異世界法医学者の死体検案書 〜解剖後には肉を食え〜

本庄 照

第1話 ああ言えばこう言う

 人は死に顔を選べるのか否か。

 少なくとも、自分が選べる側かどうかを知れるのは死ぬ瞬間でしかない。


「どっちでもいいだろそんなの」

 永遠の哲学的命題を、カリスト先生が一瞬で蹴り飛ばす。

「どんな死に顔でも、死んだら人間はみんな仲良く石になるんだ。そんなに死に顔を選びたいかねぇ?」

 本気で不思議そうな顔をしているあたり、強がりでも粋がっているわけでもなさそうだ。そもそもカリスト先生はそんなことをするタイプではない。


「……だって、かわいそうじゃないですか」

 ステイシーは目の前の解剖台に横たえられている死体に視線を落とす。スライムに食われてしまい、柔らかい皮膚と脂肪が全部溶かされて骨と筋肉だけになってしまった新人勇者のむごたらしい死体だ。


「ステイシー、君は検視官なのに随分殊勝なことを言うんだねぇ。感情が入ると、この職業やっていけないぞ」

 カリスト先生はすっぽんぽんになった死体を色んな方向から眺め、解剖用具を用意しはじめた。彼は今、保険商会に頼まれて身元特定と死因究明をしようとしている。

 死体が保険に加入していた勇者であるか。そして、保険金が支払われるべき死因か。この二つを調べて報告書を提出するのが、法医学者であるカリスト先生の役目である。


「でも、私はこんな死に方したくないです。なんて可哀想な死に方なんでしょう」

 カリスト先生が死体の腹部に手早く刃物を入れていく様子をステイシーは後ろから眺める。

「魔王を倒すために勇者になったのに、巨大スライムに食べられて死ぬだなんて。勇者なんだから育ちもいいでしょうに。そんな死に方、彼は予想していなかったはずです」


 ステイシーが感情込めて話すのをカリスト先生は完全に無視して解剖を進めていた。急いで解剖をしなければ、筋肉が石化してしまうのが人間だ。石化すると解剖は不可能で、死因の究明も非常に難しくなる。普段は明るい、というより能天気な彼だが、解剖の時だけは真剣だ。時間が勝負になってくるからである。


「やめとけステイシー、狂人せんせいに人間の感覚なんてわかんねぇから」

 先輩検視官のアルヴェイルがステイシーの肩を横からポンと叩く。ため息交じりのその言葉に、カリスト先生が幼年学校生のように頬を膨らませた。

「今、僕のこと狂人って言った?」

「は? 事実でしょうが」

 アルヴェイルはカリスト先生の追及をバッサリ切り捨てる。


「……私、ここでやっていけるでしょうか」

 この陸軍士官学校附属死因究明研究所に配属されて一カ月。新人とはいえ検視官として、死体にいちいち感情移入すべきでないのはわかっている。しかし、カリスト先生やアルヴェイルのように割り切るのはまだ難しい。


「カリスト先生にストレスがたまらないなら大丈夫だろ。俺は無理だけど」

 アルヴェイルはそう言うが、二人はいいコンビのようにステイシーには見える。

「惨い死体にも顔色一つ変えないしな。筋は良いはずだ」


「惨い? 僕は良い死体だと思うけどなァ」

 臓物の重さを手早く測りながらカリスト先生が首を傾げた。貴族出身のカリスト先生は、陸軍仕込みの検視官二人と違って、随分となよっとしている印象がある。

「良い死体……ですか?」

 死体に良いも悪いもあるものか。

「だって、これはいい教材になるじゃないか」

「は? 教材?」

 アルヴェイルが顔全体で不快感を表した。

「うんうん。僕さ、一応は軍属の公務員だから士官学校で授業しなきゃいけないんだよね。その教材にちょうどいいんだよ」


 そういえば確かに、ステイシーが士官学校の学生だった頃、カリスト先生の授業があった。まさか死因究明研究所に配属されるとは思わず、あまり真面目に聞いてはいなかったのだが。


「相当綺麗に皮膚と脂肪だけ食われているからね。おまけに勇者だから筋肉も発達している。人体模型にちょうどいいや」

 切り開いた全身を急いで縫ったカリスト先生は、死体にあれやこれやとポーズを取らせている。人体模型としてどのポーズがいいか決めあぐねているらしい。

「早く決めないと、全身が石化して固まっちゃうからねぇ。今でちょうど死後二十時間だから、かなりギリギリだぞ」

 楽しそうで何よりだ。後ろでステイシーはため息をついているが。


「先生、保険商会の人が、早く報告書を出せってうるさいです」

「またァ? せっかちな奴め」

「いいから! さっさと報告書出してください! 俺が迷惑するんで!」

「……死因はスライムに食われて皮膚と脂肪を溶かされたことによるショック死。歯を見るに年齢は二十代、身長はちょうど四クデー。予想体重も依頼書と一致。死因特定も本人確認もできてるよ」


「そこまでわかってるならさっさと書く!」

 アルヴェイルに怒鳴られたカリスト先生は、軽く肩をすくめて報告書にサインを入れた。

「ねえ、保険屋に残った死体をうちにくれないか聞いてきてくれない?」

 アルヴェイルに報告書を渡し、ついでに雑な伝言を飛ばしたカリスト先生は、また死体のポーズを考えている。


 人体模型にそんな派手なポーズいるかなぁ?

