最終回 「嵐を消したあと」
目を覚ますと、俺は宿屋のベッドに横たわっていた。窓の外はすっかり暗くなっている。ずきりと肩の痛みがして、顔をしかめる。肩には包帯が巻かれていた。
「……英雄のお目覚めですね」
ナキが扉の前に立っていた。安堵と落胆の入り混じったような複雑な表情をしている。水の入ったコップを俺に渡すと、椅子に腰掛けた。
「傷は痛みますか?」
「うん、かなり。手当てしてくれたんだろう? ありがとう」
それを聞いてナキは目線を落とした。
「いえ、いいのです。その……私の不注意であなたに――」
「いや、謝らなくていいんだナキ。本当に」
「え?」
「あれは……主張のぶつかり合いでそうなっただけって感じだろ? どっちも退けなかった。その結果、自分の判断で俺が怪我しただけだ。だから気にしないでくれ」
ナキは不思議な物でも見るような目つきで俺をじろじろ見た。
「テンヤとの戦いであなたはなんというか……
「そうかな。それはほら、勝って気分が良いから」
逞しい、なんて言われると気恥ずかしい。実際、高揚感で言うことが大きくなってるだけだろう。
「それより、ナキ。あの後どうなったんだ?」
「えぇ、テンヤは逃げました。一応、同盟で行方を追うつもりではありますが、見つかるかどうかは何とも」
「そうか……」
ナキは俺の希望通りにテンヤを見逃してくれた。その事実にホッとした。
「ありがとな、逃してくれて」
ナキは不服を表明するように大袈裟に腕を組んだ。
「あそこまでされたら、退くしかないでしょう。作戦の立役者に万が一にでも死なれては困りますしね。まぁ、テンヤは魔力を失って脅威では無くなりましたし、これに懲りて表舞台にはもう出てこないでしょう。報告が少々面倒ですが。貴方にもちゃんと報告書の作成、手伝って貰いますからね」
「あぁ、勿論」
微笑む俺にナキは頬を膨らませた
「全く……。あぁ、そうそう。それと、テンヤの仲間のあの三人、彼らも魔力を失ったようです」
「え、そうなのか?」
ナキは少し楽しそうに語る。
「実は、彼らもあの平野へ現れました。テンヤの魔力を感じたようです」
「大丈夫だったのか?」
「えぇ、私が撃退して、邪魔をしないよう拘束していました。オミヒトを介抱した後、戻ってみると、すっかりしおらしくなった三人がいました。どうやら、テンヤはあなたとの戦いで危険を感じたのか、三人の魔力を没収して自分に還元していたようです。彼らの魔力は空っぽになっていました。拘束を解くとすぐに逃げました。後を追いはしませんでしたが、今頃はフレック卿の所へ駆け込んでいるでしょうね」
「そっか……。じゃあ終わったんだな」
「えぇ……。予想とは違う着地ですが、やり遂げましたね」
俺とナキは目を合わせて微笑んだ。
「おいしい葡萄酒があるのですが、お祝いに一杯如何です?」
「あぁ、飲みたいな」
やっぱり、葡萄酒は俺の口には合わなかった。
それから一ヶ月が経過した。あれから色々と事が進んだ。テンヤ討伐を成した次の日には、テンヤが行方をくらませたことがハイシ中に知れ渡った。多分、同盟が手を回したんだろう。そしてその日の内に、フレック卿とその家族、そしてヴォイド達三人は行き先を伝えずにハイシを発った。もう、戻ってくる事はないだろう。テンヤのいなくなったハイシは少しずつだが、変わりつつある。
俺は、久々に体を動かすため、街へ出た。ここの所、ナキの報告書の作成に付きっきりで退屈していた。怪我はまだ完治していないが、もう問題ないレベルまで回復した。ハイシは未だ寒い日が続いているが、今日は雲一つない青空で気分は良い。
街の中心まで歩くと、ギルドの前に通りかかった。
「おい、早くいこーぜ」
「待てって、依頼書忘れてるぞ! おわっ」
ギルドから出てきた人とぶつかりそうになった。
「ごめん!」
「いえ、大丈夫です」
二人組の若い男の冒険者はお詫びもそこそこに駆けて行った。
ギルドは冒険者登録の制度を改めた。厳しい審査を辞め、希望する者には登録の手続きをし、依頼を与えた。以前、冒険者だった人達も噂を聞きつけ戻ってきており、依頼も増え、連日賑わっているようだ。
俺は街行く人に聞いて、花屋へ行った。そこで花束を買った。行きたい場所があった。その目的地を探して歩く。
「……ここだな」
