第2話 従者ロビン

 朱里は、自分が小説『少女セレマ』のキャラクターである意地悪な令嬢シュリに転生してしまったことを受け入れるしかなかった。

 何故ならば、目の前で馬と使用人が首を斬られようとしていたので。


「ちょっと何してるの!?」

「はい?お嬢様の言うことを聞かない馬も、馬の調教も出来ない調教師や世話役もただちに首を撥ねろ、と以前ご主人様とお嬢様が」

「取り消し!!!!!」


 朱里改めシュリは必死に頭を働かせた。混乱するのは後にとっておいて、今失われそうな命たちを守ることに注力せねばならない。


 そして彼女は思い出した。シュリの弟でセレマのロマンスの相手の一人であるレイス・ラブレーが話してくれた姉の想い出だ。


『姉さんは少し前に落馬して池に落ちた。その腹いせに馬はその場で殺して調教師たちを鞭で三日も打ち続けた』


 シュリの残虐さとラブレー家の異常さを表すエピソードだったはずだ。

 水に落ちた繋がりで朱里はそのシーンからシュリになってしまったようだった。


「……やめたわ!」

「と申しますと」


(ここはシュリっぽく切り抜けないといけない。異世界転生ものってそういうものだし……あんまり読んだことないけどまぁいけるやろ!シュリのことならよく知ってるし!)


「そのじゃじゃ馬を乗りこなしてこそあたしの真価を発揮できるというものじゃない?だから馬は殺さないで。調教師たちには罰もいらないわ。ただし、再発防止には努めなさい!このあたしを二度も池に落とすつもりじゃないでしょうね!?」


 どの使用人たちも、ポカンとしている。

(あれ……?シュリっぽくなかったかしら。プライドが高い女だからこういうこと言うと思ったんだけどな)


「お、お嬢様……なんとご立派な……」

 老執事がさめざめと泣きだした。調教師たちは安心したようにその場に座り込む。彼らは冷や汗をかいていて、本当に命の危険を感じていたようだった。


 朱里は自分、というかシュリ自身がしてきたことを想い心を痛めた。

 ひとまずこの場をとりなした。でもまだ危機は去っていない。


「ともかく早く着替えたいのだけれど?」

(ちょっと意地悪な言い方過ぎたかな?)

「は、はい!ただいま!申し訳ありませんお嬢様!」


 すぐさまふかふかのタオルを持ったメイドたちがやってきて、シュリを連れて屋敷に戻った。

 想像よりも豪華な屋敷に煌びやかな部屋、そして高価な品々のある自室に戻り、シュリはなんとか一息つけた。


(まさか着替えも身体を拭くのも全部人にやってもらうなんて……あたし赤ちゃんじゃないんだけど……)

 途中で自分でしようとした時のメイドたちの狼狽えようったらなかった。これが夢でないのなら、慣れなければならない。


 人払いしてから部屋を見回す。ドレスの生地の感触も、香水の良い香りも、聞いたことない鳥のさえずりも、全てクリアだった。

 間違いない、夢にしては現実感がありすぎる。

(やっぱり異世界転生か)


 朱里は現代っ子だった。異世界転生のたしなみくらいはあった。

(当事者になるとは考えてもなかったけど)


 窓の外から再び空を見る。

(妖精の国、本当に空に浮いてるなんて信じられない)

 そして次に、庭を歩く青年を見てもう一つ必要だったことを思い出した。


「そこの人、待って」

 ベランダから青年……先ほど池から引き揚げてくれた白髪の使用人に声をかける。

 彼は驚いたように見上げてきた。そして前髪に隠された右目の輝きを見て、朱里は彼の名前に確信を抱く。


「ロビン、お礼を言いたいの。そこで止まって」


 彼はロビン。ラブレー家の庭師だった。シュリの手先として様々な悪事を働くが、彼自身は命令されたからやっているだけで悪い人ではない。だからセレマの優しさに触れてシュリを裏切り、屋敷から出ていくという役柄の青年だ。


 何故挿絵もなく苗字もない脇役の彼のことがわかったかというと、それは特徴的な右目のおかげだった。


 この世界には人間と妖精、そしてその両方の血を引くフィードと呼ばれる人々がいる。彼は妖精のクォーターのフィードで、右目は妖精の瞳をしているのだ。


「……どこから庭に出れるの?」

「はい?えぇと、すみません、俺は屋敷に入れないのでご案内できません」

(困ったなぁ。でもここ二階か。二階なら行けるか!)


