マヤとシンヤ

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マヤとシンヤ


マヤとシンヤ



 少し前まではまだ暗かった筈なのに、蒸し暑くなってきた今日この頃は、カーテンの隙間から陽光が射すような、爽やかな朝に

 目覚まし時計を握った拳でドスンと止めると、乱れたタオルケットを引っ張り上げて、陽射しをガードする。


 私の二度寝は誰にも止められない!


「朝よ、起きなさい」


 階下から優しい声がする。

 母さんだ。

 私はもぞりと起き上がり、目を擦った。


 ……母さんは怒らせると怖い。

 意気込みはどこへやら、二度寝は敢えなく中断されてしまった。


 まだ高校に入ったばかりだというのに、受験対策だとかいって塾に通って宿題もあるし、寝たのは結構遅くなっていた。


「眠たい……まだ寝てたいのに」


 同時に隣でもぞりと蠢く何か。


「シンヤ……またこっちに来てたの?」


 眠さに目はまだぼんやりしているが、隣でシンヤが寝ているのはいつもの事で気にも止めない。


「んー、マヤねぇちゃん……おはよ」


「おはよじゃないわよ、自分のベッドで寝なさいよね」


「いや、まだこの時期にタオルケットって寒いって」


 確かに6月って、雨が降った後なんかは少し寒い気がする。

 それでも学校の制服は衣替えしているし、暑いと言えば暑いけど、寒いと言えば寒いといった中途半端な時期。

 先週早々と布団を片付け、夏使用に変えられている。


 母曰く「梅雨に入ったら布団が干せない」かららしいが……朝方は時々寒いのだ。


「だとしても、私で暖を取らなくても良いじゃないの」


 未だタオルケットを全身に被って、サナギになっているシンヤにため息をつく。



「ご飯出来てるわよ!」


 またもや階下から母さんの声。

 先程より少しだけ声がきつい……まるで爆発のカウントダウンをしているようなその語気に、ピリッとした緊張が走る。


「やば、早く降りなきゃ!」


 私は急いで飛び起きると、ベッドから降りつつ寝巻きを脱ぐ。


「シンヤも起きなきゃ、母さん怒っちゃうよ」


 タオルケットを剥ぐって、私は絶句した。


「えっ!?」


 そこに居たのは、陽避けを失って目をしかめるシンヤ……?

 いや、そこに寝転んで居たのは紛れもなく女の子!


「マヤねぇちゃん、もう少し寝たい……」


 男子にしては高い声だと思っていたけれど、声まで女の子になっている。


「ちょっと、シンヤ……起きなさい」


 普通ではない声色に、シンヤも変に思ったのか、私のように目を擦りながら体を起こす。


「どうしたのマヤねぇちゃん?」


 私とシンヤは双子。

 自分で自分の顔を誉める訳ではないけど、男の子にしては可愛い顔立ちをして居るのだが……

 流石にオッパイは付いていなかった。


「あんたこれどうしたのぉ!」


 私はシンヤの膨らんだ胸を鷲掴みにしながら叫んだ!


