ネコバスの洗車は猫の手も借りたい

志雄崎あおい

ネコバスの洗車は猫の手も借りたい

 1


 街中を走り回る一体の獣。


 その姿は巨大な猫の姿をしているが、普通の猫ではなく側面に窓がついていた。

 窓から中を見ると、通勤客や通学客が椅子やつり革に掴まり揺られているのが見える。

 程なくしてバス停にとまると、中から利用客がぞろぞろと降りるのだ。


 巨大な猫はバスだった。

 それらはネコバスと呼ばれている。


 れっきとした生き物であり、この土地ではネコバスを公共交通機関として広く利用しているのだ。

 ダニエルはそんなネコバスの運転手をしていた。


「ふぅ、今日も一日よく働いたな」


 南ネコソギシティ循環。石レンガ造りの建物が立ち並ぶ都心の決まったルートを一日の間にネコバスで何往復もする。それがダニエルの仕事だった。

 一日の仕事を終えると、会社へと戻り缶コーヒーを手に一服する。


「スパルタクス。お前もお疲れさま」


 そして、スパルタクスと名のついた彼の相棒であるしまトラのネコバスに労いの言葉を掛ける。ダニエルが声を掛けるとスパルタクスがゴロゴロとエンジン音を鳴らして応えている。

 足よし、スタミナよし、椅子の座り心地よし、長距離を走る上ではこれ以上のネコバスはない。


 まったく可愛い相棒である。

 ダニエルが甘えるような態度で顔を擦りつけてくるスパルタクスの顎の下を撫でて機嫌を取っていると、


「にゃあ~」

「あ、おい」


 スパルタクスがのしかかってくる。

 腹も撫でろという事らしい。

 スパルタクスは無類の整備好き、ネコバスには珍しく腹を探られるのが大好きなのだ。

 仕方ない奴だなとダニエルが大人しくスパルタクスの下敷きになっていると、


「ダニエル。社長が呼んでるぜ」


 同僚のグレイグに声を掛けられた。


「社長が?」

「早く行った方がいいぜ」


 社長が? 何だろうか? 特に何か問題を起こした覚えもないのだが。


「わかった」


 不信に思いながらスパルタクスを車庫へと移動させると、ダニエルが社長室へと行った。

 社長室に入ると、社長は労いの言葉もそこそこにすぐに本題を切り出した。


「ダニエル、お前のネコバスを洗車しろ」

「ああ、はい」


 わざわざそんな事を言うために呼んだのかと、ダニエルは少々呆れながらも承知する。


「わかりました。じゃあ、今日にもトリマー業者に連れて行きます」


 多くのネコバス会社がそうであるように、ダニエルの努めるネコバス会社も専用のネコバスのトリマー業者と契約している。

 ダニエルにとってネコバスの洗車とは、その専属のトリマー業者に連れて行く事だった。

 その程度の事ならば、毎月やっている事なのでわざわざ社長自ら呼び出すまでもない事だと思うが。


「では、これで」


 全く大げさなとダニエルが社長室を後にしようと踵を返したその背中に社長の声が掛かる。


「ダニエル、ネコバスを洗車するんだぞ」

「は? どういう事ですか?」


 ダニエルは再び振り返ると、社長に詰め寄る。

 すると、社長は歯切れが悪そうに続けた。


「実は、今月お金が少し足りなくてな。トリマー業者に払う金がないんだ」


 なんという杜撰な資金管理だ。


「いや、しかし。自分はネコバスの洗車なんてやった事が……」

「なぁに簡単だ。水ぶっかけてシャンプーつけてゴシゴシ洗うだけだ」


 やる事は確かにその通りだが。


「そういうわけだ。お前の相棒じゃないか。たまにはお前が洗ってやれ」

 社長は高笑いをひとつするとバンバンとダニエルの肩を叩いた。





 2


 翌日、ネコバス会社へと行くと、


「その様子じゃ、お前も社長にネコバスの洗車を命じられたみたいだな」


 同僚のグレイグが彼のネコバスの洗車をしている所だった。


「も、という事はお前もだったのか」


 グレイグのネコバスはカエサルという名前で白い美しい毛並みが印象的なネコバスである。ちょうど、水をぶっかけてシャンプーをつけて、デッキブラシのような長い柄のついたブラシでゴシゴシ洗っていた。

