4-11 ステージの上で
グウィードが広場に着いた時には、会は既に始まっていた。群衆を越えた彼方、ステージの上でサイモン・ノヴェルが演説をしている。
政治に疎いグウィードからしても、社長の演説は素晴らしいと感じた。内容はもちろんのこと、身振りを駆使して熱弁を奮う姿は聴衆の胸に訴え掛けるものがある。
昨年の事件の被害者たちに哀悼の意を示すことから始まり、混乱した町の姿を批判的に描写する。余所者が偉そうに、と住民の怒りを煽ったところでかつての栄光を褒め称え、エルブールの住民たちを叱咤激励。彼らの誇りを呼び覚ます。そこから具体的政策の話に持ち込めば、余所者に対する始めの不信は感心へと変わっていた。
見事なものだ。エアロンはこんな原稿をたった一晩で仕上げたのか? それに、サイモンは原稿を手にしてもいない。この短時間でこんなに長いスピーチをすべて暗記するなんて。
グウィードは二人の上司に純粋な賞賛を抱きながらステージへ向かった。
『――亡き友人たちへ敬意を示すためにも、エルブールはこの悲劇から立ち上がらなければならない。我々はいつまでも城壁の内に閉じ籠り、脆く危うい平和に甘んじ続けるべきではないのだ。今! この選挙を期に! エルブールはより広い世界に視野を向け、強力なパートナーと共に新しい時代へと――』
サイモンの後ろでは対立候補のケートヒェン・バンベールが渋い顔で彼を睨んでいた。また、ステージ下には選挙管理委員及び関係者が集まっている。一際目立つはずの長身はそこになく、グウィードは怪訝そうに辺りを見回した。
それにしても、とグウィードは考える。警備の人間が多すぎる。田舎とはいえ選挙とはそういうものなのだろうか。しかし、これではこれ以上ステージに近付くことも、ウズベラ宮に入ることもできない。
「グウィードさん?」
声を掛けてきたのはテレシアだった。遠巻きに立ち尽くす彼の姿に気付いたらしく、ステージを離れてこちらに来る。これ幸いとグウィードは人混みから離れ、彼女と合流した。
「どうかなさいましたか?」
「社長に呼ばれてきたんだが……エアロンはいないのか?」
「エアロンさんでしたら、サイモン先生にお遣いを頼まれてホテルに行かれましたよ。けど……」
テレシアは不安げに視線を巡らせる。
「まだ戻ってないんです。結構前に出て行かれたと思うんですけど」
グウィードは安心させるように肩を竦めて見せた。
「それは変だが……ま、追加で別の仕事を言い付けられでもしたんだろ」
「きっとそうですね」
自分の推測は極自然なものだ。誰でもこう考えるに違いない。
だが、なぜだろう。嫌な予感が頭を過る。
最近エアロンが過労気味だったからか。目の前にいるこの少女のせいか。それとも、突然エルブールに現れた、あの――……。
『――かのヴァチカン教会が我らに援助を申し出てくださった。ご登場いただこう、神官セメイル様だ』
群衆にどよめきが走る。グウィードもサッと顔を上げた。
サイモン・ノヴェルが一歩退いた。
濃紺の制服に囲まれ、純白の聖人が壇上に登る。
その姿は重く澱んだ空の下、薄曇りの太陽よりも眩しく人々の視線を集めた。
『ご紹介ありがとうございます。初めまして、エルブールの皆様。わたくしはヴァチカン教会より参りました、神官セメイルと申します』
セメイルは特異な赤い眼差しで群衆を見渡し、一人一人の心を射止めた。胸元には銀の十字架が下がり、その下では祈るように組んだグローブと、『奇蹟』を起こすための深紅のコアが輝いている。
「おい、なんで神官を、社長が……?」
グウィードがテレシアを振り返る。テレシアも驚いた様子でステージを仰ぎ、美しいその姿に釘付けになっていた。
「私も知りませんでした。だって、てっきり……」
「知らない? ってことは、エアロンも知らないのか?」
「え、はい。たぶん――」
冷や汗が滲む。先程感じた嫌な予感が、エアロンが今ここに居合わせないその意味が、わかったような気がした。
神官は穏やかに演説を続ける。
その時、あっという間に沢山のことが起きた。
