7-22 スファレライト

 メルジューヌは元気良く言った。


「さ、ケインズの部屋に行くわよ、名探偵さん」

「今のところ、君の方が活躍していると思うけどね……」


 エアロンはぐったりと壁に肘をついている。

 正直なところ、彼にはケインズがダニーク医師を脅迫していようがいまいがどうでもいい。しかし、メルジューヌは自分の推理が正しいと彼に証明しないことには気が済まないようだった。


「部屋の鍵は開いてるの?」

「どうかしら。念のため持っていきましょうか」


 メルジューヌはツェツィーリアの執事を捕まえるとマスターキーを貸してくれるよう要求した。当然一度は断られたが、「貸した本を取りに行きたいのだ」とぬけぬけと嘘を吐く。それでもなお難色を示されたものの、結局藤色のウインクに屈してしまった。

 得意顔の彼女にエアロンは言った。


「借りられたの? すごいね、どんな手を使ったんだろ。ナイフで脅した?」

「エアロンたら、あたしの印象が悪過ぎるわ。可愛くおねだりしただけよ」

「おねだり、ねぇ……」


 エアロンは疑惑の目を向けたが、彼女は愉快そうに笑って先に行ってしまった。

 ケインズの部屋はエアロンやメルジューヌの部屋と同じ一人用の客室だ。家具はベッドと書き物机に洗面台程度のシンプルなものだったが、調和の取れた居心地のいい空間となっている。

 部屋は既に大雑把に掃除されていて、使用済みのシーツなどは片付けられていた。荷物の処分などは宿泊客が全員いなくなってから行うつもりなのだろう。


「本当に荷物は丸々残していったんだね」


 エアロンが隅に纏められた荷物を引っ張り出す。メルジューヌが隣に膝をついた。


「ねえ、エアロン。あの人とはどういう知り合いだったの?」

「一回捕まえて警察に突き出したかな。今はただの知り合い? 船長がパーティーに潜入する際に手助けしてくれたらしいよ」

「ふぅん。じゃあ宝石商っていうのは嘘なのね」


 ケインズの荷物にはありきたりなものしか入っていなかった。紳士が身形を整えるために使う当たり前の品々。埃取りから靴下に至るまで、すべてがそれなりに値の張る物で揃えられている。必要最小限の量で抑えた一式は、持ち主が旅慣れていることを示していた。


「見て、宝石のカタログよ」


 メルジューヌが楽しそうに小冊子を開く。目を輝かせていたのは最初だけで、がっかりしたようにエアロンを振り返った。


「イラストじゃよくわからないわ。やっぱり本物を見なくっちゃ」

「へぇ、君もそういうキラキラしたものに惹かれるんだね」

「なんだって一度は興味を持ってみることにしているの」


 彼女は荷物の山を漁り始めた。


「んんー……本物の宝石は持ってないのね。つまらないわ」

「高価な宝石だったら置いて行ったりしないんじゃない? もしくは、残されてたけど没収済みとか」

「ツェツィはそんな泥棒みたいなことしないわ。宝石だって沢山持ってるもの」


 メルジューヌがムッとする。エアロンは「ごめんごめん」と軽く謝り、スーツケースの中身をすべて床にぶちまけた。


「……ま、ケインズが本当に自分の意志で出て行ったのかどうかは考えてみるべきじゃないかな? 朝起きたらいなかった、捜索したけれど見つからない、ミロスラヴァ夫人が襲われたと証言している――全部キリアノワ側の人間の証言なんだ。ケインズから見た場合、まったく同じようになるとは限らないよ」

「誰かが嘘を吐いていると思うの?」

「別に君の友人を疑おうってわけじゃないさ。ただ、僕にとってはケインズと同じくらいツェツィーリア自身も怪しいってことだよ。誰にも信用できるという根拠がないんだから」