 どうやら、ダニエルもグレイグと同じように社長からネコバスの洗車を命じられていたようだ。


「まったく、せっかくの休日だっていうのに参るよな」

「本当にな」


 グレイグがおどけるように言うのに、ダニエルも同意する。

 本来ならば今日は休日のはずで、ネコバスも運転手も英気を養う日だったはずなのだが、そこにネコバスの洗車という仕事が飛び込んできた。


 グレイグは一足早く会社に来てネコバスの洗車をしていたらしい。

 ダニエルはそんな彼の洗車ぶりをひとしきり観察すると、


「しかし、大人しいもんだな」


 グレイグに洗われているカエサルの様子は、それはもう穏やかなものだった。何なら気持ちよさそうに目を細めているその表情からは喜んでいるようにすら見える。

 ダニエルが感心するように言うと、グレイグが自慢げに声を弾ませる。


「こいつは綺麗好きなのさ。洗われるのも嫌いじゃないらしい。トリマー業者からも仕事がやりやすいってよく言われるよ」

「そうなのか」

「まったく、可愛い相棒だぜ」


 話している間にも、グレイグの洗車の工程はシャンプーを落とすすすぎの工程へと移っていた。ホースで丁寧にカエサルの体に水をかけていく。

 それから、巨大扇風機のようなドライヤーで濡れた毛を乾かしていくのだ。

 基本的にはネコバスの洗車の工程は、このドライヤーをかける工程で終了である。

 いや、というか。


「お前、手際が良すぎないか?」


 社長に命じられて仕方なくというわりには、あまりに作業に滞りがなさすぎる。


「実は、たまに洗車してやってるんだ。スキンシップの一環でな」

「スキンシップの一環で洗車なんてしてるのか」

「ああ、ネコバスとの仲が深まっていいぞ」


 グレイグはそう言うと、ニヤリと口角を上げた。


「ダニエル、お前も今からスパルタクスの洗車をするんだろ? 思ってる以上にネコバスとの仲が深まるぞ。ネコバスとの仲が深まれば操作の伝わり方もよくなって乗り心地もよくなるし、走行距離も増える。いい事だらけだ」

