ロストボーイ

ギヨラリョーコ

第1話

 人を始末するなら埠頭の倉庫に限る。


「俺が八歳の時のクリスマス、ママンがケーキを買ってきた」


 倉庫は人気が無いし広いし、何より汚れを流すのが楽だ。ただ、まだ秋なのに底冷えするのは何とかならないものか。

 ガサガサと響くのはローディがハードキャンディの袋を漁っている音だろう。


 俺はダクトテープで両手両足をぐるぐる巻きにされて床に転がされている哀れなスパイ野郎のナップザックを検分するのに忙しかった。どうせ何度も聞いた話だ。


 最低限の灯りしかついてない倉庫は暗い。天窓からの光も見当違いな場所に光を落とすばっかりで、懐中電灯で照らさないと手元がちゃんと見えない。垂れ目に童顔で、明るいところで見ると今一つ迫力に欠ける顔のローディは昔から暗いところで何かと仕事をしたがるので、その辺りの準備はもう慣れている。

 それにしてもしゃがみこんだコンクリートの床が冷たくて、早く帰りたいという感情がいや増していく。


「その年はいつになくうちにも金があった、ママンが羽振りのいい男と付き合っていたんだな。だからケーキも特別だった」


 話をする合間にガリガリとキャンディを噛む音が混ざる。続いて鈍い音がして、男が呻いた。ローディの先のとがった靴で鳩尾をやられたのだろうが、あれは痛い。俺も一度やられたことがあるからわかるが、ティーンの頃よりさらに痛くなっているはずだ。着痩せするタイプなだけで、ローディはあれで結構鍛えている。


「白と緑のクリームが塗ってあるホールケーキの上に、チョコレートで出来たクリスマスツリーと、砂糖菓子のサンタクロースが乗っていた。俺にとっちゃ夢みたいなケーキだよ」


 ナップザックの中身はさほど詰まってはいなかった。スマートフォンは着歴からこいつの仲間が釣れる可能性があるから取っておいた方がいいだろう。身分証明になるようなものは特にない。

 スタンガンはバッテリーを入れたままにしておくと燃やした時に破裂するから、それだけ抜いておかないと後で面倒だ。残りはまとめて燃やしてしまっていいだろう。


「当然サンタクロースは俺が貰った。ママンだってそのつもりだったさ。兄弟で一番のママンのお気に入り、可愛い末っ子なんだから。他の兄弟がねだるのも目にくれず、ママンは俺にサンタクロースをくれた。

 大喜びでサンタの頭を齧ったらどうなったと思う? 」


 俺はさすがに付き合いが長いとはいえ、ローディが「可愛い末っ子」だった時代を生では知らない。昔一枚だけ写真を見せてもらったことがあるが、なるほど確かに可愛らしいお子様だった。わがままが可愛いのは可愛い子が言うからだという事実に思いを馳せて嫌な気分になるくらいには。 


「砂糖菓子っていっても色々あってな、軽いメレンゲみたいなやつもあれば、硬いキャンディみたいなやつもある」


 まあこいつはでかくなってから知った話だ、とローディは軽く俺の方に視線を寄越す。

 それもそうだ、俺が教えたことなのだ。

 適当に相槌ぐらい打ってやってもよかったが、ナップザックの底の妙に硬い感触が気になってそれどころではなかった。

 寒さのせいで少し強張るナイフで布地を切って開くと、出てきたのは保護ケースに入ったUSBメモリだった。何のデータかは見当がつかないが、中身を云々するのは俺たちの仕事ではない。スマートフォンと一緒に分けておく。

 「用意良いよなぁ」とローディが小さく頭上で笑ったが、さっさとそっちの話を切り上げてほしかったので聞こえなかったふりをする。

 これ見よがしな音量で舌打ちされるが、構ってほしけりゃさっさと仕事を済ませろという気持ちを込めて断固とした態度で無視を決め込んでいると、肩口をごく軽く蹴られた。


 やがてそれも効果が無いと気づいたのか、ガリッと一際強くキャンディを噛んでからローディはスパイ野郎に向き直った。今のやり取りは奴の目にはどう映っただろう。


「俺が齧ったのは硬い硬いキャンディで出来たサンタクロースだった。思いっきり齧ったら、俺のか弱い歯は欠けちまった」


 ローディが歯を剥いて指差す犬歯は綺麗に生えそろっているはずだ。昨日だって散々近くで見てキスして舌で触ってついでに首まで噛まれたんだから間違いない。


「とはいえ乳歯だ、どうせ抜けて生え変わるんだから大して気にすることでもない。ところがママンはそうは思わなかった。かわいい末っ子の歯が折れて、ママンはかわいそうなくらい狼狽えていたよ。それだけじゃない。相当堪えたんだろう、ママンは二度とサンタクロースの乗ったケーキを買ってくれなかった。どんなにねだってもだ」


 ローディはしゃがみこみ、男の口に貼ったダクトテープを剥がして口に詰め込んだボロ布を引きずり出してやる。いつものお決まりの流れだから、見なくても分かる。

 案の定、俺の足元にべちゃりと唾液まみれのボロ布が投げられたので、どうせなら一緒に燃やしてしまおうと摘まみ上げて用済みのナップザックの中に突っ込む。一応ポケットまでひっくり返したが見るべきものはもう無さそうだ。