相棒を探しに行こうと駆け出したグウィードは、一発の銃声を聞いて足を止めた。振り返る彼に向かって押し寄せる群衆。悲鳴が渦となって広場を呑み込んでいた。
「な、なんだ?」
「グウィードさん!」
テレシアが叫ぶ。指差したステージの上では、衛兵が守るように神官を取り囲み、サイモンが悲鳴を上げ――そして。
ケートヒェン・バンベールが倒れていた。
「なんだよ! 何が起きた?」
グウィードはテレシアの腕を掴んで引き寄せた。
「だ、誰かが銃で……バンベールさんがっ!」
「一体誰がそんな……とにかく、行くぞ!」
逃げ惑う人々。
人の波がグウィードの横を通り過ぎ、続けざまにぶつかっては逃げていく。警備の人間が統制を取ろうと声を張り上げるが、耳を貸す者は一人としていなかった。実際には一分にも満たないその時間が永遠にも感じられるほど、混乱の中に彼はいた。
人混みを掻き分け、なんとかステージの前に辿り着く。
スイス・ガーズたちが神官を舞台から引き摺り降ろしていた。ケートヒェンの秘書が半狂乱でステージに上がろうとして、こちらも警備に押し戻されている。
選挙管理委員会は動転したきり何の機能も果たせず、町の警官たちは無力のまま。このままでは犯人を捕まえることはおろか、さらなる死傷者を出すことも免れえない――。
そんな中、立ち上がって行動を起こしたのはサイモンだった。
『聞いてくれ! みんな、一端落ち着くんだ! 止まれ!』
スタンドマイクを握り締め、サイモンが叫ぶ。キィンと反響した耳障りな声が広場に響き渡った。
「ノヴェルさん! 危険ですから避難してください!」
誰かが叫ぶ。しかし、サイモンは堂々とステージの中央にその身を晒し、群衆を収めようと叫び続けた。
「社長! そこにいちゃダメだ……っ!」
グウィードの声も届かない。第二の銃声が鳴り響き、ステージ上男の頬を掠めた。
それでも、サイモンは動かなかった。
『走るな! 走っては危険だ。これ以上被害を拡大するんじゃない!』
スピーカー越しのサイモンの声は悲鳴の渦を掻き消して人々の耳に届いた。広場中央の人間から、徐々に足を止めて行く。やがて誰もがステージの上の彼を振り返っていた。
『慌てると事故に繋がりかねない。落ち着いて避難するんだ。警備の人間の指示に従おう。周りに子供やお年寄り、助けが必要な人がいないかどうか――』
「ノヴェルさん! ダメです、避難してください! あなたの身が危険です!」
『そんなことはどうでもいい! 人々の安全確保が最優先だ。繰り返す、警備の人間の指示に従って落ち着いて避難するんだ!』
「危ない!」
グウィードは片手を付いてステージに跳び上がり、サイモン社長を押し倒した。
第三の銃弾が毛髪をすり抜ける。
弾みで落下したマイクが大きな音を立てる。
反響するノイズ。姿が見えなくなった指導者。
束の間落ち着きを取り戻しかけた群衆は、再び混沌の内に逃げ惑った。
グウィードは体勢を低くしてサイモンを庇ったまま後ろを振り返った。すり抜けた弾丸はウズベラ宮にぶち当たり――あった、あそこだ。正面扉の上、山脈と鶴嘴を象った紋章に小さな痕を残している。
「貴様……っ」
サイモンがグウィードの体を押し退ける。緑の瞳が怒りの形相で彼を睨んでいた。
「社長、ここから避難するぞ。狙われてるのは住民じゃない、あんただ!」
弾痕から軌道を推測する。発砲者は向かって右手側、広場に面した商店のどこかから撃ってきたに違いない。
グウィードは視線を鋭く走らせながら、社長の腕を掴んでステージから降りようとした。
ところが、サイモン・ノヴェルはその腕を振り解こうともがく。
「やめろ、放せ!」
社長を守らなければ。
その使命だけが頭を埋めたグウィードには、男の抵抗が何を表すことになるのかなんて、考えている余裕はなかったのだ。
怪訝そうにサイモンを振り返る。その横顔を一人の兵士が指差した。
「おいっ! あいつは確か、サンドーベの……!」
ぐるりと表情を変える世界。
グウィードはぴたりと動きを止め、ステージの下に並んだ銃口を見下ろした。
「……え?」
「奴を捕らえろ! ノヴェル氏を攫うつもりだ!」
「神官様を守れぇ!」
