似た者同士

M.S.

似た者同士

 在処ありかと話さなくなったのはいつ頃からだっただろう。

 僕が小学四年生になって部活動に参加し、帰りの時間が合わなくなってからだっただろうか。それでも朝は近隣の生徒で集まって集団登校していたから、その時はまだ顔は合わせていたはずだ。けれどここ数年はもう話した記憶がほとんど無い。

 小学校低学年の頃の記憶を探ってみる。その時はまだ確かに僕達は言葉を交わしていた。

〝宿題やった?〟

〝うん、もちろん〟

〝私、忘れちゃった〟

〝どうして忘れるんだ?〟

〝昨日公園で遊んでて、帰ったら疲れて寝ちゃった〟

〝遊びに行く前に宿題をすればいいだろ〟

〝めんどくさいもん〟

〝......そうか、じゃあしょうがない〟

〝そうそう、しょうがない〟

 よく喋るし、よく笑う女の子だったと思う。体育が好きでそれ以外は嫌いっていう、周りの女子とは少し変わったタイプの女の子だ。集団登校中、話し出したら止まらない在処の話に相槌あいづちを打っていたのは覚えている。


 けれどそれも、いつの日からかをさかいに徐々に変わっていった。

 集団登校のルールで上級生は下級生を見守りやすいよう列の先頭と最後尾さいごびにいないといけない。どちらが言うでもなく、在処が列の先頭で、僕は一番後ろに付くようになった。だから高学年になってからは余計に喋らなくなった。

 在処は下級生がふざけて道路にはみ出したりすると、持ち前の面倒見の良さでしっかり注意していたし、一年生の手をしっかり握って引っ張ってやったり、声を掛けたりもしていた。

 初めは在処の性格が変わってあまり喋らなくなったのかと思ったけど、そういう所を見ると性格が変わったわけでもないようだった。

 僕は自分からあまり喋る方じゃないし、きっと僕と話をしていてつまらなくなったんだと思う。

 在処が学校の廊下で友達と楽しそうに話している姿はよく見かけたし、二時間目が終わった後の二十分休憩では校庭に出て行って男子に混じってサッカーボールをっている姿も見た。

 男子と遊んでいるという事は、男子自体が嫌いになったのではない。


 男子ではなく、僕を嫌いになったのだ。


 二時間目の後の休憩でも、昼食後の休憩でも教室で本を読んでいる陰気いんきな僕とは気が合わなくなったのだ。

 その頃、男子の中で〝女子と喋る事は恥ずかしい事だ〟なんて言い始める声の大きいやつがいて、クラスがそういう空気になって。

 それまでは係仕事でノートを渡したり、給食の当番の時に少しだけ話したりはしたけれど、それ以降はほとんど話さなくなった。

 でも、友達の少ない僕はなんだか昔からの親友を一人失った感じがして、少し寂しいとも思った。


 中学校に上がると、一学年四クラスあるにも関わらず、僕と在処は同じクラスになった。

 入学式で見た在処は少し、大人びて見えた。

 中学になったらもちろん制服を着る事になる。けれど僕は学ランを着て在処はスカートを穿く。

 在処は小学生の頃、スカートを穿くような女子ではなかったから少しその姿には驚いてしまった。

 ────それはそのまま僕に、在処はまぎれもなく女子であるのだと意識させた。

 体つきも変わってしまった。身長も小学六年生の途中までは在処の方が高かったのに、今では僕の方が少し高くなった。

 でも、教室内の地位という意味では在処は僕なんかよりずっと高い所にいるように思える。

 在処は授業中積極的に挙手してはきはきと発言し、授業以外の休憩時間では近くの席の生徒とお喋りしてはおどけて見せたりし、周囲の笑いを誘っていた。

 この前の中間考査の結果発表では学年全体の成績上位者に名前をつらねた。成績上位者三十名は廊下に名前が張り出されるのだが、在処は四番という好成績でそこに名前がった。僕は二十九番でぎりぎりそのわくには入っていたけれど、張り紙が大きなせいでほとんど足元の所に名前が載っていた。その差が、現実の僕と在処を表しているようにも見えた。

