第8話「ミカン科ミカン属の常緑低木」
「檸檬…今日も来ないですって…」
昨日誰かに嫌なことでも言われたんだろうか。朝から神様が大量の雨(なみだ)を流していた。
モモは喫茶店の窓から曇り空(そと)を眺めながら細々とした声で呟く。
「今日は来る予定だった麦ちゃんも急用で休みか…今日は穂乃香も部活で来てないし、久しぶりに二人きりになるわね」
「そうですね」
平日の真昼間だからか、顧客一人以内喫茶店のホールで緑は特性抹茶ラテを口をつける。
ふぅ…と一息つき、花柄のカバーが付けられたスマートフォンを不慣れな手つきでいじっていく。
「ふふふ…」
「?どうしたんですか?緑さん?」
突然、口元に柔らかい笑みを浮かべた相手を不思議に思い、言葉を使って尋ねた。
「ん?いや、みるくちゃんがLINEでね。おかしな文章を送ってくるのよ。面白い子よね…」
「みるく…ですか…」
例えば今の言葉がメールで送られてきたならば最後に暗い表情をした絵文字が付けられているだろう。
放たれた言葉の奥に何かを感じた緑は優しい声で言った。
「…モモちゃん。何かあったら私に相談してね」
保健室の先生のような声色で並べられた言葉に思わず「はい…」と頷くモモ。
「緑さん」
「何?」
「この前、檸檬との約束の話じゃないですか…」
思い出されるのは数日前の記憶。
檸檬と幼い頃、約束した〝喫茶店の珈琲(コーヒー)で世界を救う〟というもの。しかし、指摘された際、それは実在しない自分の双子(あんす)の姉だと言い張ったのだ。
「あの時、約束した少女は…みるくなんです」
同時刻 檸檬豪邸(ごうてい)前
「檸檬お嬢様はここには来ておりませんが…」
艶やかで美しい黒色のショートカットのメイドと対話を重ねる麦。相変わらず麦の自室より広い玄関で檸檬の居場所を尋ねていたのだ。
「登校はしたんですか?」
「…はい。今朝いつも通りの時間に…」
「何故こんなことを聞くのだろう?」と不思議そうな表情で答えてくれたメイドに一礼し、檸檬邸を飛び出した。
「麦(じぶん)を理不尽に停学に追い込んだ犯人」として檸檬が虐(いじ)められていた事実を知った途端、教室を一目散(いちもくさん)に駆け出してきたのだった。
一時間目まで待ってみたが、担任からの欠席連絡の通り今日は休むらしい。
恐らく麦がまだ停学処分で学校に行けてない数日前から酷い扱いを受けていたのだろう。
嫌な思いを
アルバイトには顔を出す精神は褒められるものだ。
開店前の喫茶「ニシキノ」早くから行っているのかと思い尋ねてみたが、全く来る気配は無い。
そして、今いるであろう檸檬の自宅に足を運んだのだが…
「家にはいないのか…でも、学校には行っているのか」
家族に虐(いじ)められている事はバレたくないのだろう。
巨大な檸檬の自宅が顔を並べる通りを歩みながら、行きそうな場所を考える。
「でも、保健室にはいなかったしな…」
麦は何も勝手に教室を抜け出てきたのではない。体調不良と偽り、保健室で早退の手続きをしたのだが、見渡してみたところ誰もいなかった。
「なら、どこに…」
カラオケやカフェで時間を潰していてもおかしくはないため、正直探す場所(こうほ)は無限にある。
とりあえず、歩みを始める麦の背中に聞き覚えのある声が飛んできた。
「待ってください!」
「ん?」
背後を振り返るとそこにいたのは先ほど会話を交わした檸檬亭に使えるメイド。
輪郭に汗を垂らしながら距離を詰めてくる。
「あなたの名前は?…教えて下さいますでしょうか?」
「え…わ、私の名前は…
訪問者の名前は記さないといけない決まりでもあるのだろうか。檸檬邸の人間の中では「ストーカー」という認識をされてしまっている麦。
名前を出した途端(とたん)、態度を変えられたらどうしよう。…一抹の不安が言葉を曇らせるが、檸檬と行き違いが起きないようにするため、名前を残しておいてもらうことは必要だ。
震える喉を絞り、「北条(ほうじょう)麦」の七文字を告げた。
「北条様、檸檬お嬢様に何かあったのですか?」
「いや…別にその…あの…」