「ギャー!! ねぇちゃん何事!?」


 飛び上がるようにベッドの外に逃げたシンヤは、状況を把握しようと私を見て固まった。


「ねぇちゃん……男になってる」


 か細い声にハッとして、クローゼットの姿見を凝視する私は。

 立ち眩みのように足の力が抜けて床に崩れ落ちた。

 急いで駆けつけたシンヤの、控え目な乳房が私の肩に当たる。


「マヤねぇちゃん大丈夫?」


「もしかして、私達って……入れ替わってる?」


 なんかの映画で見たような状況だけど、実際に自分に降りかかるとショックだ。

 足に力が入らないし、大きな声を出す元気もない。



「起きてこないつもり!?」


 母カウントダウンが、だいぶ爆発に近い事を告げてきた事で、体に染み込んだ反射で立ち上がる。

 しかし、まだなにも解決していない。



「どうしよう……」


 困り果てて居る私に、シンヤはお気楽に提案してきた。


「俺達さ、髪型も似てるし、そのまま制服着て学校行けばわからないんじゃないかな」


 適当すぎる。

 私は結構神経質だから、こういう発想はない。


「バレたらどうすんの?」


「目立たないようにしてれば一日くらい大丈夫じゃない?」


 呆れはするけど、このいい加減さに救われることもある。

 実際には少し違和感があっても、中身が入れ替わってるなんて、あり得ないことを発想する人間は居ないものだ。

 真剣に考えすぎても頭が痛くなるだけで、解決策が思い浮かぶわけではない。


「学ラン着ればわかんないよ」


 鏡に映るシンヤの体は、16歳とはいえまだしっかり大人のそれではなく、どこか子供の雰囲気を残し、女性的でもあった。


「でも、その、おっぱいとか……」


「いや、言うほど大きくないじゃ、痛ぇっ!」


 言葉を待たずに私は目覚まし時計にしたように、拳でシンヤの頭をたたく。

 こうやれば目覚ましもシンヤも静かになるのだ。


「何ぶつぶつ言ってるの、ご飯冷めちゃうじゃない!」


 母カウントダウンが「1」になっているようで、シンヤの提案を飲み、急いで身支度を整える事にした。



「いい、私はシンヤになりきるから、あんたは私になりきりなさい!」


 取り敢えず今すぐ食卓に着かないと、母が爆発するかもしれない。

 その間に作戦を練ればいい。


 お互いの制服を交換して着ると、急いで一階に降りていった。



 朝のお茶のためのお湯が、電気ケトルで沸騰している音が聞こえる。

 ちょうどそれを背景に仁王立ちする母が、爆発寸前でこっちを見ているものだから、頭から湯気が出ているように見えて、失笑しそうになり顔を逸らす。


 食卓には新聞を広げた父がいつも通り無言で座っている。


「おはよう」

 という私に目線を向けるが、返事はない。

 新聞を畳んで席を立つ。


 いつもの事なのでそこはスルーして目線を落し、3人分揃った食事を見て、私は顔をしかめた……


「味噌汁……」


 世話焼きで面倒見のいい母だが、味噌汁だけはくそ不味い。

 本格的を謳って、イリコや昆布で出汁を取るのだが、それがそのまま中に入っていたりする。

 それに、トーストという組み合わせもあり得ない。

 この人は壊滅的に料理が下手なんだ。


「朝御飯はパンだけでいいかな……あっそうだ今日は日直だった!」


 そういうと私はパンを口に運ぼうとして居るシンヤの袖を引っ張り、玄関へと急いだ。


 先に出勤する父の背中を見ながら靴を履いていると、背後から母の声。


「二人とも、お味噌汁飲まないの?」


「時間がなーい」


 あんなもの飲んだら午前中ずっと気持ち悪いんだもん。

 返事と同時に、まだ閉まりきっていないドアを押して外に脱出する。




 学校に行くまでに二人で今日の事を話し合った。

 なるだけ喋らないこと、目立たないこと。

 取り敢えず明日の朝になって戻っていなければ、改めてどうするか考えようという事になった。


 学校では、取り決め通りしゃべらず、目立たずに過ごす。

 元々友達の多い方ではない私は問題なく乗りきれそうだけど……シンヤは結構みんなに好かれてるから大丈夫だろうかと心配が尽きない一日になった。



「勢いで家を出ちゃったけど、休めば良かったね」


 なんて、今更なことを言われたのは帰宅の途中だった。

 言い返してやりたいところだったけど、自分も朝は冷静ではなかったし……。


「これからどうしよう」


 ため息と共に考えが口に出る。


「僕は結構楽しかったよ」


「そりゃぁお気楽なシンヤは良いかもしれないけど、私は心配で死にそうだったわ」


「でも心配しても仕方ないもん、戻れるかもわかんないんだしさ」


 ニコニコしながらそう言うシンヤの顔を見ていると、少し頭にきてしまい。


「私はこのままなんて絶対嫌だわ!」


 と強く言ってしまった。


 その言葉を聞いたシンヤが、顔色を変え、思ったよりも落ち込んでいくのを見て焦る私。


「マヤねぇちゃんは僕の事が嫌いなの?」


 暗く、今にも泣きそうな声でそう言うので、私も慌てて否定する。


「いや、シンヤがってのじゃなくって、体が……」


「僕は大好きなマヤねぇちゃんの体で嬉しいよ?」


 そう言うシンヤの顔は何処か恍惚としており「好き」という言葉すら違った意味に聞こえ……私はハッとする。


 今までは深く考えなかったが、弟とはいえ16歳の男子だ。

 女性の体に興味を持つ年齢。


