行き当たりの死体

カナンモフ

前編





 『連続殺人鬼癌舎利の正体は、凄腕の空手家!? 佐上大学名誉教授、犯罪心理学の専門家、木崎良太郎が語る遺体に刻まれたシンボルとは!』


 4K….2..1kテレビからボイスチェンジャーに又掛けされたかのような音声が流れ出す。錆びついた鉄製のテーブルの向かいには、そのフェレットのような体には釣り合っていない焦茶のロングコートが目につく女が座っていた。女の名前はタカハシ、俺とは大学の同期だが、今日まで一度も話したことはなかった。


 「随分と寂れたカフェに呼んでくれたね、ナカヤマ君。君、女性と会う時の礼儀を子宮に置いてきたんじゃ無いかい?」

 「そちらこそ、初対面の癖に辛辣な言葉を投げかけてきてくれるじゃないか。俺としては早く要件を聞いてお前の小賢しそうな目から逃れたいところなんだが」


 店員が聞き耳を立てて居たのだろう、眉間を八の字にして、注文を伺いにきた。扉の奥にペンキで厚塗りされた壁が見える。俺はハムエッグのトースト、奴はコーヒーを一杯頼んだ。映画や小説ではよく見るが、まさか本当にコーヒー一杯で済ませようとする奴が居るとは。


 「要件についてだが..君に私が招待されたホテルに着いてきて欲しいんだ」

 「ホテル? 二人きりでデートでもするのか」

 「タフガイ気取り、一旦私の話を聞け。ホテルと言ってもここらの近場だ。こんなど田舎でわざわざ私のような淑女がデートをするか? 君にはホテルの構造、装飾品を細かく確かめて欲しいんだ。私の趣味は建築物の分析でね、今回のホテルは中々に波乱の歴史を送っている。私一人では全てを把握できない」


 糸のような目をかっ開いて奴はこれまで自分が来訪、招待されたホテルの話をし始めた。その間に俺は店員が放るように置いたハムエッグを食べる。奴のコーヒーはこの演説擬きが終わった頃には冷めているだろう。


 「ホテルについては了解した。所で、何で俺を選んだんだ?」

 「君、老け顔だろ? 一眼見た時、君は助手にぴったりだと思ったんだ。威圧感、目の隈、無精髭、全て完璧だ」

 「人、ましては女性にここまで貶されるのは初めてだな。まあいい、ホテルにただで泊まれるんなら最高だ。日付はいつなんだ?」

 「明日、午後2時にこのカフェで落ち合おう。服装は整えてくるんだぞ? お姉さんは君が心配だ」

 「俺はお前のその小さな体躯でここまで来れるかが心配だがな」


 無言の圧力が飛んできた。ハムエッグがあと一欠片残っているが、退散するとしよう。


 「じゃあ、また明日な」

 「じゃあね、明日までに君が骨の一二本でも折ってることを願うよ」


 この大学生活、女子と出掛けるのはこれが初めてだ。多少の難は気にせず行くか。壁に苔がうねっている寂れたカフェを後にした。




 翌日 午後1時28分


 時間より少し前にカフェへ到着した。肌に巻きつく湿った熱気が鬱陶しい。家の棚から取り出してきたI am a monster とプリントされたTシャツが既に汗ばんでしまった。


 「お客様、ご注文は?」


 これは驚いた、前回と同じ店員だ。俺の顔を覚えていたようで、眉を八の字にさせている。手元のメニューを開いてみると、血で真っ赤に濡れていた。


 「お客様、注文は?」


 顔を上げる、店員の瞳は薄らとメニューの血を写し、濁って見える。俺はまだこの状況を理解できていないようだ。


 「こんなカフェにもう一度ご来店なさるとは思いませんでした。メニューの血はお連れの方のものですよ」


 連れ? あのフェレット女のことか? 目を横に少し逸らし、店内を覗き見る。塗りたくられた青のペンキが妙に目立っていた。店員の腕は背中に隠されている。何らかの凶器が握られているのだろう。


