何も無かった
第83話 路地裏に振る雨
ザーザーと降りしきる雨だった、まだ季節的に暖かいのだろうか、それほど寒さは感じない。
手も足も頭も胸も腹も何処もかしこも痛く。
むしろ痛みで火照った体にその雨が心地よい……もういいか、もう終わりにしてもと……。
ふと倒れている俺の視線の先に白い毛の足が見えた。
そして……。
「っ大丈――」
そこで俺の記憶は途切れている。
……。
……。
――
――
「クーちゃん、ボーっとして、どうしたの?」
窓際で降りしきる雨を見ながら、そんな過去を思い出していた俺に声をかけて来たのは。
「ああ、イヴリン……この雨じゃ仕事にならんと思ってな」
俺は返事をしながら相手を見る、真っ白い毛と髪の毛、そして赤い目のイヴリンだった。
彼女は窓枠に腰掛けて外を見ていた俺に近づいて、その横に来ると、一緒に窓から外を覗く、雨の勢いは止まる事も無く只ザーザーと振っている。
「ううん……困った……今日のご飯はいつもよりさらに少ないけど良い? クーちゃん」
申し訳無さそうに聞いてくるイヴリンだったが、そもそも彼女の部屋に居候しているのは俺なのだ、嫌も応も無いのだがな……。
「晴れたら魚を一杯取りにいこうなイヴリン」
「うん! 頑張ろうねクーちゃん!」
可愛らしい笑顔を浮かべるイヴリンの頭を撫でる俺、彼女の白い尻尾が嬉しそうに左右へと振られていた。
ザーザーと振る雨はまだ止みそうも無い。
……。
……。
雨は一日中止まず、仕事がなきゃ特にやる事も無い、この四畳半程の狭い部屋でお互い時間が過ぎるのを待つだけだ。
下手に動けば体力が減り飯も多く消費をする、夕方になり風も強く成って来たので木窓を半分閉めて暗くなったその部屋で、俺は壁を背に座っている。
そんな俺の膝の上に喜々として乗って来るイヴリン、お互いに何かを話す事は無く、ただイヴリンの背中の体温を感じるのみだ。
俺の目の前には彼女の頭がある、その白い毛に包まれた頭には、あるはずのものが一つ存在しない。
残っている片方の狼のケモ耳がピョコピョコと機嫌良さげに動いているのみだ……。
俺から見ると美しいとも思えるこの白い毛がイヴリンを一人にしたらしい。
彼女の父親はとある黒狼族の族長で黒い毛並みが美しかったのだと母親に教えられたそうだ。
黒い毛並みの父と黒い毛並みの母親……その間に白い毛で赤い目のイヴリンが生まれたらどうなるかなんて……よくある話と言えばある話だな。
人社会ですら肌の色や髪の色が違い過ぎれば嫁の不貞行為を疑う。
イヴリンと母親は一族から追い出されて、この獣人国家の国境近くの商業都市へと流れて来たらしい、俺がイヴリンと出会った時に彼女はすでに一人だった。
スースーと俺に寄りかかるイヴリンからの寝息が聞こえる、夕飯前に寝ちまったか……まぁ夕飯と言っても銅貨一枚で買える小さな黒パンを二人で半分こにするだけなんだけどな。
俺はそっと彼女を部屋の真ん中に寝かせると、窓を閉め棒で施錠をすると、ほんの少しある窓の隙間から射す雨雲からの明りを頼りに彼女の横に寝転んだ、布団なんて高価な物は無い。
俺の気配を感じたのか寝ながら俺に縋り付いてくるイヴリン、お互いの体温があれば布団代わりに十分かもな……。
「とうさ、ま……」
イヴリンが、記憶に無いという父を求めて寝言を言っている、俺は自分の腕をイヴリンの枕として貸し出す事にした。
……。
……。
部屋は暗いがまだ夕餉時だ、眠れる訳がねぇ、横から俺に抱き着いてきているイヴリンはまだお子様だからな……寝るのも早い。
彼女は自分の正確な年齢が判っていなかった、恐らく12歳前後だと思うんだが、母親が亡くなってから一人で生きてきた逞しい子だ。
俺はあの時、死を覚悟していた……。