「いや、まあそうなんだろうが……」


 グレイグの言っている事は正しい。ネコバスの運転手にとってネコバスと仲を深める事はメリットばかりだ。

 ネコ缶一缶160コネ時代に突入している現在、単純に燃費がよくなるだけでもかなりのメリットがある。


「いや、しかし洗車はな」


 しかし、ダニエルは口ごもる。


「実は、スパルタクスはすごい洗車嫌いなんだ」


 実際にダニエルが自分の目で見たわけではない。

 しかし、スパルタクスの洗車嫌いの話はトリマー業者からよく話を聞いていた。

 トリマー業者の話を聞く限りにおいてはその嫌がりっぷりは凄まじいものらしい。


「今からもう憂鬱だ」

「洗車が嫌いなネコバスも多いからな。仕方ないだろ」


 軽い調子でグレイグが言うと、巨大扇風機のようなドライヤーの位置を変える。

 それからしばらく温風を浴びせ続けるとカエサルの毛並みは輝くような白色になっていた。

 触れなくても毛並みが柔らかい事がわかる。


「よし、終わりだ。カエサルご苦労だったな」


 グレイグのカエサルの体を労うように触れると、白いネコバスはそれに応えるように「にゃーん」と甘えるような鳴き声と共にグレイグに体をすり寄せている。


「うちのネコバスもこんな感じで終われたらいいんだけどな」

「そう、暗くなるなって。終わった頃にはお前らの仲も深まってるだろうぜ」


 グレイグの「がんばれよ」というやる気のないエールに送り出されて車庫のスパルタクスの元へと向かう。

 車庫に戻ると、眠っているスパルタクスの姿があった。

 ダニエルはスパルタクスを起こすと乗り込んでハンドルを握る。


 ネコバスのハンドルは輪の形をした尻尾であり、左右に回す事で操作する事が出来る。

 そして、足元の膨らみはそれぞれアクセルとブレーキのツボがあり、それを踏み込む事でネコバスを前進させたり停止させたりする事が出来る。

 そうして、車庫を出ると洗車をする為に外へとスパルタクスを移動させる。


「にゃ、にゃあー!」


 その途中だった。

 スパルタクスが鳴き声クラクションと共にガックンガックンと走行異常エンストを起こす。


「うぉ、どうした?」


 いや、どうしたのかわかっている。スパルタクスが走行異常エンストを引き起こすのは決まって洗車に連れて行く時だ。

 こいつ、すでに感づいてやがる。


 見れば事務所前の駐車場にはグレイグがカエサルを洗車した後が、くっきり水たまりとなって残っていた。

 それだけだったら、もしかしたらわからなかったかもしれないが現場には親切にもグレイグが洗車道具一式残しておいてくれたのだ。


 あいつ、余計な事を。と毒づいた所で状況が良くなるわけでもない。

 ネコバスが走行異常を起こした時こそ、ネコバス運転士の腕の見せ所だ。


「にゃー、にゃー!」


 完全に何をされるのか理解したスパルタクスの抵抗は止まらない。


「くそ、落ち着けって」


 ガックン、ガックンと急停止と急発進を繰り返しながら、洗車場へと何とか連れて行く。サイドブレーキのツボをこれ以上ないというくらいに目いっぱいに押す。

「にゃー、にゃー!」


 とスパルタクスの鳴き声クラクションが鳴きやまない。


「おいおい、勘弁してくれ。これじゃ近所から苦情がくるぞ」


 とにかく手早く終わらせるしかないな。ダニエルはホースを手に取るとスパルタクスに水をかけていく。


「おい、こら暴れるなって」


 水をかける度にスパルタクスが水を振り払うように暴れるので、辺りが思いっきり水浸しになる。

 当然、ダニエルの体もビショビショになっていた。

 しかし、それだけ暴れていてもスパルタクスは地面に縫い付けられているように一歩も動く事は出来ない。


 サイドブレーキのツボが効いているのだ。

 サイドブレーキさえかけておけば、とりあえずはどんなに暴れようが動き出す事はないのでびしょ濡れになる事にさえ目を瞑れば、滞りなく洗車を終える事が出来そうだ。

 あらかたスパルタクスに水をかけ終わって、ダニエルがシャンプーを取りに行った時だった。


「にゃ、にゃーーーー!」


 サイドブレーキのツボで動けないはずのスパルタクスが走り出した。


「なっ、アイツ!」


 サイドブレーキを振り切りやがった。

 ダニエルが気づいた時には、すでにスパルタクスは会社の門から出る所だった。

 慌てて追いかけるが、スパルタクスは公道を爆走しその後ろ姿はすでに小さくなっている。

 他のネコカーにぶつかりそうになっては「シャー、シャー」と威嚇クラクションを受けている。

 これは……まずい。


 自動運転勝手に動いている状態のスパルタクスが事故を起こしたら誰の責任になる?

 スパルタクス本人か?

 それとも会社か?