頬に汗が滲(にじ)んでいるメイドは不安げな声で続けてこう言う。
「まさか、学校に来ていないんですか…!?」
メイドだけでなく麦も心臓が回転するリズムが早くなる。
「ち、違います…いや、あの…違わないけど…違うんです」
誰が聞いても嘘とばれてしまいそうな発言をすぐさま後悔してしまうが、メイドは勘(かん)が鋭いのか鈍いのか…変わらず何度か呼吸を重ね、裏返った声で尋ねた。
「檸檬お嬢様の居場所を探してくださってるんですね…」
「はい…!そうなんです!どこか行きそうな場所はありますか?」
自然な流れで訪ねることができた麦はほっと肩を撫で下ろし、相手の言葉を待つ。
「そうですね…檸檬お嬢様が…
「あっ!そう言えば最近街の風景をよくスケッチされています」
「街の風景…?」
「あっ!少々お時間いただけますでしょうか?」
と、言い残し、明らかに作業に邪魔でしかないメイド服を動かしながら、お手伝いは檸檬邸に戻る。
「これ…なんですが…」
数分後、汗で化粧とかしながら帰ってきたメイドが見せたのは檸檬が愛用しているらしいスケッチブック。中には高い位置から見下ろした景色が描かれていた。
「わぁ!上手い!」
「えへへっ!」と檸檬への褒め言葉をメイドは自分のことのように喜ぶ。
「この景色どこかで…」
顎に手を添え考え込む麦。名探偵ではないのだが、答えが出るのに時間がかからなかった。
「あっ!まさか…」
「わかったんですか!?」
「い、い、いや、勘違いでした。すいません…」
そうですか…と、がっかりした様子で肩を落とす。
「麦様、一応連絡先を交換してもよろしいでしょうか?何かあり次第伝えますので」
「そ、そんな…麦様なんて…」
初めて言われた様付けに抵抗を抱く麦にさらにメイドは言葉を重ねた。
「お嬢様の友達でずっといてくださいますか?」
「…」
不安げに胸に手を添え、尋ねるメイド。愚問(ぐもん)だ。答えは決まっていた。
「はい…!」
元気よく首を縦に振り肯定する。
「ありがとう…ございます」
両眼に真珠のような涙をため、喜びを表現したメイドと別れた麦にはとある場所が頭に浮かんでいた。
「屋上だ…」
「屋上しかない…」
力強く足を踏み出して加速していく麦を街行く人々が不思議そうに見つめる。
胸の内を支配する嫌な予感が本当に当たりそうなほど現実味を増してきたので気味が悪い。
それから数時間後…
バスと電車に長時間揺られ、学校までの道のりを猛ダッシュで駆け上がる。
「はぁはぁはぁ…」とあがった息を抑えるべく、口内に溜まった唾を飲み込んだ。
「はぁ…はぁ…ついた…」
早退で帰ってきた校内に戻ってきた麦は生徒達の雰囲気で今が昼休みであることを悟る。
現在時刻は一時過ぎ。学校の生徒は短い昼休みで四時間分の疲労を回復させるべく、羽を伸ばしていた。皆、おにぎりやパン片手に仲良く談笑を重ねていた。これは好都合だ。昼休みなら多少派手な行動をとっても目立つことは無い。
「ぐぅ~」と腹の音が我儘(わがまま)に声をあげるが、今の麦にはやるべきことがあるのだ。
廊下→階段→廊下を通じ、四階の屋上へと足を回転させる。
「はぁはぁ」と息を重ねるながら、屋上の扉の前にたどり着いた。
「…や、やっぱり…」
扉を開くため、ドアノブを握るが素直に右回転してくれた。普通、関係者以外立ち入り禁止の屋上へは鍵がかかって入れない筈だ。しかし、扉を開けてくれたということは…
ぎぃぃぃと不気味な音をたてながら扉が開かれる。
「!」
屋上のフェンスに乗り出した一つの人影に目を見開く。
綺麗なブロンド髪を持つその人影は紛れもなく探し人である萌木(もえぎ)檸檬だった。
屋上に足を踏み入れた者を守るために作られた筈のフェンスが老朽化により、一部破れており、その間から器用に抜け出した檸檬は今まさに四階から飛び降りるようだ。
「待ってよ!檸檬ちゃん!」
「!?」
胸の中に広がる衝撃を隠しきれず、驚きの声をあげた檸檬。
「早まったらダメだよ!」
麦の声が屋上に響く。
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