「あたしのことも?」


 メルジューヌが身を乗り出して覗き込む。エアロンは一瞬首を仰け反らせたが、眉を潜めて追い払った。


「ツェツィーリアよりはマシかな。この屋敷にいる人間の中では知り合って長い方だしね。でも君、人殺しじゃないか」

「あら。あなたの方が遥かに沢山殺してきたじゃない」


 思わず言葉に詰まる。

 忘れようと努めていた幼少期の記憶が、埃と瓦礫と腐肉の匂いに塗れた記憶が首をもたげようとするのを、エアロンは無理矢理抑え込んだ。

 そうしているうちに、メルジューヌはあっさり話を変えた。


「今だって人の荷物をひっくり返してるわ。あたしたち空き巣かしら」

「君がやろうって言い出したんだろ……ほら、おいで。こういうトランクの一般的な隠し場所を教えてあげる」


 エアロンはトランクの内側を丹念に調べ始めた。底の方に小さな切れ込みを発見する。そこに携帯用の靴ベラを差し込み、掘り起こすように動かすと、メリメリと内張が持ち上がった。


「わぁ」


 メルジューヌが感嘆の声を上げる。

 そこには膨れた封筒が入っていた。中身を卓上に空けると、分厚い札束と小さな石のついたペンダントが滑り出る。

 彼女は勝ち誇った顔で振り返った。


「ほら! あったでしょう? これがダニーク先生がケインズに渡したお金よ」

「うわ、結構な額じゃないか。確かにパーティーに持ち込むにしては多すぎるかもしれないね――ダニークが渡したものとは限らないけど」


 エアロンは慎重だ。メルジューヌはまた膨れっ面に戻った。


「まだ信じてくれないの?」

「金だけじゃあねえ? もう一押し何か――例えば、ケインズが強請りに使ったネタとかが明らかになれば、もう少し信じる気になるかもしれないけどさ。あの立派なお医者様にそんな後ろ暗い話なんて――」


 メルジューヌはけろりと答えた。


「あるわよ。だって、リストにダニーク先生の名前が載ってるの、あたし見たもの」


 エアロンが無言でメルジューヌを見る。彼女は急いで顔を背けたが、そこに浮かんだしまったという表情を彼は見逃さなかった。


「なんだって?」

「何でもない」

「メルジューヌ」


 エアロンが詰め寄る。


「だめ。あたしがうっかり口を滑らせたり、勝手に持ち出した資料を失くしたりするせいでみんな迷惑してるって怒られたばかりなの。あなたをアルフレドと同じ目に遭わせるわけにはいかないわ」


 エアロンはなおも問い質そうとしたが、メルジューヌは頑なだった。

 彼女が折れる様子を見せないので一先ずこの話は置いておき、次はペンダントを調べる。

 それは金のチェーンに石が一つ付いただけの、本当にシンプルなペンダントだった。紅茶の雫を固めたような深い琥珀色の石。細かなカットを施されており、黄昏にも負けぬ鮮やかな輝きを放っている。