「まさか、シンヤ……私の体でヘンなことしてないでしょうね……」


 すっと青ざめる私の顔色に、今度は慌てるようにシンヤが否定する。


「し、してないよ、マヤねぇちゃんに嫌われたくないもん!」


 否定はしているが、先程の表情が目に浮かぶ。


「シンヤの変態」


 私はシンヤから距離を取るように走り出そうとしたが、すぐにその腕を捕まれる。


 その際体勢を崩した私を、シンヤが抱き止めた。

 近すぎる顔、伝わる体温。

 いつもベッドで一緒に寝ているのとは違ったドキドキを感じてしまう。


 それはシンヤも同じだったのだろう。


「僕、マヤねぇちゃんが好きなんだ。世界で一番大事なんだ」


 そう語られるその顔は、何処か破滅の匂いがした。

 その言葉を言わずに居られないが、否定されれば全てを失うという覚悟を感じる。


 絶対に姉弟に向けられて良い感情じゃないことくらいはわかる。

 弟が自分の体に欲情していると思うと血の気が引いた。



「嫌っ!」


 私はそれに応えることはできない。

 姉弟でそんな関係になる方がおかしいのだから。


 しかし、シンヤの包容は力強く簡単に振りほどけなかった。

 きっとこれを抜け出してしまえば、関係は壊れてしまうと感じているかのように必死に抱き止めてくる。


 思いっきり暴れる私を、近くの通行人も距離を置いて見ているのを感じる。


 しかし流石に私が男になっている今、必死に抱き止めても敵うわけもなく、ようやくシンヤの腕の中から飛び出した。


 必死すぎて完全に周りが見えてなかった私。

 ここは帰宅途中の通学路。



「危ない!」


 それはシンヤだったか、通行人だったか。

 声が聞こえた時には私は車道に飛び出し、車に跳ねられ、意識を途切れさせたのだった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 近くの病院。

 搬送されたマヤは、かろうじて意識を取り戻していた。


「先生、娘は……」


 担当の医師に呼ばれ、マヤの母が心配そうに声を絞り出す。


「体は軽症で、すぐに治ると思われます」


 その含んだ言い方に、思うところもあるのだろう、母親は顔を手で覆うとしくしくと泣き始める。


「本当に、シンヤさんというご兄弟は居ないんですね?」


 何度目かのその問いに母親は顔を伏せたまま頷く。


 病院に搬送されたマヤは、うわ言のように「シンヤが庇ってくれたの、シンヤは大丈夫?」と繰り返していた。


 しかし、彼女は一人っ子で弟は居ないというのだ。


 当初は頭を打った事で記憶が混乱にして居るのだろうと考えていたが、警察の事情聴取の時に聞いた話で、医者は他の可能性を考えていた。


「マヤさんは事故の前、一人で何かをわめき散らして、よろけるように車道へ飛び出したと、目撃者の証言がありました」


 母親はわからないとばかりに首をふる。


「私は、一人娘のあの娘を大事に育ててきました、不自由させることもなかった筈ですし、これから先のことも不自由しないように、ちゃんとした高校に行かせてますし、勉強に集中できるように、他の事は全部私がやってあげています!」


 その言葉を聞いて、医者は確信を持つ。


「しかし旦那さんは育児に無関心だとか?」


「はい、まだマヤが小さい頃、育児の方向でもめました」


「旦那さんはそれ以来、マヤさんに無関心になっていたのですね」


「はい、旦那のせいかもしれませんね、あの子が心を病んでしまったのは……」


 ギュッとハンカチを握る手に力が入るのを見て、医者はいたたまれない気持ちになってしまう。


「よいですか奥さん……マヤさんが心にもう一人の人格を作ってしまったのは、貴女たち2人のせいですよ」


 突然自分の責任だと言われた母親は心外だとばかりに顔を上げる。

 しかし目を合わせた医者は、悲しそうに首を振って続けた。


「貴女は、父親以上に彼女に対して無関心すぎる。彼女の考えを尊重したり、彼女の行動をあなたが管理しすぎる。そこに娘さんの気持ちはあったんでしょうか?」


 その言葉に、返す言葉を考えようとする母親を、またも制して医者は付け加える。


「私は正しいと思い込んでいるうちは、娘さんはあのままですよ!」


 医者はその言葉が深入りしすぎている事を理解していたが、マヤのあの可哀想な状態を見てしまっている以上、つい口出ししてしまった。


「とにかく、これからはマヤさんと共に歩んでください」


 最後は優しくそう言うと、母親をマヤの居る病室へと促した。蒼白になった顔をしたまま廊下を歩いて行く母親に、これからの人生を案じながらも、自分の仕事はここまでだと医者は思ったのだった。



 マヤの居る病室。

 表には「中島 真矢まや」と書かれている。


 個室である筈なのに、中から会話する声がする。


 母親が部屋を覗くと、真矢がベッドに座り、開いた窓の方を向いて話をして居た。


「うん、もう大丈夫だよ、体はそんなに痛くないし、お医者さんもすぐに退院できるって言ってた」


 しかし目線の先には、曇った6月の空と湿った風が揺らすカーテンしか無い。


 母親はそれを見ると、静かに泣き崩れる。


「もう、心配しないでよ真矢しんやおにいちゃん」


 笑って会話する真矢の声だけが、今にも降り出しそうな梅雨の空に向かって消えていくのだった。

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