 そういう色々な違いが、在処はもう小学生ではなく立派な中学生、もしくは大人になって僕とは違う世界を生きているのだと感じさせられた。

 同じ教室にいるのに。

 在処の視界にはもう僕など入ってはいないだろう。

 きっと将来を見据みすえて付き合う人間を選び、堅実けんじつな人生設計を頭の中で組んでいると思う。


────


 日々輝ひびきと話さなくなったのはいつ頃からだっただろう。

 きっとあれだ、小学生の時クラスの友達が、「日々輝君が好きなの?」と図星を突いてきたせいだ。その時は、教室の端っこで難しそうな本を読んでいる日々輝をサッカーに誘おうと思っていただけなのだ。けれど本を読んでいる横顔が真剣そのもので、文をにらんでいる瞳にいたってはまるで見えないものまで見ようとしている深みがあってつい、遠目から見惚みとれてしまったのだ。そこを友達に見つかってしまった。

 日々輝は外で体を動かすのがあまり好きじゃないみたいだから、せめて日々輝が読んでいる本と同じものを読んで、それをだしにして話しかけようかなとも思った。

 こっそり日々輝が読んでいる本の題名を盗み見たけど、漢字が難しくて題名すら分からなかった。また別の本を読んでいる時に話し掛けたけど、とても難しい話をするのでいていく事が出来なかった。

〝つまり、この本の主人公は知能が高すぎて、そのせいで周りとの軋轢あつれきが生じたんだ〟

〝あつもり......?〟

〝周りと仲が悪くなるって事。例えば、先生が今の僕達に大学の授業をした所で僕達は理解が出来ないし、分からないことばっかり言う先生を嫌いになるだろ? この主人公は、周りにレベルが高い事を悪気わるぎなく押し付けすぎたんだ。だけど、主人公は頭がかしこすぎるせいで、それに気付いていない。無自覚に周りを傷つけているんだ。でも、この話の何が悲しいかって、悪い人がいない所なんだよ。だから余計、やるせない気持ちになるんだ〟

〝やるきない......?〟

〝悲しい気持ちに中々整理をつけられないって事だよ〟

 いつもは落ち着いた顔をしているけど、本の話になると静かに熱を持ったように話し始める日々輝に、私は熱のこもった感想なんて言えなくて。

 代わりと言ってはなんだけど、真っ直ぐ日々輝がこちらを見ながら話すものだから頬が熱くなってしまった。日々輝は真面目に話しているのに、それに比べて私の気持ちは程度が低いものだから、余計恥ずかしくなってしまった。


「日々輝君はきっと、おとなしい人が好きだと思うよ」

 昼食中、机を合わせた一人の女子がそう言うと、周りの女子もその言葉にうんうん、とうなずいて見せた。

「別にそんな事、いてないって」

 そう返したが、その友達の意見には一理あるような気がした。日々輝の両親は小さい頃から知っているけど、父親も母親も物静かな感じがして優しい人だった。逆に私の両親は両方ともせっかちで、笑う事も多いけどすぐ怒ったりもする。感情の起伏が激しい。きっと男女は似たような人同士でくっ付くものだろうと思う。


