第36話 例え涙に埋め尽くされるとしても

 浅間さんの想いには驚いたけど、これまでの協力的な姿勢を振り返れば、特別な理由があった方が納得できる。気付いてたから寒川さんや愛華さんが止めたわけで、知らずにいた当事者じぶんの鈍感さには呆れてしまう。彼女の気持ちを考えると苦しい反面、それでも友達だと言ってくれる気丈さには救われた。感謝してもしきれないし、簡単には真似できないよ。

 一方愛華さんはと言えば、完全にフリーズ状態。まさかの選択に認識が追いつかないのか、はたまた見損なわれてしまったのか。さすがに不安になって話しかけようとしたところ、唐突に声を上げて号泣しだした。

 彼女の泣き顔を見るのは、今日一日で4回目になる。今まで溜め込んだ量にはまだまだ足りないだろうが、見る度に感情が引きずり出されそうで、受け止めるだけでも精一杯。腕で拭きながらも涙する彼女に、コツンと額同士を重ね合わせ、丸めの声色で尋ねてみた。

 


「なにがそんなに悲しかったんですか?」


「だって、分かんないの! 傷つけたくないのに美里ちゃん傷つけて、蒼葉くんのことも理解できてなくて、自分が何やってんのか分かんない!」


ってやつじゃないですか? 大切だから心は寄り添ってるのに、踏み込み過ぎてトゲが刺さっちゃっただけですよ」


「もうヤダよ………自分のせいで誰かが壊れるなんて、もう絶対イヤなの!!」


「それはお母さんと、あと旦那のことも含まれてますよね?」


「キミまで壊すくらいなら、もういっそあたしが壊れたいよ……」

 


 下を向いてぽたぽたと降った涙が、白いスカートと畳の中に吸われていく。しかし同時に零れた言葉は的確に俺の急所を狙い、突き刺さる痛みに身体がよじれそうになる。

 悲運な境遇と理不尽な暴力に加え、弱ってる時に友人と衝突してしまい、愛華さんの心は限界寸前なのだろう。手首を隠す包帯もぐしゃぐしゃに濡れており、光景そのものが痛ましい。あれこれ考えると支える自信が無くなってきて、こっちまで泣きたくなる。

 グッと奥歯を噛み締めた俺は、彼女の頬を両手で挟み、親指で雫を拭った。

 


「大丈夫! 俺も浅間さんもそう簡単に壊れないし、あなたのことも壊さないから!」


「でも、いっぱい我慢させたら……」


「んじゃ約束。お互い我慢せず、心も体も調子が悪くなったらちゃんと伝える。たまには甘えて発散するのもあり! これを徹底していこう」


「……ワガママ言ってもいいの?」


「もちろんっすよ! 風呂だって一緒に入るんでしょ?」


 

 確認しただけのつもりだったのに、触れてる顔の温度が上がり始め、みるみる真っ赤に染まっていく。俺を避けるように後退あとずさりしたかと思えば、愛華さんに背を向けられてしまった。これって照れてるよな。

 案外打たれ弱い一面があるらしく、これはこれでとても可愛らしい。気分転換も兼ねて少し茶化してみることにした。

 


「愛華さーん、なんでそっぽ向いちゃうんすかー?」


「……ちょっとビックリしただけ」


「ほほぅ、ビックリねぇ〜……。それで茹でダコみたいになっちゃったの?」


「ゆ、茹でダコって、例えが全然可愛くないよ!」


 

 ツッコミを入れながら勢いよく振り返った彼女は、潤んだ瞳と火照りが残るあたふたした表情。目が合った途端に膝を抱え、鼻から下を隙間に隠すも、目線だけはチラチラこちらに向いている。仕草の一つ一つが本当に幼くて、グッとくる気持ちが抑えられない。

 膝をずって近付き、ニヤけたまま質問してみた。

 


「どうしてビックリしたんですか?」


「だって……いきなり誘われたような感じで、恥ずかしくなったんだもん……」


「一緒に入りたいって言ったの、愛華さんですよー?」


「そ、そーだけど、キミが突然笑顔で言うから、なんかドキッとしたの!」


「あっはははっ! めっちゃ純粋じゃないすかー!」


「んーー! なんで笑うのさー!」


「だってそれ、あなたがいつも俺にやってることっすよ?」


「それは………大好きな人に、振り向いてほしかったから……」


「やっぱりSなんすか?」


「もーっ! 知らないよそんなのー!」


「あら? なんで寝転がるんです?」


「ワガママ言っていいってゆった。甘やかして」


 

 腕を振って怒り心頭と見せかけて、胡座あぐらをかく俺の脚を枕に使う愛華さん。不貞腐れて膨らむほっぺがを彷彿とさせる。指先でつついてみるとこそばゆかったのか、無邪気に笑って体を弾ませる姿は天使そのもの。あまりの懐っこさに蕩けそうになるけど、完全に幼児退行してるよなこれ。極度のストレスが原因となり、現実逃避や守られたいという意識が働いて、幼い行動になるって本で読んだ記憶がある。所謂防衛本能の一種だったはず。

 髪を撫でられて喜んでる彼女は、目に入れても痛くない。でもこうした甘え方が続く限り、精神的な負担も継続されてることになる。今回は仕方ないとして、これが苦痛の末に出るサインだと捉えると、なんだか切ない気分だ。

 


「蒼葉くん? なんか悲しいの?」


「ううん、悲しくないよ。自分の彼女が可愛すぎて見蕩みとれてた♪」


「なにそれ〜、もー見慣れてるでしょー?」


「それはないなぁ。たった一日でも知らなかった顔をたくさん知って、新しい愛華さんに出逢えたし」


「今日はあたしが甘える日だったから、明日はいっぱい甘やかしてあげるね♡」


「別に毎日交代しなくていいよ? ずっと頑張ってきたんだから、しばらく息抜きしたってバチは当たらないって」


「ううん、違うよ。蒼葉くんの照れたとこ見て、あたしが癒されるの♪」

 


 警戒心を欠片も出さず、安心しきって垂れた目元が綺麗な弧を描く。ほのかに色付いた小さなえくぼも合わさり、絶対的な信頼感に焦がされて、心がかれてしまいそう。

 よりにもよって、なぜこの人なんだ。どうして彼女ばかりが不幸に愛されてしまうんだよ。他の誰でもよかったじゃないか。悪人への天罰にでもすればいい。せめてその半分を俺に移して、彼女の痛みを和らげてくれよ。

 愛おしさが増す毎に、それ以上の苦しみが内側から湧いてくる。好きな人の悲しみに触れることで、こんなにも辛くなるなんて思わなかった。

 ここで俺が涙を見せれば、愛華さんがもっと自分を責めるだけ。負の連鎖を止める為にも、弱気になるわけにはいかなかった。

 


「そろそろ風呂入って、買ってきた酒とツマミで乾杯しますか!」


「えっと、ホントに一緒に入ってくれるの……?」


「いいっすよ! 愛華さんの望みなら全部叶えます!」


「全……部? 本当にいいの?」


「もちろん。男に二言はありません!」

 

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