「ステイシーくん、何か言ったかい?」

「いえ……」


***


「先生」

 保険商会に伝言を頼まれたはずのアルヴェイルが解剖室にひょっこり顔を出した。

「何? 僕の報告書に文句があるなら二度と出さないって脅して」

「違います。陸軍から通信魔法です」

「うげぇ」

 手を止めたカリスト先生が露骨に嫌そうな顔になる。アルヴェイルは止まったその手に無理やり魔法の受信機を握らせた。器用な男である。


「はいこちら、カリスト・エルナンデス」

 しっかりハリのある肌に深いしわを刻みながら、カリスト先生は機嫌が悪いのを隠そうとともせずに魔法に応答する。

「新しい死体ィ? まさか石化してないでしょうね?」

 陸軍の人間に対する態度ではないが、敬語が使えているだけまだマシだろう。


「あー、ダメダメ。すでに石化してるんじゃ、死因の究明は無理です。第一、殺人事件の捜査は軍の仕事でしょ? 僕に何か手出しできることがあるんですかねぇ」

 ……軍の命令をこんな偉そうな態度で拒否しようと画策するのは、この国でカリスト先生くらいではないだろうか。


「ふん、移動魔法で研究所に来たって僕は受けませんよ。まあ好きなだけ魔法は使ってくださっていいですよ。無駄ですから」

 ガチャンと乱暴な音を立ててカリスト先生は通信を切る。カリスト先生は人体標本を作るのに忙しい。嫌味を言って相手を怒らせ、新しい死体を追い払おうとしているのだろう。

「アルヴェイル、軍からの通信魔法を切れ」

「俺にはそんな強い魔力ないんで」

 さりげなくアルヴェイルに拒否をされ、カリスト先生はフンと鼻を鳴らして受信機を浮遊魔法で天井に浮かべる。


「ったく、軍人っていうのは何故そろいもそろって頭でっかちなんだろうな」

「先生、俺も一応軍人です」

「ほう、カリスト先生は軍人嫌いなのかね?」

 割って入った見知らぬ声に、アルヴェイルが全身を硬直させる。本人に聞こえぬように小さく舌打ちしたアルヴェイルは、声に背を向けたまま奥の小部屋に逃げ込む。


「久しぶりだな、ステイシー・マルソー少尉。随分楽しい職場に配属されたようだが、元気でやっているか?」

 声はステイシーの背中にも投げかけられた。移動魔法で研究所にやってきた陸軍の人間だ。しかもその声、ステイシーには聞き覚えがある。

「テーレンバッハ大尉ッ! お久しぶりです!」

 反射的にステイシーは身を翻して敬礼を返す。そこには、こめかみに青筋を立てつつも何とか笑顔を保っているテーレンバッハ大尉がいた。


「なんだあのカリストとかいう学者は? 軍に雇われていることを自覚していないのかね?」

 大尉はステイシーの耳元で唸るような小声で問いかける。こうして絡まれるのを嫌がってアルヴェイルは奥に逃げたのだと、ステイシーはそこで初めて理解した。

「……申し訳ありません。カリスト先生は、ああいう人なのです」

 カリスト先生はある意味平等だ。全員に無礼で、全員に遠慮がない。中でも一番被害を被っているのは直属の部下であるアルヴェイルだ。可哀想に。


「カリスト先生への伝言は本官が承ります、大尉」

「なんとか奴を捜査に参加させろ。これは命令だ」

「……しかし、死体が石化しているとあっては」


 人間は死後およそ一日で石化する。そうなった死体を、カリスト先生はまず扱わない。扱っても無意味と分かっているからだ。ここでステイシーが命令を受けても、カリスト先生を動かせるとは限らない。

「あと、カリスト先生は死体を標本にするのに忙しいんです。だからあんな嫌味な通信で大尉を追い払おうとしたのだと……」


 ステイシーは人体模型となりつつある死体を指さした。

 いつもしかめっつらの大尉が大口を開けて目を丸くする。皮膚を全て失った凄惨な死体を目の当たりにして、軍人ながらさすがにショックを受けたらしい。

「あれを標本に?」

「ええ。保険商会から許可が出れば」

 大尉のカリスト先生への評価がズドンと落ちたのが表情でわかる。まあ元々評価するに値しない人間でもあるが。


「……そちらの事情はわかるが、民間人の殺人事件だ。犯人は不明。なんとかして事件を解決せねばならない」

「承知しました。先生に掛け合います」

 と言いつつもステイシーが頑張るだけではどうにもならない。


「なにか、先生の興味を引けそうな情報はありませんか。それがあれば、先生をなんとか動かすことができるかもしれません」

「……被害者は二十七歳女性。漁師に嫁いだ二児の母で、自分の家に入ってきた強盗と鉢合わせしてしまい、刺殺されたと考えられる」

「死因、わかってしまっているんですか?」

 だとするとカリスト先生を動かすのは尚更難しくなる。


「死因がわかっていることは隠しましょう。カリスト先生のやる気が下がります」

「しかし、刺殺じゃないと伝えないと事件の本質が見えない」

 テーレンバッハ大尉が静かに首を振った。

「どういうことですか?」

「死体の背中には、石化しているとはいえ確かに刺し傷が残ってる。しかし状況は刺殺じゃあり得ないんだよ」

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