 「殺したのか」


 店員の消えかかった蛍光灯のような目が揺れている。メニューに目を戻す、赤色は余り濃く無い。そもそも何故こんな人気のない場所にカフェがある? ペンキは新しいものではない、剥がれた塗装が床に落ちている。俺はあからさまな違和感に気づけていなかったようだ。


 「殺人鬼の経営するカフェだったのか、センスがないわけだ」

 「お客様、ご注文は?」

 「ナイフを一つ、ほら、早く」


 腕が背中を擦って抜き出された。テーブルを蹴る。店員の脚がずれ、勢いのついた腕が円を描いて地面に落ちた。短刀が大いなる大地に刃を突き立てた。顎を上げた所を、靴先で蹴る。店員は抜け落ちた歯と共に、ごろんと地面を転がった。


 念のため、二度三度頭を蹴り飛ばした。短刀を抜く、足の腱を切った。扉を開いて中を見る。湿った空気と日陰のせいで気味の悪い周りに比べ、店内はペンキのお陰で妙に明るい。世界は色で変わるものらしいが、人殺しまで誤魔化せるのか。厨房の奥から呻き声が聞こえた、覗くと、浴槽に似た装置が無数に設置されていた。壁には燃える公園の絵画、ペンキじゃない、血で描かれている。


 「おい! こっちだ! 助手!」


 装置の一つからくぐもった声が聞こえる。薄い板で出来た仕切りを壊すと、奴の細い目が見えた。腕がガムテープで縛られているが、後は問題がなさそうだ。脇を抱えて外に出し、小刀でガムテープを切る。深い深呼吸の後、奴の口が開いた。


 「とんだサプライズだったよ..君が来てくれて助かった。昨日は骨が折れてしまえと言ったが、撤回しよう。君の骨が増えることを願う」

 「それは余り嬉しくないがな。さて、脱出するとしよう」


 カフェを出ると、店員が這って逃げようとしていた。必死なもんだ。スマホを出して110、後は警察に任せる。店員の腕の関節を外して置いた。


 「まあ、この事件はさておき、私たちはホテルに向かうとするか。時間が残り少ない」

 「切り替えが早い奴だ。あんな目に遭って平気とは、お前の方がよっぽどタフガイだぞ」


 サイレンの音が響く路地裏を後にホテルへと向かえる筈もなく、俺たちは結局事情聴取を受けることになった。



 ウィットネス•ホテル 玄関前 午後2時半


 このホテルの歴史は余りよく分かっていない。開国から十年前後に基となる施設が建築されたらしいことは記録として残っているが、明確な出自は曖昧らしい。現在のウィットネス•ホテルはというと、幾度もの改築を経てかつての原型は留めていないが、所々に配置されている鹿や人間の剥製がその名残だそうだ。人間の剥製はもちろん実物ではない、あくまで以前のホテルに設置されていた剥製をモデルとしたレプリカだと言う。


 「ふん、まあ、一先ずはこんなところで勘弁してやろう。このホテルの歴史を少しは理解できたか?」

 「悪趣味なホテルとしか」

 「その認識も勿論あっている。だが、このホテルに置かれていた人間の剥製は、全て剥製自身の許諾を得て作られていたんだ。その理由は..


 ホテルの分厚い扉が痺れを切らしたように開き、犬、猫、鹿、人間、猿、の剥製が見えた。乱雑に置かれた剥製の合間を縫うように置かれたソファには、招待客達が座っている。受付の真横、鳥の剥製が真上に設置されているソファには、チェックのTシャツの上からミリタリージャケットを着込んだ壮年の男と有名ストリートブランドの服を全身に着込んだ目の隈と細く尖った顎が目につく青年が二人で座っている。