 日々輝はきっと、頭が悪くてやかましい私が嫌いになったのではないだろうか。


 もしそうだったら、嫌だな。

「ねぇ、おとなしい人ってどんな人かな?」

「う〜ん、それはね────」

 その日から私はしおらしく、おくゆかしくしようと努めてきた。

 話し方も意識して変えたし、大声で笑ったりするのも気を付けてみた。

 一緒にサッカーをして遊んでいた男子も、日々輝と比べたら急に子供っぽく見えてしまった。

 たまに日々輝と話す事がある時は、意識して声の抑揚よくようと声量を落として声を掛けてみた。

 けれど日々輝の態度はどこかちょっと、冷たいままだった。


 中学校に上がると、一学年四クラスあるにも関わらず、私と日々輝は同じクラスになった。

 入学式で見た日々輝は少し、大人びて見えた。

 クラスの自己紹介で話していた日々輝は声変わりしていて、だいぶ低くなっていた。それを聴いて心臓の音が少しうるさくなったのが分かる。

 もう言い逃れは出来なかった。

 ────私は日々輝を男子として意識しているという事に。

 そして、日々輝はきっと賢い女の子が好きだろうと思ったから勉強に力を注いだ。こちらから声を掛けるのは恥ずかしくて出来なかった。

 中間考査の出来は、これ以上無いものだった。けれど結果が廊下に張り出された時、日々輝は張り出された結果なんて見ずに俯いて、いつも通りすんとした顔をしていた。

 きっと、こんな事は下らないと思っているのだ。試験の順位なんかどうでもよくて、私には考えの及ばない事を頭に浮かべているに違いない。

 すでに、日々輝が教室で読んでいる本は分厚く、およそ中学生が読むような本ではなかった。日々輝の頭ならもっと上位に名前が載っていてもおかしくはないと思うけど、日々輝にとっては試験勉強に時間をくよりは、本に触れていたいのだろう。

 授業の合間に窓際で本を開く日々輝の顔は小学生の頃より鋭い感じがして。

 冷たくもなったような気もする。

 中間考査の結果ごときで一喜一憂いっきいちゆうしているような私が迂闊うかつに声を掛けられる雰囲気ではないように感じた。

 そんな日々輝の中学生らしくない大人びた横顔が、日々輝はもう小学生ではなく立派な中学生......ですらなく、大人になって私とは違う世界を生きているのだと感じさせられた。

 同じ教室にいるのに。

 日々輝の視界にはもう私など入ってはいないだろう。

 きっと周りの幼稚ようちさに嫌気いやけが差して、人間より書と付き合う事を選んだのだ。どこか寂しそうに見えるのは、私の都合の良い気のせいに違いない。


────


「おい、日々輝、ちょっと良いか?」

 六時間目の授業後、隣の席の男子が声を掛けてきた。

「俺、数学の係でノートをみんなに配って返さなきゃいけなかったんだけどよ、返し忘れちゃってさ。んで在処さんの分のノート、お前返しといてくれないか? 聞いたところ、お前と在処さん、家が近いらしいし」

「......別に良いけど。......でも、机の上に置いておけば良いんじゃないか? 明日の朝になったら本人も気づくと思うし」

「あぁ、そうしようと思ったんだけどさ。多分在処さんって家で予習復習とかするタイプだろ? あの成績じゃさ。だから俺みたいなやつのノートなら机の上にほっぽって帰れば良いんだが、在処さんのノートはそうはいかないと思ってさ」

「......なるほどね」

 僕はノートを受け取ってその頼み事を了承りょうしょうした。あまり気は進まなかったのだが無理に断るのも申し訳なかった。

 どう返すのが最適だろう? 郵便受けに入れておこうか? いや、それだと気付かなかった場合、在処はきっと困る。数学の授業は明日もある。気付いたとしても、誰が郵便受けに入れたのか気になるだろうし、在処の性格ならノートを郵便受けに入れた本人を探し出して礼を言おうとするだろう。ノートを入れたのが僕だったとしても、礼儀として頭を下げには来るはずだ。

 出来るだけ在処に顔を合わせずに渡したいが、良い方法も浮かばない。

 でも明日学校でぎくしゃくするよりは、さっさと今日渡してしまうのが良いと思った。


 在処の家のインターホンを鳴らすのは久しぶりだった。

 僕は在処の母親が出てくる事を祈った。

 ぶつ、とインターホンから音が鳴る。家の中の通話口と繋がった音だ。だがしばらくしても応答が無い。

 インターホンからの応答を待っていると、不意に玄関の方からがちゃ、と音が聴こえてきた。先にインターホンの方から何かしら一言、二言あるものだと思っていたので、身構えてしまった。昔は大した用事なんか無くても気兼きがねなくインターホンを押したものだったが、今はどうしてこれだけの事に勇気がいるのだろう。

