それなりに退屈で愉快なお気に入り

須永 光

他人の子の成長は早い

 先日、同僚の子が小学校に入学した。同僚とはかれこれ5年は一緒に仕事をしている。子も、名前や顔、だいたいの性格は知っている。初めて話を聞いたときにはまだ保育園にも入っていなかったはずなのだが、いつの間にか幼稚園を卒業して小学生になっていた。

 産休明けで復職した別の同僚の子は、いつの間にか乳児から年中児になっていて驚いた。そのまた別の同僚の子は産まれた当初に抱っこさせてもらったが、今年ランドセルを買うのだと聞いてこれまた驚いた。早い。他人の子の成長は早い。ことわざになりそうな語感だ。


 彼や彼女らがそれだけ成長しているということは同じ年月を私も過ごしているに違いないのだが、いかんせん身体的な成長がほぼない分、この数年間自分がどう成長したのか言葉にしづらい。何か新しいことを始めていればその成長ぐあいを楽しめようが、出不精な性格にコロナ禍が重なり、特段新しいことをしてもいない。仕事も特段の波乱はなく、毎日ほとんど同じ業務をこなしている。合間にさざ波が立つこともあるが、深く胸にとどめておくほどのことでもない。


 言ってしまえば単調な毎日なのかもしれない。子どものように立った、歩いた、喋った、という劇的な何かがないので、日々のことがどんどん過ぎ去り忘れていく。コロナ禍前後のことは特にあやふやだ。

 これではいかんと思い、年明けに3年分書ける日記帳を買って毎日ちまちま書いている。これで3年先までは日々何をやったのかが追えるだろうと安堵したのも束の間、1ページで同日の記録が3年分読めるようになっているので、書くスペースは5-6行しかなく、印象的な出来事を書くとすぐページが埋まることに気づいた。

 日記に書くほどでもないが心にとどめておきたい出来事を書き留めたい。なおかつ、自分の成長度合いが分かるような何かを始めたい。

 それらを探求したらエッセイに辿り着いた。日記ほどこまめには更新せず、変に気負ったりはせず、かといってダラダラ書くでもなく、それなりに文章や構成を考えて書く。そうすれば自分が考えたことを残しつつも文章力が向上する。一石二鳥だ。


 今度また同僚の子が節目を迎えたとき、その成長に驚きつつも「実はその間に私はエッセイを書いていたんだぜ」と小さく自分の成長を振り返ることができればいいなと思う。まずそのためには、継続という高いハードルを乗り越えないといけないのだけれど。

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