 「お前ら、もうランチタイムは終わってるぞ。裏にあるカフェも大騒ぎだ、飯は当分食えないと思っておけ」


 ミリタリージャケットを忙しなく揺らし、血管が浮き出てるかと錯覚する程に血走った目を剥き出しにしながら男が言った。声のトーンは落ち着いているが、余りよくは思われていないようだ。30分も遅れられればこうなるのも仕方ないか。事情聴取にしては短かったんだが。


 「遅れて申し訳ない、本日お招きいただいたタカハシだ。白木北会さんはどちらに?」

 「まずはチェックインが先だろうが、フロントが困ってるぜ」


 洒落た装飾とは合わない、ビジネスホテルでよく見る作りの木製の台に肘を乗せ、フロントの女性は手鏡で自分の顔を鑑賞していた。困っているようにはとても見えない。タカハシはフロントに向かい名前を書いた。スマホを預けなければチェックイン出来ないようで、渋々ポケットから出した。


 「君、フルネームはなんだ?」

 「綾野剛」

 「..本当に書くぞ」

 「中山、中山貴弘だ」


 しくじったな、ウケると思ったんだが。俺たちを遠目に眺めていた招待客達も、憐れみの目をこちらに向ける。これはかなり堪える、今日の夜までは引き摺るだろう。


 「高橋様は112号室、中山様も急遽のご来訪とのことで、申し訳ありませんがご同室となっております。そちらに見える大階段を登って直ぐ左側に位置している部屋が112号室です。荷物はお持ちしますか?」

 「俺は大丈夫です」

 「私も遠慮させてもらう」

 「ご遠慮なさらず」

 「遠慮する」

 「遠慮するらしい」

 「ご遠慮なさらず」

 「遠慮させてもらう」

 「ご遠慮..「そこまでだ、とっとと客室に行け。お前らもこのホテルの過去を知りに来たんだろ? 煩わしい真似はするな」


 壮年に急かされ、112号室に向かう。フロントさんがお茶目だったのは意外だ。大階段の手すりには様々な海洋生物、鮭やチョウザメなどの模型が間を開けて設置されている。人間の剥製に比べれば幾分ましだが、生々しい。室内にいるのに、アマゾン川近辺に居るみたいだ。


 「この模型は後から作られたものらしい、そもそもこの大階段自体が改築によって取り付けられものだからな」

 「改築前はホテルとは言えないな。良く言って博物館、悪く言うと死体愛好者の隠れ家だ」

 「死体愛好者と言うのもあながち間違いではないぞ、我が親愛なる助手。もともとこの建物は病に落ちた人間を保護、治療、保存するために作られたのだからな」

 「過去を知るってのはそれに関係してるのか?」

 「そうだ、ここにある剥製に深く関係している話らしい」


 漆色のドアを開く、巨大だが、簡素な造りのベッドが真っ先に目に入った。ここは高級ホテルの類ではないようだ。部屋の隅にはまたしても剥製、人間の子供のものだろうか。レプリカだとしても気味が悪い。


 「思ったよりも良い部屋じゃないか? ネットレビューだとボロカスだったんだぞ」

 「まあ、悪くはないな。あのチャッキー人形以外は」


 わざわざレプリカを作る必要が感じられない。それに部屋の四隅に置かれている。何処を向いても目が合うご親切な造りだ。高橋はコートを剥製の上に被せ、ベッドに体を投げた。


