希代の盗賊が遺したもの14

 飲むつもりなんてなかった。

 だけど一口含んだ瞬間に抗いようのない感覚に襲われて盃に満ちていた液体を半分ほど喉に流し込んでしまった。


 飲んだ瞬間から体が熱くなり、燃えているよう。


「大丈夫ですか!」


 ニノサンの声は聞こえるのだけどまるで水の中にいるようにぼんやりとしている。


「なんだこれは……」


 ジケから液体が垂れている。

 体からじんわりと染み出しているそれは汗のようなのだが色がどす黒いのだ。


「うっ……なんだこのニオイ……」


 黒い汗のようなものはひどいニオイがしてニノサンは顔をしかめた。

 どうしたらいいのか分からずただただ困惑することしかできない。


 連れて戻ろうにもマザーケントウシソウを無事に乗り越えられる気はしない。

 仮に乗り越えられたところで向こうのメンバーでも何かの手を打てる人はいない。


「はぁ……うっ……」


 ジケは苦しそうに浅い呼吸を繰り返し、黒い汗を流し続けている。

 とりあえず何かできることでもと思ってハンカチを取り出したニノサンはジケの額の黒い汗を拭ってあげる。


「…………なんだ?」


 グッと黒い汗を拭った瞬間パキリと小さい音がした。


「これは?」


 ハンカチを見ると何かのカケラのようなものがついていた。


「…………主人、お顔が!」


 顔の皮膚が剥がれている。

 いつの間にか黒い汗は引いていたけれどその代わりに全ての水分が抜け切ったかのように肌がひび割れてボロボロと崩れ落ちていた。


 パラパラと肌が崩れていき、ニノサンは慌てた。

 このままジケが崩れてしまったらどうしようかと心配した。


「ううっ……くっ……うわああああっ!」


 グッとジケが頭を上げてその勢いで崩れ落ちた肌が散っていく。

 仮にジケが死ぬのだとしても最後をちゃんと見届けねばならない。


 そう思ってニノサンはしっかりとジケのことを見ていた。

 

「新しい……肌が」


 崩れ落ちた肌の下にはちゃんと新しい肌があった。


「はぁ……はぁ……」


「主人、大丈夫ですか?」


 肩で息をするジケはぼんやりと前を見つめていた。


「何が……あったんだ?」


「それは僕も聞きたいです。ひとまずお体大丈夫ですか?」


「うん……とりあえずは」


 悪いどころの話ではない。

 例えるなら体を全て新しいものと入れ替えたような気分になっていた。


 むしろ気分がすごく良いのだ。


「……なんだか肌綺麗になりました?」


「肌?」


 ジケは自分の頬に触れてみるけれど綺麗になったかどうかは触れただけでは分からない。


「あと、ニオイが……」


 黒い汗が染み込んだジケの服はひどいニオイがしている。


「確かに臭いな」


 ジケはとりあえず上着を脱ぎ捨てる。


「なんか……本当に肌綺麗になったな」


 自分の上半身を見てジケは驚いた。

 子供の体なのでそんなに汚いものではなかったが、今はまるで生まれたての赤ちゃんのようなツルツルのお肌になっている。


「なんで?」


「……分かりません」


 変化が起こった理由は分かっている。


「あの盃、何が入ってたんだ?」


 お肌をツルツルにしてくれて体の調子を良くしてくれる液体などジケは知らない。

 そんなものがあったら世界中のマダムが殺到していることだろう。


「……フィオス!」


 液体はなんだったのだと盃の方に目を向けると高速で振動しているフィオスが目に飛び込んできた。

 横には落ちた盃がある。


 まだ半分ほど液体は残っていたはずなのに床にその痕跡はない。

 つまりフィオスがあの謎の液体を飲んだということになる。


「だ、大丈夫か、フィオス!」


 見たこともないような激しい振動にジケは慌ててフィオスを抱き上げた。

 ジケは一応無事だったがフィオスも無事だとは限らない。


 しかし出来ることもなくジケはただフィオスを抱きしめる。


「フィオス、頑張れ……!」


 頑張ることなのか知らないけれどとりあえず声をかける。


「フィ……フィオス?」


 ピタリとフィオスの動きが止まった。


「……主人、フィオスは大丈夫なのですか?」


 微動だにしないジケとフィオス。

 嫌な予感がしてニノサンが青い顔をして声をかける。


「フィオス……まさか……」


「まさか……?」


「なんでこんなにハッピーなんだよ?」


「………………はい?」


 激しく震えていたフィオスからジケに感情が流れ込んでくる。

 まるで頭の中に花畑でも咲いたような大きな幸福感をフィオスは感じていた。


 気持ちは分からなくもない。

 確かに今のジケも体の調子が良くてかなり気分もいいのだけどフィオスも同じように感じているのだろうかと疑問に思う。


「えっと……フィオスは無事なのですか?」


「ん? ああ、無事だよ」


 再びフィオスがプルプルと震え出す。

 人で言うなら鼻歌でも歌っているようなハッピーな感情をフィオスは今感じている。


「なんの液体だったかは分からないけれど毒じゃなくて体には良さそうだ」


 だいぶ古くからありそうなのに腐っている感じもない。

 味はなぜか覚えていないけれど不味くはなくて飲んだ瞬間体に染みるような感じがあった。


 ジケは盃を拾い上げてみた。

 フィオスが一滴残らず飲み干してしまったみたいで盃は綺麗なものだった。

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