第2話 思いやりが泣き虫な心に沁み入ります

 バックルームで制服に着替えて鏡を見ると、目元がだるんとして酷い顔だった。それでなくても整った顔とは程遠いのに、酒を飲んだ上に帰ってべそかいてりゃ、表情筋が崩壊して散々な有り様にもなるよな。


 昨夜はスマホを見返してしまった。最後の方のやり取りも至って普通で、二股かけられてたなんて今でも信じられない。

 でも気付いてしまった。ここ数日は俺からメッセしないと、時間が進んでなかったことに。気持ちが冷めてたなら送りたくもなくなる。デートで一緒に撮った写真も全部消さなくてはならない。そんなことを考えてたら自然と涙がボロボロ零れてた。すごく悲しくて悔しかった。そのまましたけど。


 気を取り直して売り場に向かい、レジの中で業務の引き継ぎをしてる最中、若奥さんの様子が妙に不自然だった。俺の全身を上から下まで何度も見返し、最終的に情けないつらをジーッと見つめてくる。

 挨拶の時にでも、何か気に障ったかな?

 漠然とした不安に駆られてると、急に質問を投げられた。

 


「石切さん、なんか痩せた??」


「え? ここ最近体重測ってませんけど、むしろ今日は浮腫むくんでるかと……」


「そう思ったんだけど、全体的に前よりほっそりしてるよ。ほっぺもやつれてるし」


「貴船さんが言うなら、そうなのかもっす」


「ちゃんと食べてる?」


「んー、まぁフリーターなんで、酒飲んで終わりの日もちょいちょい」


「若いうちから飲んだくれるのは、体に良くないよー?」


「はは……気をつけます」

 


 なんだったんだろう、今のは。俺の体調を気遣ってくれたのだろうか。自分もまだまだ若いのに、グイグイ迫ってくるし目力強いしで、反論する気になれなかった。

 去り際はあっさりしていて、いつも通り明るく挨拶をして帰っていく貴船さん。

 だが業務をこなしながら夕方になり、またもや理解不能な事態に直面する。

 


「おー、寒川さん、こんばんはー♪」


「あれ、貴船さん? 買い物にでも来たんですか?」


「それとついでの用事があって来ましたー」


 

 モワッとした夏の空気を纏い自動ドアから入ってきたのは、数時間前に帰宅した人だ。家が近いというのは聞いたことがある。しかし普通は、わざわざ職場まで買い物なんて来ないだろう。ありきたりなコンビニなんだし。

 レジから二人の会話を覗いてると、目が合った貴船さんがこっちに歩いてきた。

 


「はいこれっ。石切さんに♪」


「なんすかこの紙袋?」


「中身はちゃんとタッパーに入れてあるよー」


「いやそうじゃなくて……ん? 肉じゃが?」


「作りすぎちゃったからおすそ分け。冷蔵庫入れとけば明日までは平気だよ」


 

 何かを背後にぶら提げてるのは分かってたけど、差し出されたそれが手料理だったなんて、誰が想像できるだろうか。しかも二つ目の容器には、野菜の炒め物も入ってるし。

 やっぱり彼女は心配してくれてたんだ。こんなふうに優しくされると、傷心中の身では傷口に沁み過ぎる。

 涙を堪えて鼻をすすっていたら、お礼を言おうにも口が開けられなくなっていた。

 


「えっ? どーしたの石切さん?」


「うっ……うくっ……」


「あー貴船さん、石切くん風邪っぽくて、何回鼻かんでも止まらないんですよ。少し待っててもらえます?」


「あらー、このおかず食べれますかねぇ?」


「だべばずっ!」


「た、食べるそうです」


 

 咄嗟に寒川さんがフォローに来てくれて、俺はレジ台の影にしゃがみ込んだ。本当に鼻水が止まらず、ついでに涙も溢れてくる。それらをティッシュで拭きながらも、変な風向きに思わず口を挟んでしまった。もしかしたらバレたかもしれない。感動のあまり泣き出したということに。

 落ち着いた頃に立ち上がると、そこにいた貴船さんは忽然と姿を消している。店内を見渡すと、何やらアイスコーナーで品定めをしてるらしい。彼女は満面の笑みでレジまで戻ってきた。

 


「これを買いに来たんですよー♪ すっごい気になってて、石切さんのはそのついで☆」


「じゃあアイス代は俺が払います!」


「えー、おかずの材料費、180円もしないと思うよー?」


「確かに材料費だけならそうかもしれません。でも料理は手間がかかるし、運搬費も考えれば、アイス三個でも釣り合いませんよ」


「ではお言葉に甘えようかな。店内は涼しいけど、念の為ウォークインに入れといた方がいいかも」


「はい、そうします」

 


 貴船さんが帰っていき、俺はドリンクコーナーの裏側に当たる、ウォークイン冷蔵庫に手料理を置きに行った。

 売り場に戻ると、寒川さんが怪訝そうな目でこちらを見ている。恐る恐る近付き、理由を尋ねてみた。

 


「どうかしましたか……?」


「どうもこうもないよね。逆に僕が訊きたいんだけど?」


「こんなことで嬉し泣きすんなってことっすか?」


「こんなことじゃないでしょ。いつからご飯作ってもらうような仲になったの?」


「俺にもさっぱり……。引き継ぎの時、痩せただろって心配されましたけど」


「はぁ……あのね石切くん、貴船さんは既婚者だよ? 若くても人妻なんだよ? 分かってる?」


「寒川さんは忘れてたんすか?」


「この流れでそう思ったのなら、君は国語の教科書でも読み返した方がいい」


「……つまり貴船さんと仲良くしすぎると、後々面倒になるってことですよね」


「理解してるならいいんだけど」


 

 当然その懸念はしている。どんなにお人好しな性格でも、これが習慣化すれば性格だけでは済まなくなるだろう。第三者から言われるまでもない。

 ただ今回は初めての事例だ。たまたま俺が弱っていて、それに気付いたお人好しさんが手を差し伸べてくれただけだ。深く考える必要はない。失恋後とはいえ、既婚者に手を出す度胸なんてはなからないんだから。

 バイトを終えてスマホを見ると、メッセの通知がきていた。相手はりっちゃんである。息を飲んでバナーをタップすると、意外な内容に胸の奥がザワザワとうごめき出した。



『テスト終わったので、明後日からバイト再開します♪٩( 'ω' )و また一緒にお仕事できますね♡』

 


 浮気現場見てたの、気付かれてないじゃん。

 

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