序章 旅の始まり

「それでお前、これから何していくか決まったのか?」

岩清水は事も無げに僕に訊いた。


「うん、看板屋の仕事をしてみることにした。」


「看板屋?・・って、何すんだ?」

岩清水がピンと来ない様子で口を挟む。


「オレもよく分かんないんだけど、何か面白そうだからやってみる事にした。」


「それって建築業なの?」

三浦が疑問を口にする。


「うーん、わかんないけどもの造りって事では似たようなもんじゃないの?」


「何でもいいけど頑張ればいいっしょ。」

ダイジュが口を挟む。

  

 

僕と岩清水と三浦とダイジュは大学で共に建築を学んできた同窓の仲である。


大学は去年の3月に卒業して、もうそれから1年と4ヶ月経った。


今日は久しぶりにダイジュの家に集まって日曜日の午後の一時をゆったりと過ごしている。


何をするでもない。ただこうして気のおけない仲間と過ごす時間が嬉しい。

 


1年と4ヶ月の時の過ごし方はそれぞれだ。


ダイジュと三浦は大学を出て、そのまま大学院に進んだ。


大学でゆっくりと建築の意匠設計を学んでいる事は羨ましくも有り、それはそれで大変そうだとも思う。


僕も大学4年時には意匠設計のゼミで学んだが、楽しくも有り、同時に大変な事も色々あった。


家に帰らずゼミ室に泊まり込みで作業したことも幾度となくあった。


あの日々にまた戻りたいかと言われると、わからない。


愛おしい日々ではあるが、もう一度あの1年を過ごしたいとも手放しでは思えない。


ダイジュと三浦はあの日々を1年と4ヶ月も延長して過ごしているのだと考えると、畏敬の念すら浮かんでくる。



ところでダイジュだが、名前は佐藤大樹という。


読みは「ダイジュ」ではなく「ひろいつ」と読む。


初見で「ひろいつ」と読む人は皆無であると思う。


非常に読みにくいので、誰からともなく「ダイジュ」と呼ぶようになった。


皆「ダイジュ」が本当の読み方ではないのを知ってはいるが、「ひろいつ」を思い出すまでには2、3巡の逡巡を要する。


「たいき」でも無いし、何だったかな?である。



岩清水は地場の建築会社で工事監督を務め、忙しい日々を送っている。


去年は新入社員として下働きを重ねてきた。


今年は2年目の監督として忙しい日々を過ごしている。


休みは取りやすいとは言えない。


今日は貴重な休みをダイジュの家に集まって過ごしている。


友人とゆっくり過ごす事が彼にとっての安らぎなのであろう。



さて、僕はというと、去年は全国展開の大手住宅メーカーに期待を持って入社した。


就職活動では内定獲得順で友人に遅れを取っていたが、結果としては友人内で一番大きな会社の内定を取れた。


そうして入社して過ごした1年であったが、今は思い出したくもない。


完全なブラック企業であったのである。


それでも1年は社員として過ごした。


1年ぐらいは吸収出来るものがあるだろうと考えたのである。


そして入社して1年できっぱり辞めた。


そろそろ次のことを考えて別の道に進むのが得策だ。


 

退社してしばらくはバイトをして過ごしてきた。


少しゆっくりしたかった。


それから冒頭の会話に戻る。


僕は看板屋の仕事をしてみることにした。


深い理由はない。


ただ、ハローワークの求人票を眺めていてなんとなく楽しそうに見えたからだ。


一つだけ言えるのは、もう住宅の仕事は懲り懲りだと思ったと言うことだ。



「それで、いつから看板の仕事するんだ?」

岩清水が訊く。


「お盆明けに入社することになったよ。」


「それじゃあお盆にキャンプ行くべ。」


「キャンプいいね。行きたいね。」

入社前に自然に囲まれて羽根を伸ばすのも悪くない。


「で、どこにキャンプに行くの?」

三浦が口を挟む。


「あー、そうだねぇ・・・」



ふと目の前のテレビ画面に目が留まる。


髪の毛がもじゃもじゃの男と唇の厚い男が北海道の路傍でくじ引きをしていた。


最近DVDが発売になった北海道のローカルバラエティ番組、水曜どうでしょうの「北海道212市町村カントリーサインの旅」の企画である。


ダイジュがこの番組の大ファンで、さっき再生ボタンを押していた。



「これじゃね?くじ引きで決めるべ?」


僕の一声で運命は決した。

 

こうして僕らは何気ない会話の中から旅を始めることとなり、自分たちのみならず多くの人を巻き込む大プロジェクトを進めていく事となったのである。

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