見覚えのある路地裏へと歩を進めた。今日は晴れていて、あの日の夜とはかなり雰囲気が違うが、ここで間違いない。鮮明に記憶が蘇る。そこにあったはずの遺体は……無くなっていた。親族がいたのか、それとも街の管理で処理されたのか。しかし、まだ臭いは微かに残っている。花束を置き、しゃがんで手を合わせる。自己満足に過ぎないが、誰かが
その後は、特に目的もなしにふらふらと歩いた。やがて、街を見渡せる小高い丘に辿り着いた。遠くにテンヤの城が見える。
テンヤの行方は一ヶ月経った今でも、不明のままだ。生きているかさえも分からない。テンヤの自慢だった城は、高価な美術品や家財道具は全て売り払われ、街や村の復興などの財源に充てられたと聞いた。このハイシにテンヤがいたという事実は消えつつある。忘れようとしているのかもしれない。
テンヤという人間は、このハイシに巣食う病だった。それは疑う余地はない。しかし、一歩違えば、俺もテンヤのようになっていたかもしれない。同じ異世界人としてそんな思いが拭えずにいる。
そんな思案に耽っていると、後ろから声をかけられた。
「ここにいたのですね。探しましたよ、オミヒト」
振り返ると、ナキが歩いてきた。その表情は柔らかい。
「どうしたんだ? 用があるんなら宿屋で待ってれば良かったのに」
「えぇ、そうなんですけど、早い方が良いかと思いまして。はいどうぞ」
ナキは懐から何やらネックレスを取り出した。透明な水晶が中央にあしらわれた綺麗なネックレスだった。
「これって?」
「ハイシにおける冒険者の証です。以前、二人で登録したでしょう? 仮のものをあの時は渡されましたが、これが正式なものです」
「ありがとう。でも急ぐ必要あったのか?」
急いで渡すほどの物か? それとも仮のネックレスは付けてるとまずいのか。ナキは、何故か視線を外してぶっきらぼうに答えた。
「これは……私からの成功報酬です。これからも組織には協力してもらいたいですが、それとは別に、いざという時のために稼ぎ口があった方が良いでしょう?」
俺はそれを聞いて、不意に
目頭を抑える俺を見て、ナキはおろおろしている。
「大丈夫ですか? そんなに喜んでくれると、こっちも甲斐があったというものですけど」
「あぁ、本当に嬉しいよ。これ欲しかったんだ。ありがとうナキ」
「は、はぁ」
早速、仮だった質素なネックレスを外して、新しいネックレスを付けてみた。
「どうかな?」
満面の笑みで俺は聞いた。
「えぇ、似合って……いや普通ですね。どうと言われても、ただの冒険者証ですし、反応に困りますよ」
「フフ、だよな」
ナキが一歩後ずさった。
「何ですか、さっきから。様子がおかしいです」
「そりゃあ嬉しいさ。ナキも俺のこと少しは認めてくれたのかなって」
ナキはそれを聞くと、気恥ずかしそうにぷいっと視線を外した。
「それは認めざるを得ないでしょう。テンヤ討伐の功労者は間違いなくあなたです」
「そんなことない。ナキがいなきゃ成功しなかった。二人の手柄だ」
これは本心だ。そもそも、俺は手を貸しただけに過ぎない。
「そうですか? なら、そういうことにしておきましょう」
ナキが優しく微笑むと、一陣の風が吹き抜けた。ナキは風に吹かれる髪を撫で付けると、丘にある柵に寄りかかった。
「ハイシは奪われたものを取り戻し、徐々に元の姿へと戻っていくでしょう。その行く末を我々は見守っていかなければなりません」
「テンヤがいなくなってこれから良くなっていくんだな」
「そうとも言い切れませんよ」
「え? だってギルドは元に戻ったじゃないか」
「確かにギルドは元通りです。しかし、これまでテンヤが担っていた強力な魔物の退治は冒険者でやらなければなりませんし、また、テンヤという大きな後ろ盾をなくしたハイシに漬け込もうとする輩が現れるかもしれません」
俺が考えていたことはあながち間違いじゃなかったのか。これこそ、テンヤを倒した事で発生する別の問題じゃないか。
「そんな、一件落着とはならないのか……」
「ですが、そこまで悲観する必要はないですよ。あなたも街の活気を見たでしょう? この街はまだまだやれます。それにハイシが安定するまでは組織も陰ながら支援していくつもりです」
「……そっか、そうだよな」
「そんなに心配なら、ここに住めばいいじゃないですか。別にあなたの居住地まで縛るつもりはありませんし」
