ドタバタ喜劇:我が良き友よ

のいげる

第1話 ハイウェイスター

「はっはっは。すまないね。御堂君。わざわざ車を出してもらって」

 浜口教授は言った。タバコを取り出そうとして、車内であることに気づき、諦める。浜口教授はどこぞのフライドチキンの店の軒先に立っている人形に似ている。あれの体格をもっと縮めた感じだ。うちの大学の重鎮で経済学の大家と言われている。

「構いませんよ。教授。お安い御用です」

 御堂は答えた。御堂の車は六人乗りのワゴン。コマーシャルでよくやっているあの車だ。御堂はキャンプが趣味で車内の後部にはキャンプ用品が積まれている。

 経済講演会の出演者の一人が急病に見舞われ、その穴を埋めるために浜口教授にヘルプが入った。そんなわけで俺たちゼミ生を巻き込んでの緊急出動となったわけだ。

 俺と鬼口は向こうで教授のプレゼンの手伝いをすることになっている。ゼミの単位を貰うためならどんな苦労も何のその。


 車が高速道路に入ったところで、後部に積まれた荷物の一部が動きだした。

「あー、良く寝た」

 眼鏡をかけた小男が寝袋の中から顔を出した。

「よ、吉村! どうしてそんなところに」

「ひどいじゃない。ボク。昨日からずーと君を尾行していたんだよ」

「お前はストーカーかああああ」

「だってこうでもしないと、いつだってボクを置いてきぼりにするじゃない」

 吉村は口を尖らした。

「いいか」俺は噛んで含めるように言った。「俺はお前の友達じゃない。お前は俺の友達じゃない。俺に付きまとうな。だいたい今日の遠出はゼミの仕事だ。遊びじゃない。お前がこの車に乗る理由がない」

「ひどぉい。ボクは君の友達だよ」

「断固拒否する。さあ降りろ」

「はっはっは。いいじゃないか。乗ってしまったものは仕方ない。吉村君にも講演を手伝ってもらおうじゃないか」

 浜口教授が口をはさんだ。

「浜口教授。何てことを。講演会が潰れてしまいますよ」

 俺は抗議した。嘘でもないし、大げさでもない。吉村はド変態で非常識なデストロイヤーだ。絶対何かとんでもないことをしでかす。たとえば講演会場でハダカで阿波踊りを始めるとか、それとも怪獣に変身して火を吐くとか、そんなだ。


 吉村と俺の出会いは大学祭の夜だ。あの時は飾りつけの木が一本まる焼けになり、科学実験室が吹き飛び、警備員のおじさんがハゲになった。学生運動の連中が壊滅し、警官隊は全員凄まじいトラウマを帯びることになった。ああ、思い出したくない。

 それらすべてがこの吉村のせいだ。なぜかあれ以来、吉村は俺の周りをうろちょろするようになった。


「人間、何事も寛容にね」

 浜口教授が結論を出した。教授の意向一つにゼミの単位がかかっている。こうなれば俺と鬼口は受け入れるしかない。それきり教授は読みかけの本に戻った。世界呪術大全とかいう民俗学の本だ。