 いや、そうではない。

 間違いなくダニエルの責任になる。

 ダニエルの頬を冷や汗が伝う。


「とにかくスパルタクスを連れ戻さなければ――」


 ダニエルも事務所を出ると、スパルタクスの足跡を追い掛けた。

 スパルタクスの行きそうな所を片っ端から訪れ聞き込みをする。

 会社も公的機関も頼る事は出来ない。

 相談すればスパルタクスが脱走した事がバレる。


 いつもの巡回ルート。

 お気に入りの広場。

 おやつをいつも買ってやるカーショップ。

 思い当たる場所は片っ端から探して回った。


 しかし、ダニエルの心当たり全てを当たってもスパルタクスを見つける事は出来なかった。

 さすがに誰にも相談せずに、これ以上探し回っても見つかる気がしない。

 しかし、会社にも憲兵にも相談するわけにもいかないとなると、一体誰に相談すればいいのか。


「そうか、彼女なら」


 そこで、ダニエルの脳裏に一人の顔が浮かぶ。

 ダニエルは携帯電話を取り出すとダイアルする。


「はい、ネコバスブリーダーのケイトです」


 スパルタクスを育てたブリーダーであれば、スパルタクスの行きそうな所も知っているはずだ。

 ダニエルは事情を説明すると、スパルタクスを育てたネコバスブリーダーのケイトの元へと急いだ。





 3


 ネコバスブリーダーのケイトの家はネコロンダヴィレッジの外れにある。


 都会から離れた所にあるのはネコバスを育てるのに十分な広さの土地が必要だからであり、自然豊かな田舎町であるネコロンダヴィレッジはその環境を完璧に満たしている。

 家の前のキャットランには、彼女が飼育しているネコバスが元気に走り回っていた。


 そして、そんなネコバス達を一人の女性が見守っている。

 金髪に丸縁メガネをかけた作業服の女性だ。

 ダニエルは彼女に近づくと声をかけた。


「失礼します。先ほど連絡をしたものですが」

「え、はい!?」


 ダニエルが声を掛けると、作業服の女性はびくっとしたようにダニエルの方を向く。


「お久しぶりです。お会いするのはスパルタクスを会社に納車してくださった時以来になりますね。ネコバスの運転手をしているダニエルです」

「こちらこそ、ネコバスのブリーダーをしているケイトです」


 作業着の女性が、取り乱しながらもケイトと名乗る。

 この、ケイトという女性こそスパルタクスを育成したネコバスブリーダーであり、彼女に会う事こそダニエルがここを訪れた目的だった。


 彼女の育てるネコバスは世間から非常に高い評価を得ており、いくつもの賞を受賞している新進気鋭のネコバスブリーダーである。


「早速で悪いんですが――」


 挨拶を済ますと、ダニエルは早速本題へと移る。


「実は、電話でもお伝えした通りスパルタクスを洗車していたら逃げ出してしまいまして」

「私のネコバスがとんだご迷惑を」

「いえ、いいんです。それでスパルタクスは?」

「はい、見つかりました」

「ほんとですか!」

「はい、こちらです」


 ケイトの案内に従って敷地内のネコバス舎へと向かうと、藁の敷かれた広い建物の中に見知ったしまトラのネコバスが寝息を立てて眠っていた。

 ダニエルとの電話が終わった後、ケイトが思い当たる場所を探してくれたのだ。

 そしてどこに居たのかというとケイトの家のネコバス舎の中。


 つまりここである。

 スパルタクスは生まれ育ったケイトの元へと戻って来ていたのだ。


「すみません。私がもっと早く気づいていれば」

「いいんですよ」


 というか、むしろこれでよかった。

 もし、ダニエルが電話するよりも早くケイトが気付いていたら彼女は会社の方に電話していただろう。

 そうなっていたら、会社にバレていた。


「ところで今日ここまでは車で?」

「いえ、公共交通で。自家用ネコカーは持っていないんですよ。他のネコカーの匂いが強く残るとスパルタクスが嫉妬するので。それまで保有していたネコカーは妹に譲りました」

