娘のように、兄のように
長岡更紗
ロレンツォ編
第1話 ロレンツォの生まれた場所は
「気にするな? 家族、なのにか……?」
拒絶するような彼女の言葉に、ロレンツォは胸がしくんと痛むのを感じた。
もう何年も共に暮らして来た彼女は、既に立派な女性になっていて。
それでもなお、幼い頃から知っている彼女を、ロレンツォは娘のように思っている。
大事で大事で何より大切で、誰より幸せになって欲しい人。
そして自分はどうなってでも、幸せにしてあげたい。そんな愛しい娘だった。
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イラスト/田中桔梗様
***
ロレンツォは、ファレンテイン貴族共和国のノルトという村で生まれた。
主に農業で生計を立てている、大きな村である。そのほとんどが畑ではあったが。
ここでは、小さな子供も五歳を過ぎれば立派な労働力だ。
妹や弟の面倒を見る。家事の手伝いをする。畑の手伝いをする。それは日常の風景であり、誰も見咎める者などいない。
ロレンツォも例外なく、妹や弟の世話をし、馬の世話をし、畑仕事をして育った。特に不満を感じる事無く、当然のようにそうした。
村には小学校と中学校はあるが、高校はない。高校に行きたいものは、近くの町か首都のトレインチェへ出る必要がある。しかし若者の多くはそのままノルトに留まり、家の畑を継いだり、結婚して新しく畑を開拓するのが常だ。高校に行くために村を出る者は、ごく少数なのである。
そんなノルト村出身のロレンツォが村を出たのは、中学に在学中の事。まだ十四歳の時であった。
彼がノルトを出たのには理由がある。ミハエル騎士団のアーダルベルト騎士団長が、兵士を募るためにノルトにやって来たからだ。隣国との小競り合いで騎士の総数を減らしていたためだったので、村人の多くは彼に批判的だった。
しかし、ロレンツォは違った。
騎士というものを初めて目の当たりにしたロレンツォは、それに強く憧れた。いや、騎士というより、アーダルベルトという人柄に心底惚れてしまったのだ。
この人の力になりたい。騎士として身を立てたい。アーダルベルトのような男になりたい。
ロレンツォは中学卒業を待たず、家族を説き伏せてトレインチェにやってきたのである。
ロレンツォが家を借りられたのは、ノース地区という安値のアパートが並ぶ、その中でも格安の所だった。騎士団本署からも繁華街からも遠く、不便な事この上ない。
ロレンツォの兵士団での地位も、一番底辺だった。剣を振るった事もない、たかだか十四歳の少年ではそれも無理はない。
だからこそ、ロレンツォは勉強した。騎士団に入団するには、それ相応の知識が必要になる。本来なら士官学校で習うべき事を、ロレンツォは独学で学んだ。剣も、兵士団の年長者に教えを乞うて習った。
トップに上り詰めたかった。アーダルベルト騎士団長の手足となりたいと言うと、皆には鼻で笑われた。「ノルトの田舎小僧が何を言っている」と。
だが、ロレンツォは負けなかった。
馬を扱う事ならば誰にも負けなかった。幼き頃から馬と共に生きてきた彼にとって、人よりも馬の気持ちの方がよく分かるくらいだ。特にその時にノルトから連れて来た馬、ユキヒメに乗ると、誰もロレンツォに敵いはしなかった。
兵士団に入って二年が経った頃。とある国の視察を士官学校生が行う事となり、その護衛を兵士団の幾人かが同行せねばならなかった。
その護衛に、兵士団の連中は行きたがらなかったので、自然、下っ端のロレンツォにその役目が回ってくる。
何故皆行きたがらないのか不思議だったが、士官学校生と同行して成程と納得した。士官学校生は十五歳から十八歳の、騎士予備軍だ。実戦経験など皆無のくせに、どこか兵士団を見下している節があった。
「よく見ておけ。これが戦争の爪痕だ」
赤髪の教官が、生徒らに向かってそう言っていた。生徒は十数名で、士官学校の中でもエリートを集めて来たのだという。
視察に来たのは、ファレンテイン貴族共和国とは無関係の農村だ。その村は燃え失せ、屍体は一箇所に集められて焼かれている。
嫌な臭いが立ち込めていて、士官学校生のほとんどは顔をしかめていた。
「教官、ここは兵士もいない村だったと聞きました。何故そんな村を襲う必要があるんでしょうか」
金髪の生徒が問い、赤髪の教官が答える。
「アクセル、戦争ってのは綺麗事ではすまねぇんだ。女子供や武器を持たぬ者は殺してはならない。確かに教鞭ではそう教えられるし、騎士としてそうすべきだと俺も思う。だが守るべき者のために、非情の策を取らなければいけねぇ事もある……アクセル、それにリゼット」
そう言うと赤髪の教官は、リゼットと呼ばれた少女に視線を移す。
「お前らはトップに立てる人間だと、俺は思ってる。判断を誤るなよ」
アクセルという少年と、リゼットという少女は首肯していた。二人とも、ロレンツォと年が近そうだ。
そんな事を考えながら、一行は村を視察する。すると目の端に、女の子が入った。年の頃は十に届くか届かないかくらいだろうか。服のあちこちが焼け焦げ、誰かの形見であろう腕輪を握り締めたまま、呆然としている。
ロレンツォも何度か戦闘を体験した。こんな場面も見た事はあるが、慣れている訳ではない。
「大丈夫か? 誰が死んだ?」
ロレンツォは思わず、そう聞いてしまった。少女は首を横に傾げただけで、無言だった。
「一人か? 誰か、面倒を見てくれる人はいるのか?」
やはり、彼女は無言だった。そしてふと気付く。言葉が通じていないのだと。この国は、ファレンテインでの公用語が通じない。困った挙句、ロレンツォは自分を指差して言った。
「ロレンツォ。俺は、ロレンツォ。分かるか? ロレンツォだ」
何度もそう伝えると、少女もこちらを指差して「ロレンツォ?」と鸚鵡返しをしてくれた。
「そうだ。君の名前は? 君の、名前。俺はロレンツォ。君は?」
俺と言う時は自分を指差し、君と言う時は少女を指差した。少女は名前を聞かれているのだと理解出来たらしい。小さな声で、しかししっかりとロレンツォの目を見ながら答えてくれた。
「コリーン」
それが、ロレンツォとコリーンの最初の出会いだった。
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