「すごい。それって本物の宝石? ダイヤモンドみたいにキラキラしてる」


 エアロンも首を傾げた。


「うーん、少なくともガラスの偽物とかじゃないみたい。何の石なんだろう? メルジューヌはこういう宝石に詳しくない?」

「ごめんなさい、さっぱりだわ。カタログに載ってるかもしれないわよ」


 メルジューヌが早速カタログを捲るが、それらしい物は見つけられなかった。


「琥珀じゃないし、シトリンとか? 僕も宝石はわからないなぁ」

「誰か知ってるかしら。聞いてみましょ」


 メルジューヌは唇を弓なりに引き上げると、「ん」と喉元をエアロンに向って差し出した。


「え、なに?」

「ほら、早く」


 仕方なくその白く細い首に付けてやる。彼女は満足そうに顎を振り、ペンダントが良く見えるよう髪の毛を背中に流した。薄っすらと浮き出た鎖骨の間に煌めく、琥珀色の輝き。


「綺麗ね。似合う?」

「ううん」

「傷付いたわ」


 エアロンはふふんと笑いながらペンダントを指先でひっくり返した。


「色がね。もっと瞳に合う色がいいよ」

「……いつかあたしに似合うのを選んでくれる?」


 メルジューヌが照れたように顔を背ける。エアロンはなぜか釣られて視線を逸らした自分に気付いた。


「別に、いいけど……」


 途端に笑顔になるメルジューヌ。

 彼女は散らかした荷物をトランクへ放り込み始めた。エアロンが丁寧に収めようとする一方、彼女は大雑把でも気にならないようだった。


「こら、それじゃ蓋閉まんないよ」

「誰も気にしないわ。さ、ここに用は無いから、もう次に行きましょ」


 メルジューヌに腕を引っ張られ、エアロンは溜息を吐きながら従った。



***


 三度目の談話室。

 メルジューヌはお目当てのフローラ・ホイヘンスを見つけて駆け寄った。


「フローラ、宝石に詳しくないかしら?」


 作家は窓の前に立って目を瞑っていた。メルジューヌの接近に直前まで気付かず、振り返った表情も虚ろである。


「ふ、フローラ?」


 フローラはメルジューヌの方へ上体を寄せた。淡い色の瞳に影が差して一層儚げでミステリアスな雰囲気を纏う。下ろした髪が額に掛かり、幽鬼のように迫りくる彼女に、メルジューヌは思わず身を引いた。


「……あら」


 フローラが目をぱちくり。瞬き一つの間にいつもの彼女に戻っていた。


「ええと、ごめんなさい。何かしら?」

「このペンダントの宝石について知りたいの。フローラはなんだかわかる?」


 フローラはメルジューヌの首に下がる紅茶色の雫を持ち上げ、何度か傾けて輝きを確かめた。そして、明らかに驚いた様子を見せる。


「まあ。もしかして、スファレライト?」

「珍しいの?」

「これだけ綺麗なものは珍しいと思う。その上脆くてカットしにくいから、こうしてジュエリーになっているのは貴重なんですよ」


 エアロンは感心して口笛を吹いた。


「へえ。フローラは博識ですね。宝石にもお詳しいなんて」


 彼女は顔を赤らめながらエアロンを振り返った。


「あの、そういう訳ではないんです。えっと、これ――」


 彼女は言いかけて立ち上がり、本棚から一冊取って戻ってきた。


「これ、何年も前にツェツィーリア主演で舞台化された作品なんですけど。女スパイが敵国の将校と恋に堕ちるラブサスペンスです。この中に出てくるんです、スファレライト」


 エアロンは本を受け取るとパラパラと捲ってみた。ちらっと見ただけでも吐き気を催すほどの愛の言葉が書き連ねられており、彼は無言で本を閉じる。


「どういう場面で出てくるの?」


 メルジューヌは興味をそそられたらしく、嫌がるエアロンから無理矢理本を奪って読み始めた。


「スファレライトは『裏切り』や『嘘つき』といった意味の言葉を語源に持つことから、作中ではスパイのメタファーとして用いられたんですよ。ヒロインが持つ意志の強さや輝き、恋に堕ちた女の脆さ、そして裏切りの宿命――そうした色々な意味を掛けてあるそうで」

「そんな縁起の悪い石なんですか?」


 エアロンが顔を顰める。


「いいえ。似たような石と見分けるのが難しいからそんな名前になっただけらしいですが……ファンの間では、スファレライトと言えばスパイや裏切り者を指す石という認識になっていますね。一時はファンが挙って買い求めたから、すごく値が上がったりもしたんですって」


 エアロンはメルジューヌの方を向いて言った。


「図らずしも、君にお似合いの石だったかもね」

「……そうかもしれないわ」


 驚いたことに、メルジューヌは何の反論もせず受け止めた。

 エアロンはフローラに礼を言い、本格的に本を読み始めたメルジューヌを引き摺って部屋へ戻った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る