彼はアイドルで私の好きな人

石田空

彼はアイドルで私の好きな人

「かなめのばぁーか! もう知んない!」

 私があっかんべえをしてプイッとそっぽを向いた途端に、要はぐしゃあと顔を歪めた。本当に臆病で、虫も駄目ならお化けも駄目で、ついでに雷も駄目だった要を、近所のよしみで私はずっと面倒を見ていた。

 その日は地元の肝試しで、私と要は一緒のグループで歩いていたんだけれど、要は夜に電灯に向かって虫が飛ぶのを見てすぐに叫ぶし、お化けの格好をして脅かしてくる人を見て泣くし、とうとう懐中電灯を持っている私を置いてどこかに逃げるしで、もう大変だった。

 やっと探し出したときには、要は何回かパニックを起こしてこけたのか、泥だらけになって、ベソを掻いていた。

 人が探し出した途端に泣き出してしまった要を見て、だんだんと腹が立った私は、懐中電灯を持って、そのままズンズンひとりでゴールに歩き出そうとすると、泣きながら要が走り寄ってきた。

「まっ、まってよ、りんちゃん!」

「もう知んない! ひとりで泣いてればいいでしょ!?」

「もう泣かないよ! りんちゃんが迎えに来てくれたから! 手ぇ、つないでいい?」

 本当にもう。本当にもう、なんなんだ。

 人がさんざん探し回ったのに、私の顔を見た途端に泣き出した要に腹を立てていたけれど、そういうことを言うからすぐに許してしまう私も大概だ。仕方がなく、手を繋ぐ。歩くだけで汗ばんでくる夜だから、当然ながらふたりで繋いだ手もぐっしょりと濡れている。

「ゴールについたら、ラムネくれるんだってさ」

「ぼくラムネ飲めない……」

「ならちょうだいよ。ラムネの瓶のビー玉集めてるんだ」

「あれってどうやって取るの?」

「割るの!」

 ふたりで手を繋いで、懐中電灯を光らせてゴールへと向かう。

 小さい頃から、いつもこんな感じだった。

 要はしょうがない幼馴染で、私はずっと彼のおもりをしているんだって。要は弱っちいし、私が守ってあげないと。そのぬるま湯のような関係に甘えていたから、彼は私の前からいなくなっちゃったんだ。


   ****


「今度さあ、東京に行くことになったんだ」

「なんで?」

 同じマンションに住んでいると、ベランダに出たらすぐに顔を合わせて話ができる。今日は流星群で、一生懸命スマホ片手に流れ星を撮ろうと頑張っているけれど、タイミングが合わずにいつまで経っても写真が撮れない。

 中学に入ってから、あれだけ小さくって泣き虫だった要は、身長が伸びた。私は女子の中では未だに身長が高いほうなのに、それでも要のほうがまだ身長が高い。中一のときは変声期でガラガラした声だったのに、今はすっかりと落ち着き払った声になってしまっている。

 あれだけ泣いて手を引いてあげていた弱っちい要のことなんて、もう私の記憶の中にしかないだろう。それくらい、体格がしっかりと変わってしまったんだから。

 いっちょ前に髪を軽く伸ばして、ワックスで整えている。自然に流れている感じにするテクニック、どうやったらできるのか、毎日一生懸命鏡とドライヤーを使って格闘していても取れない癖毛の私に分けて欲しいものだ。

 要は一緒に流星群を眺めながら続けた。

「姉ちゃんが、アイドル養成事務所に履歴書送ったんだ」

「……本当にそんな人いるんだね?」

 アイドルがデビュー決まった際に大概インタビューで言っているのは、履歴書を親戚に送られたという奴だ。既に大学生になっている要のお姉ちゃんのことを思い浮かべながら、私はスマホを一生懸命空に向けた。相変わらず私が押す直前に星が流れてしまい、全然撮れない。願いだって言う暇がない。