濃紺服のスイス・ガーズたちが彼を取り囲んでいた。銃口はぴたりと心臓に向けられ、見上げる瞳は怒りと警戒に燃えている。
そこでやっとグウィードは、自分が暗殺者の一員と見做されたことを理解した。
「ち、ちが……っ!」
誤解を解こうと口を開くも、サンドーベの件がある限りヴァチカン近衛兵が彼の話に耳を貸すわけがない。ぬけぬけと敵の前に姿を晒してしまった逃亡犯は足元の雇用主に救いを求めた。
「社長、俺は……っ」
「ひぃっ! やめろ、来るなぁ!」
サイモン・ノヴェルが後退る。
振り解かれたその手を、グウィードは。
ただ呆然と見下ろすことしかできなかった。
「両手を上げて膝をつけ! 抵抗する場合は容赦なく撃つ!」
若い兵士の顔が視界の端にチラついた。
「おい、どういうことだ……?」
ヴァチカンが自分を狙う理由はわかる。
そうじゃない。
そこが問題なんじゃない。
逃げ惑う人々。集まる視線。取り囲んだ銃口。
敵意。
「おい……」
そして、頭が理解することを拒否した現状を、ついに彼は理解した。
振り払われた手。その指の隙間から、ニヤリと笑う男の唇が何と言ったのか。
嵌められた。
裏切られてしまったのだ、俺は。
一瞬がとても長い。
なぜ、どうして、どういうことなんだ?
そればかりが頭を過り、どうすることもできなかった。ステージの上に独り立ち尽くし、憎悪の視線だけをその身に受けて。ただ、きっと途方に暮れた自分の姿はさぞや滑稽に見えるだろうと、そんなことをぼんやりと考えていた。
痺れを切らした衛兵が一人、ステージに上がろうと手を掛けた。狼狽えたまま見下ろすアンバーの前で、第四の銃弾が空を切り裂く。衛兵の肩から血が吹き出した。
「まだ狙ってやがったのか……行け! 狙撃手を捕らえろ!」
別の衛兵が指示を出す。その声で漸くグウィードは我に返った。
裏切りの真相は後回しだ。
とにかく今は、この場から逃げなくては。
二手に分かれた衛兵たちが隊列を組み直す。仲間の抜けた空間を埋めようとそれぞれが前進する、その隙間から、深紅の瞳と目が合った。
今だ。
漆黒の弾丸はステージから飛び出し、正面から濃紺の壁に突っ込んでいった。意表を突かれた衛兵たちが引き金を引こうと力を込めるも、その銃を踏み台にグウィードは更に高く跳び上がる。手を付いたベレー帽を押し退け、その壁を越えた。
周りの護衛を薙ぎ倒すように着地したグウィードは、白の神官の正面にいた。
二人の視線がぶつかる一瞬。
あの時もそうだった、と神官が笑う。
「銃を下ろせ! さもないと神官を殺す!」
神官は抵抗しなかった。祈るように手の平を合わせた体勢で、浅黒い指が細い両手首をしっかりと掴む。肌蹴った僧衣の首筋に小さなナイフを突き付けて。グウィードは吠えた。
「や、やめろ! 神官様を離せ!」
スイス・ガーズが狼狽える。グウィードは一層声を張り上げた。
「だったら早く銃を置け。神官を失いたいのか?」
「貴様……っ」
黒い男に抱かれた白はあまりに対照的で、そのまま夜の色に染めてしまいそうだった。睨み付ける狼の瞳が単なる脅しでないことを物語る。近衛兵たちはゆっくりと銃を置いた。
グウィードは人質に向かって囁いた。
「神官、今日の件は俺たちじゃない」
「あなたが関わっていなくとも、この状況だけ見ればあなたは十分悪人ですよ」
セメイルは虚ろな瞳で彼を見上げ、小さく笑った。
「言われた通り銃は下ろした。神官様を解放しろ!」
グウィードは突き付けたナイフに力を込めた。
「神官はこのまま連れて行く。俺の身の安全が確保されたら、神官はちゃんと解放すると約束する。だが、もしも俺に向かって攻撃してきたら、神官の命はないからな。わかったか!」
近衛兵たちにはどうすることもできなかった。悔しそうに唇を噛んだまま道を開ける。グウィードは神官を抱えたまま足早に広場を抜けた。
一刻も早く人々の目の前から消えたいと思っていた彼には、満足そうなサイモン社長の笑顔など、知る由もなかった。
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