「あぁ、その手があったか」
そうか。ここに住めば、何か起きても俺はまた関われるわけだ。
「なら、ここで家でも探すかなぁ。宿屋でもいいな。そうだ、ナキもここに残るのか?」
「どうでしょう。しばらくは残るつもりですが、召集がかかれば、ここを発たないといけないでしょうね」
その言葉は次の任務を匂わせるものだとすぐに分かった。最近、忙しくてこの手の話はしてなかったが、それを確認することもここに来た理由の一つだろう。
「……ところで、オミヒト。あなたの意思を今一度、聞きたいのですが……。まだ我々に協力してくれるつもりはありますか?」
ナキは柵から立ち上がると、いつもより少し細い声で聞いた。
「うーん……なぁナキ。テンヤみたいな異世界人ってまだ沢山いたりするのか?」
「います。世界中に」
ナキは意志のこもった強い瞳で言った。俺は溜息をついた。このまま同盟から離れるってのも悪くない選択だと思う。ナキの粋な計らいでハイシの冒険者証は手に入ったし、テンヤ討伐の報酬もある。生活には当分困らないだろう。ナキに飯を無理矢理奢ってもらった時とは状況が違う。ゆっくり考えよう。
「そうだなぁ。もし仮に、俺が協力しないと言ったら、どうなるんだ?」
同盟は、まだ信頼に足る組織なのか確信が持てない。そもそもが危険思想の集団だし。このまま身を預けても良いのか、それとも離れるべきか、この世界の常識がない俺には判断がしにくい。
「少なくとも、命を奪う、なんてことはありません。初の異世界人討伐を成し遂げたあなたの評価は高い。それに、あなたの魔法は異世界人にとってまさに天敵。無下にする理由がない」
ナキの語気は力強い。多分本当だろう。
「といっても、まだ反対派の目もありますし、完全な自由はないでしょう。監視下にある中での生活、ですね」
「そうか……」
逃げる、というのは止めておいた方がいいな。右も左も分からない異世界で、全容も分からない組織に追われながら生きるなんて、危険極まりない。
「……分かった。協力するよ。それ以外、選択肢はなさそうだ」
少し棘のある言い方をしてしまった。ナキは目を細めた。
「そう、ですか。ひとまず安心ですね……」
ナキは俺の機敏を読み取ったのか、申し訳なさそうに口を一文字にした。
「あなたに言っておかなくてはならないことがあるんです」
「何、なんだよ」
「実は、あなたの魔力を泉に返す方法は無いのです。少なくとも、私達はその術を知らない」
「……えぇ〜」
マジかよ。まぁ、俺は異世界人だし? 信頼されないのは分かってたけど……。俺に有利に働く事実を隠してた訳だ。それもショックだけど、気になるのは、
「はぁ〜、そっか。けどさ、なんで教えてくれるんだ? 黙っておいた方が良いじゃないか」
ナキは視線を逸らして話した。
「組織の元々の思惑としては、期待していませんでした。異世界人を使って異世界人を倒す、などという荒唐無稽な作戦は望みが薄かったんです。異世界人を利用する危険性を踏まえて、ある程度の縛りが必要だというのは当然の一致でした。そのための嘘です。そして私が来たのも。万が一にでも異世界人が反発すれば、私が対処する手筈でした」
「なるほどねぇ」
同盟の長、ゴードンさんを思い出す。柔和な感じで俺に接していたが、やはり、最初から信用なんてされていなかった訳だ。まぁ相手の立場を考えてみれば、当然か。テンヤを倒した事でそれが変わるのか、気になるところではある。
ナキはそこで俺に視線を合わせる。煌めく金色の瞳がじっと覗く。
「しかし、こうしてテンヤを共に倒したことで、私は、あなたに対する認識を改めなければならないと思いました。例えあなたが異世界人であったとしても、尊重すべきだと。それがあなたに緑光の嘘を教えた理由です」
なんだかこそばゆい気持ちになる。ナキの厚意は嬉しいが、そのまま受け取ってもいいものか……
「まぁ、どのみち気づかれることです。ここで言っておけば、ややこしくなることはないでしょう?」
ナキは場を和ませようとしたのか、俺の考えていたことを見透かすように言った。
「ハッ、そんなこと言ったら余計にややこしくなるぜ」