 「ふふふ、楽しみだ。このホテルの事を知るのが」

 「お前、さっき白木北会って言ってたよな? そいつが今回の主催者なのか?」

 「なんだよ突然、そうだぞ。白木北会、通称[思念読み取り人] 広告付きのブログで世界に遺された遺留品の過去を調べてる奴だ」


 こりゃあまた胡散臭い奴だな。思念読み取り人なんて厨二臭いあだ名も癪だ。下に居た奴らもそいつに招待されたわけか。世の中には暇人が多い。


 「言っとくが、私は別に彼を信用してるわけじゃない。ただ、興味があってここに来たんだ」

 「どうやって招待されたんだ?」

 「え、えと….応募したんだ..ネットで..」

 「信用マシマシじゃないか」


 黙ってしまった。沈黙は辛い、四隅の子供達が俺を責めているようだ。


 『本日はお集まりいただきありがとうございます。本日の主催を務めさせていただく、白木北会です。皆さま、早速ですがこのホテルにある違和感を感じませんでしたか? 皆さんはご聡明な方達だ、剥製の位置などを不気味にお思いになったと思いますが、もう一つの違和感にはお気づきになりましたか? 本日は、皆さまにその違和感を見つけ出して頂きたいのです。一番早く答えに辿り着いた方には、このホテルに伝わる、口に出すのも憚られるような悍ましい事実をお伝えさせていただきます。それでは、良いご滞在を。白木北会より 2001 5/8 自動再生終了』 


 子供の剥製から突如音声が流れた。2001年、かなり昔に録音されたもののようだ。白木北会は随分な歳だな。それにしても、違和感か。こんな違和感しかない所で見つけるのは至難の業だ。


 「白木北会がブログを始めたのは2020年、全てここまでの繋ぎだったのか。確かに、あの情報、実物を交えての調査はとても2年のみで行われたとは思えない。それ程このホテルには悪趣味で、不快で、奴の言った通りの悍ましい秘密が眠っているということだな」

 「わざわざミステリー形式でやる必要はあるのか?」

 「白木は信用の出来る人間を探しているんだ。とびっきりのワイズマンをね」

 「お前だったらワイズウーマンになるな」

 「君は本当にこの時代を生きているのか? センスが欠けて崩れ落ちているぞ」


 ..今日の夜は眠れなそうだ。



 ウィットネス•ホテル 大広間 午後4時24分


 「尺取り虫の剥製まであるとはねぇ。感心感心、このホテルは生物の神秘をそのまま写しているようですよ」


 腕の筋肉が異様に発達している、服を裏返しに着た男が大階段の手摺を見物しながら独り言を呟く。男は最近買ったであろう剥製作製に関する本を手に、大広間へやって来た俺たちに講釈を始めようとしている。


 「以前剥製師をしていたお爺さんから話を聞いたのですが。剥製を作る時には、命を滑らかにするつもりで作っているそうです。ここにある剥製達は皆、滑らかな命を持って存在しているんですよ。この素晴らしさがお分かりですか? 無限、永遠がここにはある! 川を切って飛翔する石のように、滑らかで、シャープ!」

 「はあ、そうなんですか」

 「私は違和感など感じません。このホテル、生命館は完成されているのですから。白木さんは神秘を穢そうとしているとすら思いますよ」


 最初に話しかけたのがコイツだったのは間違いだった。とんだ哲学者もどきじゃないか。情報交換どころじゃないな。


 「助手、こいつ普通にやばい奴だぞ。とっとと別の場所に移ろう」

 「ヤバくない! シーっ、我々の声が彼らに届いてしまいます。ほら、このお鹿さまの皮膚をご覧なさい..」


 男の手が鹿の背中に触れた。皮膚が一枚剥がれ、ざらざらとした床に落ちる。新鮮で赤黒い血がじんわりと、少しづつ広がってゆく。男は更に背中を弄る。鹿は丸裸になり、伝承に出てくる精霊にも見えた。


 「これは、鹿の皮膚じゃないな。剥製に血は宿らないだろう」


 手に取ってもう一度皮膚を撫でる。毛がするりと抜け落ち、顕になったそれは、人間の皮膚とそっくりだった。男は鹿を殴り、破壊する。中からは内臓が出てきた。剥製から、内臓が。床に落ちた皮膚に、内臓が乗せられた。


 「生命….」


 男は一拍置き、絶叫した。地獄からの呼び声と言っても遜色ないものだ。大階段から2人の男が降りてくる。全員が”鹿”の死体の前に立った。まるで神話の1ページだ。

 


 

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