 俯きがちに玄関へ顔を向けると、視界の上半分にローファーと制服のスカートが入った。

 中からは在処が出てきた。

「......何か、用事だった?」

 扉に体半分を隠した在処はこちらをうかがうようにしてそう訊いた。

 こころなしか、在処は嫌なものを見るような目と声をしているように感じる。

「数学の係の人がノートを返し忘れていたらしいんだ。それで頼まれたんだよ」

 そう言っても中々在処が出てこなかったので、僕は針のむしろにいるような気になってえられず、玄関のポーチに入って扉に寄った。

 すると在処は驚いたのか、扉の後ろで肩をねさせたのが分かった。

 どうやら、相当嫌われているらしかった。

 なかば、無理矢理にノートを押し付ける。

「じゃあ、用事はそれだけだから、邪魔してごめん」

 そしてきびすを返して家の敷地を出る頃、僕はすっかり落ち込んでしまった。

 いつからこうなってしまったかは分からないけれど、もし在処が小学生の時のまま勉強が苦手だったら教えてやれたのに、と思う。

 けれどもう在処は僕の事を必要としていないどころか、わずらわしいとすら思っているかもしれない。

 そう思うと、涙があふれてしまった。

 同じクラスになんか、なりたくなかった。


────


 鳴ったインターホンのカメラを見てみると、日々輝が立っていた。

 昔まだ小さい小学生の頃、日々輝がインターホンを鳴らして遊びに誘ってくれていた事を昨日の事のように思い出した。

 何かの誘いだろうか?

 そんなあわい期待を抱いたが、今の私は、今の日々輝と面と向かって言葉を交わすための心の準備を、していない。

 どうせ顔を合わせてもまともに話せないのだから、カメラ越しに声を掛ければ良かったのだけれど。

 けれど私は考える前に体を玄関扉の内側に運んでいた。

 扉ののぞき窓から日々輝をてみる。

 少し前までは私より小さかったのに、今ではインターホンが取り付けられたへいより背が大きくなっている。

 心臓から耳の裏に至るまで、どくどくと脈打っているのを感じた。玄関に備え付けてある姿見鏡を見てみると、私の顔はすっかり林檎りんごのようになってしまっていた。

 玄関の電気を消し、窓のブラインドを下ろして深呼吸し、それから扉を少し開けて隙間から覗くと、日々輝が気付いてこちらを見た。

「......何か、用事だった?」

 ......ああ、なんでこんな突き放すような言い方になってしまうんだろう? なんで昔のように話せないのだろう? もう小さい頃、日々輝とはどんな風に会話をしていたか思い出せなくなってしまった。

「数学の係の人がノートを返し忘れていたらしいんだ。それで頼まれたんだよ」

 日々輝の声、聞き慣らしていない低い声のせいで、その声音こわねが普通なのか怒っているのか分からない。怒っていたらどうしよう。

「じゃあ、用事はそれだけだから、邪魔してごめん」

 心の準備が出来る前に、日々輝の背が小さくなる。

「ぁ......、ぁりがとう......」

 日々輝が向かいの自分の家に入ってから、ようやく私はそう呟いた。

 呟いたけど、遅すぎた。昔は「ありがとう」なんていて捨てるほど言っていたのに、今はどうしてこれだけの事に勇気がいるのだろう。 

 日々輝には、お高くとまったいけすかない女だと思われてしまったかもしれない。自然に会話が出来る絶好の機会だったのに。

 そう思うと、涙が溢れてしまった。

 同じクラスになんか、なりたくなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

似た者同士 M.S. @MS018492

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