第10話 ずっと食べたかった物は

 ロレンツォは騎士になった。上京して兵士になってから、丸五年の出来事であった。

 毎日欠かさず続けた勉強の成果も出て、筆記は満点合格だ。剣術の方も問題なく突破できた。それはそうだろう。あのアンナのお墨付きなのだから。

 実は兵士から騎士になれる率は低いのだそうだ。剣の腕があっても、筆記をパス出来ない者が多数いるらしい。確かに軍術をちゃんと学んでいなければ難しいだろう。文句無しの満点合格した自分が、少し誇らしかった。


 騎士になって初めての給料を貰うと、ロレンツォは注文していた北水チーズ店に、チーズを取りに行った。タンスと洋服はまたコリーンと一緒に買いに行けばいい。今度は気に入った物を買ってあげられそうだ。


「おかえり、ロレンツォ。その袋、もしかしてチーズ? 北水チーズ店の?」

「目ざといな。ただいまくらい言わせてくれ」

「あ! クミンシードのゴーダチーズ! 今日の食卓に乗せてもいい?」

「ああ。そっちのモッツァレラの味噌漬けも切って出してくれ」

「これ? へー、美味しいの?」

「実は俺も初めて食べる。北水チーズ店で一番高い物を頼んだんだ」

「えっ」


 コリーンは心配そうにロレンツォを見上げた。見上げられたロレンツォは、そんなコリーンの顔を見て笑う。


「大丈夫だ。騎士になったんだから、少しくらいは贅沢出来る」

「わ、私も食べてみていい……?」

「もちろんだ。一緒に食べよう」


 ロレンツォとコリーンは、久々の北水チーズ店のチーズを堪能した。他のチーズ店と比べるとかなり高いが、やはり北水の味は絶品である。


「これは……癖になる味だな。これはもう、他のチーズは食べられないぞ」

「美味しい……でもやっぱり私は、クミンシードのゴーダチーズかなぁ」


 久々の北水のチーズを前に、会話も弾む。ロレンツォにも気持ちに余裕が出てきたので、話は自然、今後のことに移行していった。


「コリーン、そろそろここを出るか。イースト地区辺りで物件を探して、そこに住もう」

「え? 別に私はここでいいよ」

「そうか? でも図書館までは遠いし、それに部屋だって狭いだろう」

「別に不便はない。歩くの嫌いじゃないし、勉強はキッチンですればすむから」

「まぁ、それでいいなら助かるが……」


 ロレンツォも給料が増えたからといって、あるだけ使おうなどとは思っていない。妹ユーファミーアの結婚の際にはいくらか用意してやりたいし、弟バートランドにしても同様だ。ロレンツォは騎士職を生涯続けるつもりなので、畑は弟に譲るつもりではいるが、その弟が最近騎士に憧れを抱いているとのこと。まだ九歳なのでどうなるかは分からないが、士官学校に通わせてやれるだけのお金は用意しておいてやりたい。

 それに、コリーンもだ。今は見た目と役所に届け出ている年齢のギャップのせいで、学校には行かせてやれないが、実年齢十六歳にもなれば成人していると言い張れないことはないだろう。

 コリーンにやりたいことが見つかった時、ちゃんとした学校に通わせてやりたい。それに結婚する時にはちゃんと花嫁衣装を用意してやりたい。

 ようやく貯金が出来る環境になったのだ。無駄な出費は控えたいという気持ちはあるが。


「コリーン、これからは小遣いをやろう」


 ロレンツォはそう言った。コリーンはそれを聞いて恐縮している。


「え? いらないよ」

「そう言うな。コリーンだって欲しいものはあるだろう? 服とか、本とか」

「でも」

「遠慮しなくていい。これからは、必要なテキストやノートや鉛筆も、自分の小遣いの中からやりくりしてくれ。いちいち俺に許可を取らなくていい。そうだな、一ヶ月……五千ジェイアでいいか?」

「そんなに!?」

「言うほど大きな額じゃない。うまくやりくりしないと、服は買えないと思うぞ。だからと言って、勉強せずに服しか買わないってのはなしだからな」


 コリーンはわかっているとばかりに頷いた。そしておずおずと尋ねてくる。


「そのお金で、お菓子を買ってもいい?」

「うん? もちろん。何の菓子だ?」


 チョコレート、とコリーンは恥ずかしそうに笑った。トレインチェに来て売っているのを見てから、ずっと食べたかったらしい。

 言ってくれればよかったのに、という言葉をロレンツォは飲み込んだ。コリーンはわかっていたのだ。それを買えば、ロレンツォの食事が削られるということを。


「買ってもいいが、食べたらちゃんと歯を磨くようにな」

「うん、わかった」


 これでようやく、人並みの生活を送らせてあげられるだろうか。欲しい物全てを買ってあげられるわけではないが、それでも随分と前進したように思う。


 その日の夜、ロレンツォはいつものように煙草に火を点けた。


 根を詰めて勉強しなくてよくなっただけ、楽になったな。

 そうだ、新聞を取ろう。図書館まで毎日読みに行くのは面倒だ。

 ようやく俺も人並みの生活が出来るな。

 月に何度か、女性をお茶に誘えるくらいのお金は捻出できそうだ。


 ニヤリと笑みがこぼれて、ロレンツォは煙草を押し潰す。そんな様子をコリーンはいつものように眺めていた。

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