「さて、この話から得られる教訓はなんだ?」


 俺はようやく顔を上げて、転がされている男に目をやる。ひどく怯えているうえに、何を要求されているのか分からず混乱している。人間はこんなに汗が掛けるのか、というくらい顔じゅうからコンクリートの床に汗を垂らしているのが滑稽だ。

 しかし可哀想ではある。こんな意味もない質問に付き合わされて。


「あ、あ」


 ローディが急に黙るものだから、寒々しい倉庫には哀れな男の呻き声しか聞こえなくなる。

 必死に考えているところ悪いが、別にうまいことを言ってもこの状況が好転することは無い。いたぶって反応を見るだけの遊びだ。


「ハイ時間切れ」


 男の口が大きく開いたところで、ローディが勢い良く手を打ち鳴らすと、ガリガリ口の中のキャンディを乱暴に噛んで飲み下し、大きく口を開けて笑う。白い歯が暗がりでぼんやり浮き上がって見えた。


「正解は特に無いが、俺のお気に入りは『何事も見かけによらない』だな。あとは最近面白かった答えだと、『子供の頃に我慢をさせ過ぎると大人になってからおかしくなる』ってやつもある」


 そのどちらも俺が言ったものだ。

 最初は十六歳の時に、二つ目は三ヶ月前に。


「なんにせよ、学ばない奴に価値はねえな」


 ローディは大袈裟に足を上げて、男の胸を思いきり踏みつける。男は大きく咳きこんで血を吐いた。


「暴れんなよ、狙いが外れるとそれだけ苦しむ」


 こっちも見ないで手をひらひら伸ばすので、オートマチックピストルを手渡してやる。男の胸を踏んだまま、ローディは男の額に銃口を押し当てた。その距離で狙いも何も無いだろうとは言うまい。

 ガン、ガン、と硬いものを打ち抜く炸裂音が倉庫に響く。耳がキンと痺れて一瞬何も聞こえなくなる。

 血と火薬の臭いが冷たい空気にぶわりと混ざる。暑いともっと臭うから、やはり寒い倉庫で殺すのは理にかなっているのだなと思った。


「よし終わり。ハンク帰ろう」

「終わりじゃねえよ、あとこれ燃やして、その辺血がついてるのも流さねえと」

「は?めんどくせぇ、早く帰りてえよこんな寒いとこ」

「俺だってごめんだよ。だから最初から縛るだけじゃなくて袋に詰めて連れてくりゃ良かったんだ。それなら楽だった」

「わかったよ、次からそうする」


 適当なやつを呼びつけて始末を任せられないこともないのだが、俺たちの上にいるエドに「あまりローディのワガママに下のやつらを付き合わせるな」と以前怒られたことがあるのであまりやりたくない。お説ごもっともだ。


「あとこれ終わった後エドんとこ寄ってけって言われてたろ」

「げェ」


 大げさに舌を突き出してから、ローディはキャンディをもう一つ口の中に放り込む。まあおおむねいつもの通りだった。







 サミュエル・〝ローディ〟・バンクスとは、家からもハイスクールからも追い出されてダフ屋で小銭稼ぎをしていた時に知り合った。というより、ローディが当時いたグループとシマが被ったせいで取り囲まれてボコボコにされたのだ。

 俺はたんに変に抵抗するより傷が浅く済むと思って大人しくしていただけなのだが、なぜか「肝が据わってる」と気に入られた。


 砂糖菓子のサンタクロースの話はあのころからローディのお気に入りだ。ローディのグループに入ってすぐ、「この話の教訓はなんだと思う?」と初めて尋ねられて、「何事も見かけによらないってことか」と答えたとき、俺はサンタクロースそのものよりも、ローディのひょろい体形のわりに重いキックのことを考えていた。

 まだ一つ年上だということは知らなかった。

 

 しばらくすると、捌くのがNBAのチケットからLSDに変わった。その辺りを仕切っていたギャングに売り子として使われるようになったのだ。稼ぎは良かったがその分リスクも高い。知った顔が何人か捕まったし、それでもまだましな方だ。下手な方法で足抜けしようとして死んだやつもいる。


 俺とローディは要領というより運が良かった。


 グループの中でギャングとの連絡役にいたやつがよりにもよって情報をもって抜け出し、俺たちが始末をつけたのだ。

 それを評価されたのか、売り子ではなくそれを取りまとめる立場になって、あとは転がり落ちているのか這い上がっているのか分からないが組織の中で任される仕事が少しずつ変化していった。

 今のゴミ処理めいた仕事がどの程度組織の信頼を受けた結果なのかは分からない。 

 ローディの年を知ったのはその頃だった。童顔も相まって、てっきり年下だと思っていたので驚いたが、おおっぴらにガキ扱いされるのを嫌っているのは分かっていたので、顔には出さなかった。ローディもしばらくの間、俺の方が年上だと思っていたらしい。

『じじくせえ顔しやがって』

 俺の記憶が正しければローディはその時ちょっとガッカリしていたように思う。

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