 仕方がない。俺はすべてを諦め、助手席のシートに深く腰かけた。鬼口もその大きな体を縮めるようにして大人しくシートの上で石となった。

「おい、あの吉村っての。そんなにヤバイのか」

 御堂が小さな声で俺に聞いた。

「ヤバイなんてもんじゃない」

 シートベルトがきっちり嵌っているのか確かめながら、俺も小さく答えた。

「しっかりと運転を頼む」


 その後の車中で起こった騒ぎの数々は喋りたくない。延々と続く漫才、物まね、冗談、突然のクラッカーの爆発。尾行中に盗撮された俺の恥ずかしい写真の公開。

 鬼口はまったくの無言だったし、浜口教授は本に夢中だった。これらすべてを何のリアクションも貰えずに、吉村はただ一人で演じてみせた。

 奴が車内で騒ぎを起こすことに飽きたのは、二時間も経ってからだった。鋼の神経、そしてただただ近所迷惑。

 浜口教授が手にした本を閉じると車の後ろを見つめた。

「ついて来るな」

「何がです? 教授。吉村ならそこに居ます」

「ああ、いや、何でもない。こちらの話だ」

 教授は何かを言いよどんだ。

「失礼な。ボクだっていつも他人の後をつけたりしないよ。つけるのは中山君と鬼口君だけ」

 鬼口が身を乗り出すと俺の耳にボソボソとつぶやいた。

「なあ、中山」

 鬼口は一段と声を潜めた。

「こいつ殺していいか?」

「ちょ、ちょっと待て。鬼口」俺は答えた。「ここではダメだ。人の目がある」

「何がダメなの?」吉村が割って入った。こいつは地獄耳か。

「うるさい」俺は静かに言い放った。「口を閉じていろ」

 驚いたことに吉村は口を閉じた。その代わりに首が伸びた。

「首を伸ばすなああぁぁぁ!」

 代わりに耳が伸びた。

「耳も伸ばすなああぁぁぁ!」

「じゃあ、ボクにいったいどうしろと言うの?」

「大人しくしろ言うとんじゃ、ボケ!」

 しばらく吉村は静かにしていた。だがそれも長くは続かない。

「あ、いいこと思いついた」

 そう叫ぶなり奴はゴミの入った袋をいきなり窓の外にぶち撒けた。後ろの車があわててハンドルを切り、猛烈に追い付いて来ると、クラクションを激しく鳴らし、窓を開けて何か怒鳴っていた。きっとバカヤローとかなんとかだろう。

「この馬鹿! なんてことをするんだ!」

 吉村はまったく反省していない。高速道路でゴミを車外に投げ捨てるなんて殺人未遂もいいところだ。

「ひとつ」浜口教授がつぶやいた。

 背後で大きな音が轟いた。フロントガラスにビニール袋を張り付けた車が中央分離帯に乗り上げて宙を舞っていた。そのまま対抗車線へと飛び込むと、対向車と正面衝突をする。

 今度響いたのは爆音だ。炎と煙が吹き上がる。

「な、な、な」俺は絶句した。後ろを振り向いた鬼口も目を見開いている。

「あ、あ、あ」と運転席の御堂。バックミラーを見つめている。

「あれ、俺たちのせいか」

「違うちがう違う」俺は叫んだ。「俺たちじゃない。吉村のせいだ」

 俺たちの怒りの言葉をまったく無視して、吉村はまた「あ、いいこと思い付いた」と叫ぶと、車のサンルーフを開けると止める間もなく飛び出した!


 その光景は今でも悪夢としか思えない。服のすそを両手で持った吉村が風圧を受けてムササビの様な格好で宙を舞うと、この速度の中でも実に優雅に宙を滑べり、近くをライダースーツの背中を膨らませながら高速走行していたバイクの後ろにピタリと張り付いたのだ。

 吉村が張り付く前にちらりと見た様子では女性ライダーのようだった。

「ひいいいいいい」

 風の騒音の中でも今度は悲鳴がはっきり聞こえた。それはそうだ。時速八十キロ近い速度でいきなり後ろから抱きつかれて、驚かない人間がいるだろうか?

 たちまちバイクはバランスを失い転倒した。

 すごい火花がバイクのフレームと道路との間で起こり、ライダーがスローモーションを見るかの様な動きでバイクの後を滑りながらついていく。俺たちの顔から血が引いた。

「死んだか?」

「わからん」後ろを見ていた鬼口がつぶやく。「少なくとも血の赤色は見えない」

 はっと気が付いた。吉村はどこだ?

 ・・吉村は宙にいた。再びムササビと化し、これは遠目でもはっきりとわかるニヤニヤ笑いを浮かべながら、またツイと宙を滑べると次の犠牲者の背に飛び乗った。

 ・・今度もどうやら女性ライダーらしい。あの変態は狙ってやっていると確信した。

 吉村の手が女性ライダーの胸を鷲掴みにする。今度のライダーもすぐに転倒した。ただし先ほどと違うところは後続車が巻き込まれたことだ。車がスピンし、浮き上がり、センターラインを越えてまたもや対向車線へと入っていく。今度はタンクローリーだ。

 その後はあれよあれよという間だった。吹き上がる炎、大音響、次々と巻き込まれる車、バイク。みるみる遠くなっていく現場を後に俺たちは車のスピードを落そうなんてちっとも考えなかった。

 今は一刻も早くこの場を離れること。

 対向車線にパトカーと消防車が入り込んできた。俺たちの背後にもパトカーのサイレンの音が響く。誰かが通報したようだ。

 バックミラーの中に吉村が映った。今度は両手をパタパタさせて風に乗り、こちらの車に戻ろうと追って来る。普通の人間は羽ばたいて空を飛ぶなんてできっこない。ましてや高速走行中の車に追いつくなんてことも。前から変態だとは思っていたがここまでの変態だとは。俺は舌を巻いた。