「あの子は少し甘やかして育て過ぎました」


 ケイトが苦笑すると、安らかな寝息を立てているスパルタクスの寝顔を見た。


「あの子の洗車嫌いもそうなんです。もうちょっと私が厳しく育てていればご迷惑をおかけする事もなかったと思うんですけど」

「ケイトさんが洗車をする時もスパルタクスは嫌がっていたんですか?」

「はい、でも、サイドブレーキを振り切って逃げだすような事はなかったんですけど」

「それだけ、俺の洗車が信用できなかったって事かも知れません」

「いや、そんな事は」


 ダニエルが自虐的に言うのにケイトがフォローしてくれるが、ダニエルはそれに首を振る。


「いえ、いいんです。あの時の私は面倒くさいからさっさと終わらせようとばかり考えていて、アイツの気持ちを全然考えていなかったですから」


 考えてみれば何もかも雑だった。

 もっとしっかりと同意を得てから始めれば、いくらスパルタクスが洗車が嫌いだからといってサイドブレーキを振り切ってまで逃げようとはしなかったはずだ。


「ケイトさん、私に正しいネコバスの洗車の仕方を教えてくれませんか?」

「それは、いいですけど」

「ありがとうございます。今は猫の手も借りたい気持ちなんです」


 ダニエルが頼むのに、ケイトが了承する。

 それから、ダニエルはケイトにネコバスの洗車の仕方を教えてもらった。


 水は温めの温水で、顔にはかからないように慎重に。

 シャンプーをする時は頭の方から始めて、尻尾に向けて。

 しっかりシャンプーを洗い直したら、間髪入れずにしっかりと全身を乾かす。

 いずれの工程にも言える事だが、無理にやってはいけない。


 嫌がったら手を止めて、落ち着くまで待つ。

 ネコバスの洗車とは忍耐との戦いなのだ。


「大丈夫ですか、私も手伝いましょうか?」

「大丈夫です、そこまで猫の手を借りるつもりはありませんから」


 ケイトからの申し出をやんわりと断ると、


「それに、私の手でスパルタクスを洗車してあげたいんです」

 ダニエルはスパルタクスの元へ行くと、その体を軽く叩く。

「ほら、起きろ寝坊助」

「ふ、ふにゃ?」

「帰るぞ」


 ダニエルは乗り込むとサイドブレーキのツボを押し込んで解除する。


「にゃおーん、ゴロゴロゴロゴロ」


 軽くハンドルを撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

 どうやらぐっすり寝て、機嫌も元に戻っているようだ。


「それじゃあケイトさん、お世話になりました」

「ダニエルさんも洗車、頑張ってください」


 挨拶を交わすと、ケイトに見送られながらダニエルはスパルタクスを走らせる。

 そして、会社へと戻ってきた。





 4


「にゃ、にゃ、にゃあ~」


 ガックン、ガックンと抵抗を受けながらダニエルは洗車場へとスパルタクスを持ってくる。

 ケイトの家へと戻っていた事で忘れていた自分が洗車されるという現実を会社に戻ってきた事で思い出したのだ。


 走行異常エンストを繰り返しながら何とか、元の位置にスパルタクスを停車させるとダニエルはサイドブレーキのツボを強く押し込んでスパルタクスから降りる。


「さて」


 一言気合を入れると、ダニエルはワイシャツの袖をまくり上げた。

 水をかけるホースを持ってくると、洗車を開始する。


「スパルタクス、水をかけるぞ」


 ケイトに教わった洗車のコツは常に声掛けをしてネコバスを落ち着かせる事だ。


「にゃおーん、にゃおーん!」


 いや、コイツまじで興奮しすぎ。

 また、サイドブレーキを振り切って飛び出されたら何もかも振り出しに戻る。


「ほら、落ち着け」


 ダニエルは一旦スパルタクスにかける水を止めると、顎のあたりを撫でてやる。


「にゃおーん、にゃお、にゃぁ、ゴロゴロ」


 そして、落ち着いたら再び水をかける。


「にゃおーん、にゃおーん! にゃおーん、にゃお、にゃぁ、ゴロゴロ。にゃおーん、にゃおーん! にゃおーん、にゃお、にゃぁ、ゴロゴロ。にゃおーん、にゃおーん! にゃおーん、にゃお、にゃぁ、ゴロゴロ」


 とにかく興奮したら撫でてなだめるのを繰り返す。

 ケイトも言っていたネコバスの洗車は忍耐だと。


「そろそろだな」


 スパルタクスの体を十分に水で濡らしたら次はシャンプーだ。

 ケイトに言われた通り頭の方からスパルタクスの体にシャンプーを付ける。


「にゃ、にゃあー、にゃあー、にゃあー」


 まずい、興奮の仕方が水をかけた時の比ではない。顎を撫でた程度では収まらない。

 かくなる上は仕方ない。


「にゃっ」


 ダニエルは自分の体がシャンプー塗れになるのも厭わず、スパルタクスの下へと潜り込む。

 そして、お腹をまさぐるように撫でる。


「にゃ、にゃあ」


 スパルタクスは無類の整備好き。顎を撫でられるよりもお腹を撫でられる方が好きというネコバスだ。

 顎を撫でて落ち着けられないのならば、車下に潜り込んでお腹を撫でるまでである。


「にゃ、にゃぁ、にゃぁぁ」


 そして、そんなダニエルの思惑はばっちりとはまった。

 スパルタクスが落ち着いた事を確認すると、スパルタクスの車下から這い出て急いで全身にシャンプーをつけていく。

 また、スパルタクスが興奮し始めたら下に潜ってお腹を撫でる。

 それの繰り返し。


 全身を洗い終わったらすぐに水で洗い流す。

 水でシャンプーを洗い流したら、次は巨大扇風機のようなドライヤーで毛を乾かして終わりである。


「よお、ダニエル。お疲れさん」


 スパルタクスの全身の毛を乾かし終わってダニエルが一息ついていると声が掛かる。

 声のした方を見ると、そこには同僚のグレイグの姿があった。

 グレイグは手に持った缶コーヒーの一つをダニエルに手渡した。


 受け取った缶コーヒーのプルトップを引いて、ダニエルがコーヒーに口を付けるとグレイグも残った缶コーヒーに口を付けながら言った。


「随分、すったもんだしてたみたいだな」

「ぶっ、ま、まあな」


 まさか、スパルタクスが勝手に逃げ出した事バレてないよな。

 ダニエルがコーヒーを吹き出しながらドキドキしていると、


「でも、仲が深まっただろ?」


 グレイグがニヤリと口角を上げながら訊ねる。

 ダニエルはふっと目を細めると、視線を正面に向ける。

 色々と苦労はしたが、不思議と悪い気はしない。

 こいつの事もよりわかったような気がする。


「そうだな」


 手を差し出すと、そこには洗いたての陽光を受けて輝く毛のスパルタクスがそれに応えるように「にゃーん」と甘えるような鳴き声と共にダニエルに体をすり寄せた。

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