 そしてロビンが止める間もなく、朱里は柵を越えてひょいと飛び降りる。


「は?……はぁぁぁぁ!?!?!?」


 ロビンは慌ててベランダの下に走り、主人の身体を受け止めた。

「あ、ごめん。あたし一人で着地出来たのに悪いわね」

「バッカじゃねーの!あ……」


 突然勢いをなくして、ロビンは朱里を下ろしてさっと退いた。

「申し訳ありません、二度もお体に触れるような真似を」

「あぁ気にしないで。それよりさっきは池から引き揚げてくれてどうもありがとう!マジで助かったわ~」


 気さくに話しかけてくるばかりか礼まで言う主人に、彼は訝し気な目線を送る。

「……お嬢様、溺れて頭とか」

「おかしくなってない!あ、その妖精眼で見てよ。そしたら」


「あんたにこの目のこと言ったか?」


 警戒を露わにして右目を抑えるロビンを見て、朱里は失言したと理解した。


「言ってないかも」

「じゃあなんで……!?」

「ともかく見てよ。そしたらあたしが生まれ変わったってわかるから!」


「妖精眼持ちに自分を見ろとか正気か?」

「正気!」


 ロビンは大きなため息をついた。そして仕方なくといった様子で右目から手を離す。瞬時に右目が虹色に輝いて、朱里をじっと見た。

「…………え?」


「ね?おかしくなんてなってないでしょ?」

「あ、はい。……お嬢様がお嬢様のまま別人みたいになってる……どういうことだ」

「まぁまぁそれは追々話すわよ。それでね……あたしの従者になってくれない?」


「なんで?」

「嘘、断るわけ!?」

「いえお断りとか出来ないんですけどね、立場上」

「いや嫌だったらいいけど……」


(ロビンはラブレー家で唯一のシュリの味方で善人。つまり信用出来る人ってことだから近くにいて欲しいんだけどな、やっぱ無理なのかな)


「あの、お嬢様、手が透けてません?」


 朱里は自分の腕を見て、手首から先が半透明になっているのを確認し、

「なんじゃこりゃー!」

と元気に叫んだ。


「治して!!!!」

「なんて無茶言うんだあんた!俺はフィードだけど魔法も何も使えないっての!」

「そこをなんとか!」

「意地悪か!?無理だってそんな……戻ってますぜ」


 再び手を見ると、そこには何の変哲もない手がついている。物にも普通に触れた。


「……そうか!シュリ・ラブレーは悪の令嬢……!あんまりあたしがその役割ロールから離れるとシュリじゃない判定が出る!だからあたしはシュリとして意地悪な令嬢役を務めないと消えちゃう……ってこと!?」


「いや知らんがな」

「ヘイ!妖精眼で見て!あたしが嘘を言ってるかどうかわかるわよね!?じゃあそれでこの発言の真偽を見て!」


「んな無茶苦茶な……。いや、正しいなこれ、え?」

「やっぱり!悪の令嬢の役を立派に努めてみせるわ」

「何言ってんだあんた」


「だからロビン!あんたに拒否権は与えないわ!いやどうしても嫌だったら言ってもいいけど、出来れば協力して欲しくて」


「指消えてますよ」

「あたしの従者になりなさい!!!!!」

「いいですけど……」


「いいの?」

 自分から頼んでおいて朱里は不安ではあった。これまでのやり取りで、ロビンがある程度信頼のおける人物だと理解したために、どうしても彼を従者にしておきたかった。


 不安が顔に出ていたのか、ロビンは「大丈夫ですよ」と軽く笑った。

「なんかほっとけないし、中身がわけわからん女に挿げ替えられてるような気がするけど、悪い奴じゃないみたいですしね。つまり俺に助けを求めていると」

「そうそう!」


「フィードに、ねぇ……。でもあんた腐ってもシュリ様なんですから、良い思い出来るかなーって思った次第ですよ。せいぜいお給金弾んでくださいね」

「勿論!」


「また指透けてますよ」

「基本薄給で謎のボーナスが都度発生する感じでよろしいかしら!」

「脱法の雰囲気だけ味わう感じなんすね」



 こうして朱里は名実ともにシュリとなった。

 三日も経てば今までのシュリとしての記憶が頭に馴染み、使用人の顔と名前や屋敷内や街の地図もわかるようになり、この世界の細かい色々も理解するようになった。



「ってかあたし連休中だったのね」

「そうですよ。あんたはこの聖マリアン学園の二年生です。貴族様ですから、俺も教室までご一緒出来ますよ」


 ロビンはなんとなくシュリがこの世界の物や事を初めて見たような顔をするのに気がついていた。だから時折こうして自然に説明をしてくれる。

 シュリは彼のそういう賢く優しく、さりげない気遣いをする所に好感を抱いていた。


「それは助かる……う、指が!」

 ごく自然に透けていく指にシュリはちぃ!っと舌打ちする。

「ほら意地悪なこと言って」


「さっさと連れて行きなさい!」

「もう一声」

「ぐずぐずしないで!」

「あいよ」


 馬車から降りたシュリは、ある光景に目を奪われた。



 一陣の風が吹いて、校舎の隅にはためく桃色の髪。

 彼女は髪を耳にかけて空を見上げ、優しく微笑む。



「せせせせせせセレマちゃんだぁぁぁぁ!!!可愛いぃぃぃぃぃ!え!?え!?ホント!?マジモン!?嘘でしょ可愛すぎんか!?ひぃぃぃ~~~~~!!!!うぅぅぅぅぅぅぅなんか逆に威嚇しちゃう、え、えぇ、え?は?すっご、んんんん可愛い!はうぅ……え?マジで言ってる?うっそ……可愛い……かわ……」



 ひとしきり騒いでいると、もうセレマはどこかへ行ってしまった後だった。


「うわキモ……」

「鞭でぶつわよ!」


 シュリはこうして、憧れの少女セレマに出会ってしまったのだった。


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