ナキは口を歪ませた。確かに、印象を良くするという思惑もあるんだろう。どのみち、緑光は同盟みたいな場所でしか力の使い所が無い。それを見越して嘘をバラした可能性もある。けど、こんな込み入ったことをナキに聞く気にはなれない。厚意ということで一旦は終わりにしよう。持ちつ持たれつだ。俺には俺の考えがあり、お互いに利用し合えばいいんだ。
「正直、このまま離れようかな、なんて思ったんだけどさ、知ってしまった以上は関わらないといけない気がするんだ」
「責任を感じているのですか? 異世界人と言えど、悪事を何も働いていないあなたが感じる必要はないと思いますけど……」
「そんな大層なものじゃないさ。なんていうか、俺の思い描いてた異世界はこんなんじゃなかったんだ。だったら、それを実現するために組織に協力して理想の異世界を目指す、って感じかな」
ナキは首を傾げた。
「ふむ、その結びつきはよく分かりませんが、あなたにも目的があり、それに利害が一致するから協力する、ということですね」
「そう、そんな感じ」
この感覚は異世界人じゃないナキには想像しづらいだろう。俺も剣を振るったり、魔法を使ったりして冒険をしてみたい気持ちがある。でもそれは決して他人を貶めたり、出し抜いたりしてやることじゃない。しかし、俺以外の異世界人がそんなやり方をしていれば、いつか俺にも不都合が降りかかってくる。ならば、気兼ねなく生きられるよう変えていけばいいんだ。その力も偶然に得たわけだし。そして、いずれは俺がこの世界に来た理由や帰る方法を探そう。
「なら、これからもよろしくお願いしますね、オミヒト」
ナキがはにかんで手を差し出した。俺もそれを握り返した。
忘れてはいけないのは、緑光をまだ手放したくないという思いもあって協力を続ける、ということだ。嘘が分かっておじゃんになったけど。ナキから提案されなくとも協力するつもりでいたのは確かだ。
俺はテンヤのようにはならない。けど、戦いの中であの高揚感を知ってしまった。得も言われぬあの感覚は忘れることはない。この自覚を持ち続けていなければ、あっという間に俺は緑光という魔力に取り憑かれるだろう。
ナキはそんなことを考えている俺をよそに口を開いた。
「契約の継続も兼ねまして、一つ、依頼でもこなしませんか?」
「ハハッ、いきなりかよ。……で、どんな?」
「魔物退治です。マドロ家のあった村の周辺によく魔物が出没しているそうです。これはハイシのためになりますよ。どうですか?」
あの村か。後始末ってとこだな。
「あぁ、やろうぜ。ヤバくなったらナキに助けてもらうけど、それでも構わないか?」
ナキは鷹揚に腕を組んだ。
「仕方ありませんね。あなたの緑光は異世界人以外だと、てんで効きませんものね」
「口答えできないのが辛いな」
ナキの氷の方がよっぽど使い勝手が良いなと思うね。
俺達は馬を借りるため、一度街へ下りることにした。
「そういや、あの村に行くなら一つ試したいことがあるんだよな」
「何です?」
「緑光はさ、異世界人の魔力を奪うんだけどさ、それなら、土壌を汚染してるテンヤの魔力にも効きそうだと思ってさ」
ナキは驚いたのか、その大きな目をさらに見開いた。
「それは……試す価値がありそうですね」
「だろ? 上手くいけば、村を元通りに出来るかもしれない」
テンヤと戦った平野も、魔力を大量に使った影響でさらに草木が生えない範囲を広げてしまった。そこも何とかしたいと思っている。
「それにしても、あなたの緑光は奇天烈な魔法ですよね」
「うん、ひねくれてるよな。けど案外、俺に合ってる気がするよ」
「意外です。気に入ってるとは」
「俺の目的と合致してるし、何より変わり種ってのは、ロマンがあるからな」
「……よく分かりませんね」
「何でだよ」
俺達は他愛のない話をしながら歩いた。空は高く、太陽がほんのりと温みをたたえている。俺達の側を数人の子供達が楽しそうに走って行った。街の喧騒が今日は心地よく感じられる。
「ずっとこんな風に続いていくといいな」
「えぇ、そうですね」
俺の唐突に始まった異世界生活は、振り返ると前途多難だった。死ぬかもと何度思ったかわからない。けど、少しずつではあるが前進している…………と思う。
夢の異世界、彷徨く魔 千湖 @senda
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