 その吉村の後ろにパトカーの群れが続々と繋がって来る。サイレンの音が津波のように重なって迫る。吉村は俺たちを追い、パトカーは吉村を追う。

 ついに堪り兼ねた警官たちが発砲を始めた。空中の吉村目掛けて銃弾が飛ぶ。その内の一発が俺たちの車に当たり、リアガラスを突き破って浜口教授の頬を掠めると、そのままフロントガラスを突き抜けていった。

 ひい、と小さく声を挙げて、運転手の御堂がアクセルを踏み込む。たちまちスピードメータが跳ね上がる。百、百十、百二十。だが、吉村も顔を真っ赤にしてじりじりと追い付いてくる。シュールな光景に感じた。あまりことに俺の驚くという感覚が麻痺してしまったに違いない。

 鬼口の神経がついに切れた。何か喚きながら横の座席を掴むとそれを引きちぎった。べきべきと金属パイプが引きちぎられる音がする。なんという怪力。鬼口は切れるととんでもない力を発揮する。鬼口は窓を大きくあけると身を乗り出し、千切りとった座席の背もたれを吉村目掛けて投げつけた。

 ひょいと避けられた。服をばたばたさせているだけなのに、何という空力特性。

 投げられた座席はそのまま飛び、背後を走っていたパトカーに正面から飛び込んだ。パトカーは左右によろめくと後続のパトカーを巻き込みながら、そのまま道路脇の壁に突っ込んだ。

「うわわわわ」俺は悲鳴を上げた。

「うわわわわ」鬼口が悲鳴を上げた。

「うわわわわ」御堂が悲鳴を上げた。

「ふたつ」浜口教授が静かに言った。

「忘れろ」いち早く冷静に戻った俺は唖然としている二人に言った。

「忘れた」鬼口が答えた。

「オレは何も見ていない」御堂が宣言した。

 浜口教授以外の全員で笑った。背後の高速道路で炎が上がり、爆発音がして、警察や消防のサイレンがさらに鳴り響く。

「これにて一件落着」俺がまとめた。

「いやまだだ」鬼口が背後を振り返りながら言った。

 吉村だ。この速度の中、じりじりと近づいてくる。

「ほう。スリップストリームをうまく利用しているね」浜口教授が感想を漏らした。

 ついに吉村が車に追い付きサンルーフに手をかけた。顔を車内に入れてこういう。

「ボクを置いていこうったって、許さないからね」

 鬼口が手にもった何かの器具を吉村の顔にたたき込んだのはその時だった。

 もんどり打って、車から落ちる吉村。

「これで三つ目」浜口教授が口を開いた。

「呪的逃走では背後に三つのものを投げる。それで逃げるための呪術が完成する。最初にゴミ、二番目に座席、最後が吉村君だ」

「呪的逃走?」と俺。

「ほら、イザナギ神がイザナミ神を連れ戻そうと根の国に降りていったアレだよ。この呪的逃走はほとんどどこの国の昔話にも出てくるモチーフでね、オーディウスのケースはそれをやらずに失敗した例だな」

 浜口教授は手にした世界呪術大全を示しながら説明した。

「では俺たちはこのまま逃げられると?」

「ほら見てご覧。誰も追ってこないだろ?」教授は後ろを指さした。

 なるほど誰も追ってきてはいなかった。



 ・・さあこれが先日、新聞を賑わした東名高速大惨事の真相だ。

 なぜか被害の割に死者は一人も出なかったものの、大勢の重軽傷者や火災でその後一週間高速道路は封鎖された。

 あの後すぐに高速道路を降りた俺たちは普通の道路を辿って講演会場へついた。浜口教授の講演は大成功に終わり、大勢のお偉いさんたちが教授と握手をしにきた。その間、俺たちはいつ警察が逮捕に来るのか気が気でなかったが。

 事故の被害者の中には吉村の名はなかったが、ここしばらく吉村の顔は見ていない。うちに帰るとすぐに御堂は車を廃車にした。その気持ちはよくわかる。

 オービスにも俺たちの車は映っていただろうに、その後警察が俺たちを訪れることは無かった。

 だが、俺は二度と高速道路を利用しようとは思わない。あの変態中の変態、吉村があの程度で死ぬとは到底思えないからだ。きっと奴は高速道路が気に入ったのだと思う。


 だから今も奴はあそこに居る。

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