気付いた時には路地裏で真っ裸で横たわっていた、またいつもの転生だと〈財布〉からパンツを取り出そうとしたら……〈財布〉が使えなかった……びっくりして急いで自身の中の能力を感じようとしたら……。
何も無くなっていた……いや、≪獣化≫だけは残っていたが……すぐさま直前の前世を思い出そうとした、その最後の記憶はオーク帝国の軍団に囲まれた物だった、あの時には能力が各種あったはずだったのに、まっさらな状態になってしまっていた。
本当に焦った、なんだかんだと言って祝福の能力に頼っていたんだなと思ったね。
周囲の建物はみすぼらしいし、あの時は最前線の城塞都市の中に出たのかと思ったっけか。
それならばと真っ裸ではあるが自分は男の獣人みたいだし、今は気にせずに周囲に人が居ないかを探して教会の場所を聞こうとしたら……。
ボコボコに殴られ蹴られ、刺され……なんの能力も無いと抵抗も難しく、少しばかり強い力があっても十数人もいる男のチンピラ共には勝てなかった。
≪獣化≫をしていればワンチャンあったかなって気づいたのは、死にかけで路地に倒れている時に雨が降り出してきた頃だったけ……もう、無理だなと、生を諦めた時に俺を見つけたのが……イヴリンだ。
雨の中真っ裸で倒れている見知らぬ黒毛の狼獣人、歳の頃は……イヴリンが言うには40歳前後に見えるそうなので40歳とした。
恐らくだが……イヴリンは俺に、話でしか聞いた事が無いという父親の面影を感じたのだろう、こんな素っ裸で怪しい黒毛の狼獣人を自分の家まで引っ張っていってくれて、看病をしてくれた。
イヴリンには片耳が無い、恐らく父親に一族を追い出される時に切られた可能性が高い……獣人族の女性の場合、耳や尻尾が貧相だと嫁に行く事が難しいと前世でトトカさんに聞いた記憶がある。
犬獣人であるトトカさんの茶色い耳と尻尾は両方ともフサフサと立派で、尻も柔らかくて素敵だった記憶が読める、いつかこの尻尾と耳で良い雄を捕まえてみせると鼻息荒く宣言をしていた記憶もあるな……。
片耳が無いと周囲から眉を顰められる事もある、そんな年若く自分が生きるのも辛い状況で死にかけの俺を拾って助けてくれたイヴリン。
俺はこの恩を一生をかけてでもイヴリンに返すつもりだ。
まずは祝福だな……。
俺は暗闇の中で考える。
この獣人社会での教会の力は人間社会ほど強くは無い、故に教会が無い都市や村も多いらしい、そんな中で人々が祝福を得るには、渡り教会と呼ばれる神像と共に移動をしている教会勢力に出会わないといけないらしい。
そして情報収集だ、イヴリンはまだ子供で知らない事が多すぎる、ただし、この獣人社会でも神歴が使われている事は知っていた。
まぁ具体的な数字は知らなかったけどな……兎に角、神歴が同じ物なら俺が人間で転生しまくった世界と同じ世界な可能性が高くなった。
それと金稼ぎだな、今はイブリンの仕事である川での魚取りの手伝いをしているが、何かもっと稼げる事を探したい。
だけども俺は男に嫌われるから……イヴリンの前に出る訳にいかないんだ……もしイヴリンが魚を売りに行っている男の商人が俺の事を嫌って取引をしてくれなくなったら……。
小さな女の子を前面に出して後ろでコソコソと手伝うくらいしか出来ないのが悔しい!
俺はヒモかよ! ……いや、現状はもう完全にヒモだな……12歳かそこらの少女に養って貰う40歳前後の俺って訳だ……。
いくらイヴリンが俺に父親の様な物を求めているからとて、それに甘えてこのままで良い訳がない、父親なら娘を守ってやらないとな……。
それには結局の所、祝福と情報が欲しいのだよな……はぁ……使えない男で済まんなイヴリン……。
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