はなことばを聞かせて

響 花坐

はなことばを聞かせて

 花の精霊。

 その名の通り植物に咲く花冠に集まる魔力を依代に顕現する精霊。

 しかしその姿を見たものは少ない。

 潤沢な魔力を蓄えた花を咲かせる土壌が人里の近くには少ないかららしいが

 ある男は老婆のような化け物と語り、ある魔法使いは可憐な少女と語った。

 どの伝承にも一貫性はほとんどなく、彼女らの生態は謎に包まれていることが多い。

 ——ボロボロの手記より



 暖かい日差しの陽気に誘われて彼女は目を覚ました。

 花の精霊ゼラニウム、彼女いつも此処に咲く。

 人里を遠く離れた青々とした森の中。

 その中にぽつりとある開けた場所。

 日がよく通り、静寂が広がるこの場所は彼女の理想郷だった。

「ゼラニウム、今年は随分お寝坊だったな」

 まだ起きたばかりの彼女に声をかけたのはこの森に住んでいる一人の老人だった。 

「あらソル、来てくれていたの?」

 ゼラニウムは嬉しそうに笑みを浮かべながらソルに歩み寄った。

「とっくに暖かくなってるって言うのになかなか姿が見えなかったからな」

「今年は大地の力がギリギリだったの、お陰で最近は白い花しか咲かないわ…そろそ   ろ新しい場所を探すべきかしらね」

「…そうか」

 そう言うとソルの表情が少し曇った。

 あまり表情に出ないソルだったが、その一瞬の変化をゼラニウムは見逃してはいなかった。

「あなたこそ冬を越せたのですね、かなり痩せました?」

「去年はお前がとった魔獣の干し肉で随分としのげたよ」

「やっぱり狩っておいて正解でしたね」

「ああ、助かったよ、じゃあ俺は飢え死にしないようにまた狩りでもしてくるよ」

 ソルは傍に置いてあった狩り道具を手にとってゆっくり森の方へ歩いて行った。

「あまり無茶はだめですよ」

 ゼラニウムは小さくなっていく彼の背中を見ながら出会った日を思い出していた。


 その出会いはあまりにも突然だった。

「精霊…さん?」

 暖かい日差しに眠くなっていた何でもない昼下がり。

 一人の少年がこの森に迷い込んだ。

「どうやってここに来たのですか?少年」

「…わかんない」

 精霊のがいる場所には死に場所を求める人以外は訪れることができない。

 そう言われているが少年は身なりもそれなりに整っており疲弊した様子もない、死期の近い者には見えなかった。

 恐らく森の外の村の子供だろう。

「迷い込んでしまったのですね、ここは貴方がいるべき場所ではありませんよ」

 そう言いゼラニウムは腕を振った。

 すると森の木々を間を一筋の風が吹き抜け、辺りに花びらを散らした。

「きれい…」

 煌びやかに日の光を反射して舞う花、それは魔法初めて見た少年にとってまるで夢のような光景だった。

「黄色い花びらをたどりなさい、そうすれば家に帰れるわ」

「あ、ありがとう!」

 青年は律儀に礼をして花に導かれ森の外へと帰っていった。

「変わったこともあるものね…」

 ゼラニウムは少年が無事帰ったのを確認し呟いた。

 