 横顔をちらりと見ると、要の気付けばすっかりと精悍になった顔つきが見えた。すっかりと大人びて、もうあれだけよく泣いていた顔が幻だったんじゃないかと錯覚しそうになる。

「それで、今度面接に来ないかって事務所に言われたんだ」

「……それ、もし合格したらどうなるの?」

「多分養成事務所に入ってレッスンを受けるんだと思う。でも僕、多分落ちると思うから、気にしなくっていいよ?」

「ふーん」

「流星群撮れそう?」

「全然」

「貸して」

 スマホを取り上げられると、カシャリと音がした。そのままスマホを返される。

「あっ…………!!」

 綺麗に流れ星が弧を描いているのが撮れていた。

「ありがとう! すごいね、要は」

「うん」

 私も要もニコニコしていた。

 ありふれた光景。いつもよくやっていること。だからこそ、これが私たちにとって最後の夜になるなんて、あのときはまだ思ってもいなかったんだ。

 次の日、車で要が出かけるのを眺めていた。東京は私にとってはずっと遠い場所で、そこに行くと言ってもいまいちピンと来ていなかった。

 最近は全然泣かなくなったけれど、基本的に怖がりの要は、すぐに帰って来るでしょう。そう高をくくっていたけれど、そんなことはなかった。

 いつもは登校時間は一緒のはずなのに、私が家を出ても、ちっとも要が出てこなかった。あいつは全然風邪を引かないのにどうしてだろう。私は不思議がりながら学校に向かい、職員室の前を通過したとき、少し戸が開いてて、そこからひそやかな先生たちの声が聞こえてきた。

「この時期に転校ですか……」

「向こうの学校に転校するそうですよ、芸能人が通っているので、授業日数も融通利くそうです」

「まあ……」

 それを聞いたとき、私はギクリとした。要が帰ってこない。なんで。私はそう思ってトイレの向かうと、個室でこっそりとスマホで通信アプリを打ち込んだ。

【要? 今どこ?】

 何度見ても、既読も付かず、返信も付かなかった。まさかまさかまさかと心に募った。

 それからホームルームが終わり、落ち着かないでいる間に一限目の授業は終わってしまった。廊下で他のクラスの子たちがしゃべっているのが耳に入る。

「あのさあ、要くん東京に転校したんだってさあ」

「マジ? この時期に?」

「事務所の意向だってさあ、アイドルになるらしいよ。ほら」

 誰もが知っているアイドル事務所の名前が上がり、周りから歓声が飛んでいる。

「いる間にサインもらっておけばよかったねえ、格好よかったもんねえ」

「ねー」

 格好いい? 誰が? たしかに最近泣かなくなったけど、それだけじゃない。

 未だに暗いところ怖いし、虫苦手だから夏に蝉が落ちてると悲鳴上げるし、ホラー映画の季節になったら怖がって代わりに感動ペット映画見たがるような奴なのに。

 私はそれをこれ以上聞きたくなくて、早歩きで帰った。

 どうせ。デビューできるアイドルなんてひと握りだ。すぐ泣きながら帰ってくるから。帰ってこなかったら許さないから。

 なにも知らない子たちに勝手にいろいろ言われて、それに傷つかないふりして、私は次の授業の教室へと急いでいった。


   ****


 私が受験勉強を終え、高校生になった頃。行きつけのドラッグストアに出かけると、【キスしたくなる濡れた唇】というキャッチコピーと一緒に、見慣れたはずの顔が飛び込んできて、思わず仰け反った。

 私の予想とは裏腹に、要は順調に先輩アイドルのバックダンサーを務め、見事にデビューを果たした。

 今やどこに行っても要のポスターやCMが目に入る。

 私の知っているあいつよりも大人っぽい表情で、唇にリップを差した要のポスターに、私は苛立ってくる気持ちを抑えるように、その広告のリップを籠に放り込んで一緒に買った。

