月明かりの下で1

 夜というだけでなんの変哲もない道が怖く感じることがある。

 昼間多く人が通る往来で、それがいなくなって、暗くなっただけなのに人の不安をざわりと撫でつけるような雰囲気になることがある。


 夜のアカデミーもなんとなく不安を煽るような雰囲気がある。

 生徒で賑わっていた教室は人の気配がなく、月明かりだけが差し込んでいて幻想的な雰囲気すらある。


「なんだか……悪いことしてるみたいだね?」


「まあ悪いことしてるからな」


 普通の生徒がこんな時間にこんなところにいたら怒られるだろう。

 だから一般的な基準で言うと悪いことをしている。


 今ジとエは暗がりの教室で身を寄せ合っていた。

 日が落ちて暗くなるにつれてエが少しずつジの方に寄ってきて、夜になると完全にエはジにくっついてしまっていた。


 怖いのかと聞いても怖くなんかないと返されてちょっと近づいてくるのだ。

 別に笑いやしないから正直になればいいのに。


 そもそもちっちゃい頃から一緒にいるんだからエが暗いところが苦手なことぐらいとっくに知っている。

 一回も自分で暗いのが怖いって認めたことはないので未だにジが勝手に思っているだけとはなっているが。


 何も夜のアカデミーにいるのはエとロマンティックに過ごしたいと思ったわけではない。

 勝手に忍び込んだのでもない。


 教室でこっそり待っていたので忍び込んだのと大きくは変わらないことをしているけれども。


 噂はどれも夜の話だった。

 中には夜眠れなくて起きていたら不思議な声が聞こえてきて決闘させられたと言う話もあった。


 だから1つばかり実地調査というか、夜に本当にそうしたことがあるのか自分の身で調べてみようと思った。

 帰っていいって言ってるのに一緒にいると聞かなくてエも一緒にいることになった。


「さてと」


「えっと、どうするの?」


 大体夜も更けたし教室にいても何にもならない。


「そうだな、とりあえず中庭に行ってみようか」


 とは言ってもこちらから探して見つかるならもうどこかで見つかっていることだろう。

 正体不明の子供の声の方から接触してくれることを期待して移動するしかない。


「何よ?」


「いや……好きにしろ」


 ピタリとくっついて歩くのは、歩きにくい。

 ただあんまり離れるのも怖い。


 エはそっとジの制服の裾を掴む。

 もちろんジも気づいてるが振り解くようなマネをするほど非道な男ではない。


 月明かりが明るくてよかった。

 思っていたよりも明るくて廊下を歩くのにも苦労しない。


 物音もなく静かなアカデミー内部を歩いてアカデミーの子どもたちの憩いの場となっている中庭に出る。

 夜は止められている噴水とベンチが置いてあり、噴水の貯まった水に月が反射している。


「ここまで来るとあんまり怖くないね……あっ、アカデミーの中も全然怖くないけどさ!」


 室内よりも月が明るく感じられて、幻想的で少しひんやりとした空気が心地よい。


「ジ、こっち!」


「なんだよ?」


 ジとエは噴水横にあるベンチに座る。


「はい、半分こ!」


 エは懐から包みを取り出した。

 包みを開くとこれはパンであった。


 夜まで教室に隠れて時間を潰すと聞いていたのできっとお腹が空くだろうと思って昼に多めに注文して懐に持っておいた。

 中庭だと雰囲気もいいし、落ち着いてきたらお腹も空いてきた。


 パンを半分に割ってジに渡す。

 受け取ったパンは昼からそれなりに時間が経っているのに柔らかく、小麦の良い香りがする。


「ジにもらったパンとは大違いだね」


「うるさい。


 貴重なパンだったんだぞ?」


「分かってるよ。


 あの後も必死になって生きたね……その日のご飯も怪しくてさ、水だけで過ごした日もあったね」


「まだ思い返すほど過去のことでもないだろ?」


「……でもなんだかすっごく前のことみたい。


 私、心配してたんだ」


「何をだ?」


 パンをゆっくり噛んで食べる。

 噛めば噛むほど甘みが出てきて美味い。


 口の水分を全部持って行ってもなお足りないぐらいのパサパサ非常食パンとは大違いだ。


「ジのこと。


 フィオスを馬鹿にしてるわけじゃないよ、今じゃフィオスがすごいってことは分かってるけどさ。

 あの時泣いてたし、ジがどうにかなっちゃうんじゃないかと思って……ずっと不安だった」


「……」


「でも不安に思うことなかったね。


 フィオスだってすごいし、それをうまく使いこなしてるし、ジは……もっと素敵になった…………」


 月明かりが明るいと言っても日中とは比べ物にならない。

 それでもエの顔が赤くなっていることがジには分かった。


「私、決めたことがあるの……」


 ジはパンを食べる手を止めてエの話に真面目に向き合う。

 なんの話なのかジには予想がつかない。


 でもエがどんな判断をして、どんな決断を下そうとも絶対にジだけは味方でいよう。

 そう思って話の続きを待っていた。


 熱を帯びたようなエの瞳がジの瞳を見る。

 昔から変わらない。


 黒く澄んでいて、優しい目。


 ジに救われた命。

 ジのために何かをしてあげたいと心の底から思っている。


「私……」


「いやー!


 いい雰囲気だね?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る