4-13 人質

 細い路地に飛び込み、追手が来ないことを確認したグウィードは、神官を壁に押し付けた。セメイルは酸素を求めて苦しそうに上を向く。


「おい、どういうことだ! なぜサイモンは俺を、俺を――」


 グウィードの息が上がる。焦燥から迫り上げて来たモノを飲み込み、彼は顔を背けたまま神官を揺さぶり続けた。


「答えろ、神官。全部お前たちが仕組んだのか? お前たちが俺を嵌めるために――!」

「う、ぐ……グウィードさん、落ち着いてください……」

「うるせぇ! いいから答えろ!」


 そう叫び、グウィードはハッと動きを止める。セメイルの手が彼の腕に掛かっていた。赤い宝石の輝く、白いグローブが。

 グウィードはゾッとして振り払うと、神官の腕からグローブを引き抜いた。解放されたセメイルは咳き込みながら膝をつく。


「げほっ、グウィードさん……乱暴ですよ」

「お前まさか……俺を〈浄化〉するつもりだったのか?」


 琥珀の瞳に恐怖が過る。

 サンドーベで初めて神官に会ったあの日、グウィードは神官の『秘密』を知ってしまった。


 悪しき心を正すという〈浄化〉――しかし、それは奇蹟でもなんでもなく、グローブの形をした兵器によるものだった。 触れるだけで人間の細胞を破壊するという悪魔のような力。神官はそれによって被害者の脳細胞を破壊し、『善人』という名の自我を持たない肉塊へと変えてしまうのだ。

 セメイルは赤い瞳を悲しげに落し、解放された両腕を揉み解した。


「そんなことしませんよ。今回の件に私は無関係です。だから、あなたの今の状況には同情します」

「ふざけるな。神官が関係ないわけないだろ? お前、サイモン社長に呼ばれて演説してたじゃないか!」

「ええ。でもそれは、私もただそうするようにと命を受けただけですから」


 セメイルは真っ直ぐにグウィードを見た。


「サイモン・ノヴェルは少し前からヴァチカンでも姿を見掛けるようになりました。ですが、教会と彼の間でどのような取引が為されたのか、私は知りません。私も何も聞かされていないのです」

「知らないで済まされるか! だって、社長が……サイモン・ノヴェルが――」


 俺を、嵌めたんだ。

 何が真相で、何が目的だったのかはわからないけれど。グウィードにとって確かなことはそれだけだった。


「グウィードさん……」


 項垂れて唇を噛むグウィードにセメイルが一歩近付く。グウィードが睨みながら後退ると、神官は寂しそうに伸ばしかけた手を下した。


「ステージを狙撃したのは、本当にあなたのお仲間ではなかったのですね?」

「違う、と思う。俺たちは殺しは受けないんだ。それだけは誓って言える」

「そうですか……」


 神官セメイルは麗しい顔を僅かに顰めて考え込んだ。


「……誰が、と言うのはこの際置いておきましょう。今問題にすべきは、あなたが犯人に仕立て上げられているという現状です。お逃げになるのでしょう? いえ、きっとそうするべきです」

「……俺の無実は証明できると思うか?」

「無謀ですよ。第一、あなたは神官を人質に取っているんです。その時点でヴァチカンもスイス・ガーズも敵に回したと思ってください」


 グウィードは震える拳を壁に叩き付ける。それをきっかけに吹っ切れたのか、上着を脱ぎ棄てて身軽な恰好になる。また、彼は神官の体をくるりと壁に向け、僧衣の上から全身を検め始めた。セメイルが呆れたように溜息を吐く。


「当分解放していただけないようですね。もう何も持っていませんよ」

「この硬いのはなんだ?」

「アクセサリーです」


 グウィードは黙って小刀を没収した。


「あの……丸腰にされると困るのですが……」

「人質に武器持たせとくわけないだろ。抵抗されたら厄介だ」


 セメイルは困り顔で眉根を寄せた。


「でもグウィードさん、私も狙撃手に狙われた内の一人なんですよ。こう言ってはなんですが、真犯人がわからない以上、私にもまだ危険は残っているんです。あなたに向けては使わないと約束しますから、どうかグローブを返していただけませんか?」

「だめだ。俺に害があるかどうか以前に、こんな惨い物を使わせるわけにはいかない」


 グウィードは神官を睨むとグローブをポケットに突っ込んだ。


「……わかりました。では、せめて小刀だけでも」


 セメイルが手を差し出す。グウィードは息を呑んだ。


 どす黒く変色した右手。薄い皮膚からは緑の血管が透けていたが、指の先に向かうにつれて肉はどんどん色を増し、紫から黒へと変わっていた。開いた指先が小刻みに震える。また、その手の平には痛々しい痣のようなものも浮かび上がっていた。

 これが〈浄化〉の代償か。人を裁くという行為は、そんなにも罪が重いのか。

 その手を直視できなくなり、グウィードは無言で小刀を渡した。

 それは刃渡り五センチにも満たない気休めのようなナイフだった。殺傷能力は皆無に等しいが、代わりに刀身から持ち手まで美しい装飾が為されており、もはや芸術品と言ってもいい代物だ。精巧な銀細工は色のない神官にはピッタリで、その美麗さも用途も、目の前にいる神官の化身なのではないかと思えてくる。


「俺のこと刺すなよ」

「あなたが私に危害を加えない限りは、お約束します」


 神官はそう言って微笑んだ。


 神官は相変わらず美しい。それでも、その笑みには常に疲労と諦めが混じっていた。グウィードはわざとらしく目を逸らし、セメイルの腕を掴んで走り出した。

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