 何度連絡しても連絡が付かない。もしかしたら事務所からスキャンダル対策にスマホを取り上げられてしまったのかもしれない。

 どの媒体のインタビューも、私の知っている彼よりも脚色いっぱいに書かれていて、「あんた誰よ」と言ってしまうくらいに、私の記憶にないことばかり載っている。

 アイドルになったんだから、きっともっと綺麗な人や可愛い人を見慣れてしまって、平々凡々な私のことなんて忘れてしまったんだろうな。

 そう腹が立ってきたけれど、ある日お母さんから唐突に言われた。

「要くんところのグループ、今度地元で凱旋ライブするらしいから、関係者席でチケットもらったけど、どうする? 行く?」

「……はい?」

 要のおばさんは相変わらず隣に住んでいて、普通にあいつとやり取りをしていたし、荷物を送ったり、要の送金を受け取ったりしていたらしい。

 だからライブの話もいち早く回ってきて、うちに送ってくれたという訳だ。

 どうせ忘れられているくらいなら、行かなくてもいい。もう私の記憶の要はどこにもいないし。正直意固地になりたかったけれど。

 ……うじうじして、忘れられなくなるくらいだったら、いっそ最悪な思い出にしてしまって忘れたくなってしまうほうが、次に進めるんじゃ? 要に他人行儀に接せられたほうがよっぽどつらいでしょ。

 そう思って、私は「行く」と返事をした。

 当日。

 要が広告に出ていたリップを唇に差し、古着屋で買った可愛いジャンパスカートとTシャツを合わせ、関係者席へと並んだ。

 関係者席には、要のグループのファン層とは明らかに合ってない人たちが座っていた。要のおばさんくらいの年頃の人やお年寄りなど。皆グループの人の家族なんだろうと思う。そこに混ざるのは気恥ずかしいような気まずいような。そんな思いがしながら座ると、おばさんが言った。

「ごめんね、今更呼んで」

「いえ……」

「あの子、最初は何度もこっちに帰りたいって泣いてたけど、そのたびに事務所に止められてね。とうとうスマホも取り上げられたけど、家族間では連絡できるようにしてもらったみたいなの」

 そんなこととは思っていたけれど、やっぱり。あまりにも格好いいアイドルで売っているけれど、やっぱり私の知っている情けない要でほっとした。

 やがて、ライブがはじまった。体がブワリと熱でうなされるような感覚でめまいを起こしそうだったけれど、それが心地よかった。歌が上手いかどうかは、正直私にはわからなかったけれど。でもこの熱が凄まじくって、アイドルが好きな人たちの気持ちが理解できた。

 そんな中、歌っているメンバーがあちこちに降りてきて手を振ってくる。関係者席の近くに降りてきたのは、要だった。

 皆から格好いいと言われる笑顔を貼り付けた要は、まるで他人のようで、そこが寂しく思えた。

 東京で私の知らない時間を過ごしていたし、私も要のいない時間をここで過ごしていた。これはもう、埋めようがないもんな。

 この恋は不毛なものだから諦めよう。そう、やっと熱にうなされたまま誓えたというのに。要は私とパチリと目を合わせ、一瞬だけ。口を動かした。

『凛ちゃん』

 そのパクパクとマイクに入らないよう口だけ動かしたときに見せた笑顔は、私がしょっちゅう隣から見ていたものと変わらなかった。

 ……ひどいなあ、あいつは。諦めさせてくれたらいいのに。

 これはただのリップサービスであり、私じゃなくって誰かになにかを伝えたかっただけかもしれない。ただ正統派アイドルが気まぐれに見せた子どもじみた仕草だけだったのかもしれない。

 ただ。これは私の宝物なんだと思ってしまった。諦めきれない理由ができてしまった。

 東京にいる彼。ここに残っている私。連絡だって全然取れないし、待つだけでしんどいし、アイドルが好きと言ってもただの追っかけにしか聞こえない。

 ただ私は、要にずっと恋してる。

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