 あの日から幾度かの冬を超えた春の日。

 少年は青年となり再びこの森へと足を踏み入れていた。

「俺村を出たんだ、今日からここの森に住むから」

「一人で村を出てきた?一体なぜ?」

「だからここに住むためだって!」

 最初にそれを聞いた時、ゼラニウムは到底理解が出来なかった。

 この森は人間が住むにはあまりにも不都合が多いことを彼女は知っていたからだ。

「精霊様、俺あなたに魔法を教わりたくて…だから俺を弟子にしてください!」

 しかし彼の心はゼラニウムの魔法に釘付けだった。

「人間が魔法を行使できないのは分かっているのかしら?」

「でも精霊魔法は使えるって本で読んだんだ!」

「…よく知っていますね」

 魔法が行使できない人間が唯一魔法を使える方法、それは他種族と契約することだった。

 その中でも人間と親和性が高いのが精霊魔法だった。

「しかし私はあなたのような子供とは契約する気はないのです、わかるでしょう?」

 精霊が人間と契約を交わすことは一般的なことではない。

 才に優れたものや他種族とのハーフ、それか精霊本人に魅入られるか…。

 それほどの特別な理由がない限り自分より力のない種族との契約とは力を持つ種族にとって無益な行為だった。

「それは…でも俺すぐ大きくなりますから!」

 しかしゼラニウムがそう冷たくあしらってもが青年が諦める様子はなかった。

「そういう問題では…はぁ仕方がないですね」

 何回かの押し問答の末、結局ゼラニウムは青年と一緒に暮らすことになった。

 

 弱い人間との生活はゼラニウムにとって初めてことだらけだった。

 人間はか弱く、この森に訪れる魔物には手も足も出なかった。

「…ゼラニウム!なんだよあいつ!」

「静かに、刺激しなければ襲ってくることはないわ」

「いい?あの魔物は群れを成さないから積極的に狙うの」

 そうゼラニウムが指したのは黄色い液状のスライムだった。

「…あれ本当に食べれるのか?」

「とても美味ですよ、人間にとって糖分は大切な養分でしょう?」

「…それはそうだな」

 そうして色々な生き抜くすべを青年は覚えていった。

 それから次第に青年月日は流れ、青年はすっかり成長し立派な男になっていた。

 成長した男…改めソルは森で一人で生きている力を身につけていた。

 そうした安心からか、二人の間には笑顔が増えていった。

 木漏れ日が心地よい木の下、二人で作った小さなソルの家で彼らは談笑していた。

「おいゼラニウム、お前俺の分の木の実食べただろ?」

「はて…?なんのことでしょうか?」

いたずらな笑みを浮かべながらゼラニウムは後ろに手をまわした。

「おいおい…お前精霊なんだから食べなくても大丈夫だろ?」

「私だって美味しいものは食べたいんです」

「だからって俺の分まで食うこっちゃないだろ?俺はおまえの分までちゃんと採ってきたんだ…」

「嘘嘘冗談ですよ、はいっ」

そう言ってゼラニウムは後ろに回した手から隠していた木の実をソルに投げ渡した。

「っと、随分やんちゃなことするようになったもんだな、初めのころは貴族の令嬢様みたいにお堅かったのに」

ソルがそうおちょくるとゼラニウムは少し顔を赤らめていった。

「そ、それはあなたのせいですよ!あなたに悪い影響をあたえられたんです」

「俺のせいか?」

「そうです、それにあなたはお茶目が過ぎるんです」

「こいつはひどい言われようだな」

そう言いソルは笑いながらゼラニウムに渡された木の実を食べ始めた。

「なあゼラニウム」

「食べながら話さない…なに?」

「いつになったら契約してくれるんだい?」

契約、久方ぶりに聞いた言葉に一瞬の静寂。

「ふふ、まだまだ子供のくせして生意気言うわね?」

「まったく…早く魔法を使ってみたいもんだなぁ」

 ゼラニウムが話を逸らすとソルは笑いながらも残念そうに目を伏せた。

 それを見てゼラニウムは胸に痛みを覚えた。

 彼女にとってそれはとても新鮮な感情だった。

 そしていつの間にか、その感情は彼女にとって特別な物になっていた。


 そう感じた瞬間、時は一気に加速した。

季節は巡り幾度の冬を超え、時は今春へと至る。

「ゼラニウム、ゼラニウム」

 夢うつつな意識の中、名前を呼ばれ彼女は目を覚ました。

「ごめんなさい、寝てしまいましたね」

 しかし彼女のそばに人影はなかった。

「あら、私ったらまた…寝てしまっていたのですね」

 そう呟く彼女が愛おしそうに撫でた彼女の花は真っ赤に染まっていた。







 精霊の言う契約も魔法も、父の推測が正しかったか俺にはわからなかった。

 結局彼女は最後まで俺と契約してくれなかった。

 しかしそれでも彼女と過ごしたこの生涯は紛れもなくあの時見た一瞬の魔法より美しかった。

 まるでそれは長い年月をかけた彼女の魔法のようだった。

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