? 遅くなって済まない。でも、もう大丈夫だ」


 安堵の浮かぶ泣きそうな顔でこちらを見つめる、クラウドがいた。


「どうして……」


 呆然と呟くセリーヌの視線に合わせて、クラウドもその場に跪く。


「詳しい話はあとで。今はまずここから逃げないと!」

「逃げる……?」


 全く状況が飲み込めない。

 なぜクラウドが魔界にいるのか。おまけにここは魔王城だ。

 どうやってここへ? そもそもなぜこんなところへ?


「セリーヌ?」


 クラウドの手がセリーヌの頬にのびたところでハッと我に返る。


「いやっ……!」


 伸ばされた手を振り払い、急いで立ち上がると、セリーヌはすぐにクラウドと距離をとった。


「セリーヌ、聞いてくれ。私達の間には大きな誤解がある。だけど、今はそれどころじゃない。魔王や魔族に見つかる前に、早く逃げよう!」

「意味が分からないわ……! それに、逃げるってどこへ」

「人間界にさ! こんなところにいては、いつ殺されるか分からない! とにかく話は人間界へ戻ってからにしよう。さあ、こっちへおいで」


(私が、人間界へ帰る……?)


 ルシアンの元を去ると決めても、人間界に帰るなんて一度も選択肢に上らなかった。

 それは単純に方法がないからという理由もあるが、なによりも、人間界にもセリーヌの居場所などないと分かっているからだ。


 帰れるわけがない。帰りたくもない。


「私――」


 その時、勢いよく部屋の扉が開け放たれた。


「セリーヌ!」


 息を乱し姿を見せたルシアンに、クラウドとセリーヌは思わず振り向く。


「あ……」


 ルシアンはクラウドの姿を見て顔を顰めている。

(そうだわ、魔王様は私に婚約者がいたことを知っていた。まさか、クラウド様のことも知っている……?)


「お前はなぜここにいる?」


 ルシアンが優しい人だと知っているセリーヌでも、底冷えする程の恐ろしい声だった。

 何もできずに立ちすくむセリーヌに、クラウドが急いで近寄るとその手をもう一度伸ばした。


「セリーヌ! 早く!」


 ルシアンは何かに気付いたようにハッとすると、縋る様にこちらを見た。

 セリーヌとルシアンの目が合う。ブルーグレーの瞳が揺れている。

 その目に浮かぶのは不安と恐怖だ。


「セリーヌ、人間界へ帰ろう! 早く私の手を取るんだ!」


 目の前に差し出されたクラウドの手。

 けれど、セリーヌは愛しいルシアンから目を逸らせない。


「早く! ……君は、私を愛しているだろう!?」


 叫ぶようなクラウドの声に、体が突き動かされた。


 セリーヌはクラウドのことなどもはやなんとも思っていない。拒絶も何もないほどに。

 けれど、目の前にいるのは愛するルシアンだ。……決して、結ばれてはいけない人。


 愛しているからその手を取れない。

 愛していないから……この手を取るべきなのかもしれない。


 混乱の中で、ルシアンの後ろからメリムやシャルル、フレデリカの姿も現れた。


「やだやだ、セリーヌ様、メリムを置いてかないでよお!」

「セリーヌ様、どうして……陛下、何をしているのですか!」

「セリーヌ様っ! どこにいくつもりなの!?」


 セリーヌはクラウドの差し出された手を取った。

 視線はルシアンから離すことができないまま。


 その目がみるみるうちに絶望と悲しみに染まっていく。


(ごめんなさい……愛しています、魔王様)


 決して伝えることができない想いを胸に抱いて。

 重ねられた手が、クラウドによって力強く握られる。


「よかった、セリーヌ! さあ、帰ろう!」


 次の瞬間、またもや眩しい光がセリーヌやクラウドの体を包み込んでいく。

 今度は光の中心にいるからか、眩しくて目が開けられないなんてことはなかった。だが、どんどんと視界が真っ白に塗りつぶされていき、何も見えなくなっていった。

 それでも最後の最後まで、セリーヌはルシアンから一度も目を逸らすことができなかった。


 ついにブルーグレーの瞳がどこにあるかが分からなくなった瞬間、空気と景色が一瞬で変わる。



「セリーヌ、どうして──」


 最後に耳に届いたのは、これまで何度もセリーヌに幸せをくれたルシアンの、零れ落ちるような声だった。


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