第13話 遭遇

 ルタの故郷は、アウシュニャから北西へ数十キロ先の、パーパとの国境付近にあった。ミロクが予想した通り、途中には街があって燃料を補給することもできた。ミロク達が住む区画の倍の規模があるその街は、活気はあまり無いものの淡々と生活をしているようだった。


 ところが、ルタの故郷に近付くと、一気に景色が変わった。森林は焼き払われ、集落も焼けた柱が数本残されているのみだった。当然、人の気配は無い。戦火に巻き込まれたのは明白だ。


 車を降りたルタは、畑だったと思しき場所に佇んだ。そんな彼の横に、ミロクが並ぶ。ちらりと横を窺うと、ルタは涙こそ流していないが唇が小刻みに震えていた。伝聞と現実を目の当たりにするのとでは、受け止め方に天と地ほどの差があるのだろう。


「いつか帰って来るつもりだったんだが。『いつか』とか『つもり』とか、本当にその気があったのかって、責められても仕方ないわな」


「少なくとも、カウムディーは責めてねえだろ」


 研究し続けるルタを、彼女は呆れたように笑いこそするが、責め句を連ねたことは一度として無い。ルタの努力はもちろんのことだが、彼を責めても仕方がないことを、きちんと理解しているからだ。


「おまえがやることは唯一つ。堂々と、毒のねえ作物を開発してりゃ良いんだ。数年後には、どっかで生きてる村の連中にも届くさ」


 村の人間が全員無事かどうかは、分からない。ただ、ミロクが以前ヒガンから聞いた話によると、瀕死の状態だったカウムディーが発見されたのはドゥルガーの中央部寄りだったらしい。怪我の程度はともかく、逃げることができたというのは確かだ。


 十数秒の間の後、ルタはぽつりと「そうだな」と呟いた。


「寄ってもらって悪かったな、レンリ。政庁へ行こう」


 ルタは離れた場所で待つレンリを振り返ることなく、そう言った。「分かった」とだけ言って、レンリはトラックに乗り込んだ。


「行くぞ、ミロク」


 ルタにそう促されて、ミロクも運転席へと戻った。やや遅れてトラックに乗り込んだルタの顔を、バックミラー越しに確認する。眉間に皺を寄せて、険しい顔をしている。ミロクの言葉一つだけで、容易に気持ちが切り替えられるものでもないのだろう。


 ため息を一つ吐いて、ミロクはトラックを発進させた。車内はエンジン音が支配している。時折、衣擦れの音がするくらいだ。普段はおしゃべりなフェイファも、ルタに遠慮しているのか口を閉ざしている。


 重苦しい空気の中を運転するのは疲れる。ものの数分で、ミロクは心の中で音を上げた。


 カーステレオに手を伸ばして、スイッチを入れる。しかし、電波が悪いのか、聞こえるのは砂嵐の音だけだった。諦めてスイッチを切ると、運転に専念することにした。


 だが、行けども行けども変わり映えのしない荒野が続く。十数分も走ると、進路も疑わしくなってくる。道を確認したいのだが、車内の空気は相変わらずで口を開いて良いのかも分からない。


 ちらちらとバックミラーで後部座席の様子を確認していたミロクは、急に現れた人影に少しばかり反応が遅れた。急ブレーキをかける羽目になり、体が前に傾く。


「荒いぞ、ミロクッ」


 すかさず、レンリから叱責の声が飛ぶ。ミロクは「悪い」と短く応じてから、改めて前方を見た。トラックの前に立つ人物に、目を見開く。


「なんで、セハル君が二人いるんすか?」


 率直に、フェイファが問う。助手席に座るセハルも、息を呑んだ。


「戦神か」


 舌打ちをするミロクに、「あれが戦神なんすか?」とフェイファが更に問う。ドゥルガー出身といえども、全員が戦神の姿を知っているわけではないのだ。


「ああ。すぐに攻撃するつもりは無いが、見逃してくれるつもりも無さそうだな」


 戦神は無表情のまま、助手席のセハルを見ている。自身と同じ姿のものを観察しているのかもしれない。


「どうするんだ? こっちから仕掛けるか?」


 セハルが、拳を握る。ミロクは、彼の腕を掴んだ。


「やめとけ。降りる前に攻撃されるぞ」


「かと言って、このままというわけにもいかないだろ」


「まけば良いんじゃないっすか?」


 後部座席から、あっけらかんとした声が掛かる。


「できるのか?」


「もちろん。アウシュニャ出身者を舐めないでほしいっす」


 ミロクがバックミラーで後方を確認すると、フェイファはにんまりと笑っていた。小さな集落と見捨てられた祠くらいしか覚えが無いが、この自信はどこから来るのだろうか。ミロクは首を傾げた。


「俺が合図を送ったら、後ろにざーっとさがった後、すぐに大きく蛇行するみたいに走ってほしいっす」


「後ろにざーっと、すぐ蛇行」


 眉間にしわを寄せるミロクを、セハルが不安そうに見ている。フェイファは構わず、右手に黒い球を持った。


「ルタさんは、俺の体を支えててほしいっす。落っことしたら怒るっすよ」


 日頃から、あまり接点が無いルタにも構わず指示を出す。緊急事態で、気を遣うことを放棄したらしい。ルタも「はいよ」と応じて、細い腰に両腕を回した。


 フェイファの考えを察したのか、レンリは「なるほど」と言って口角を上げる。


「うまくいくよう、手伝ってやろう。それ」


 パチン、という乾いた音がする。レンリが指を鳴らしたのだ。


 と同時に、戦神の後方で土が吹き飛んだ。爆発は極めて小規模だったが、戦神の目を逸らすには充分な効果があった。戦神は視線と同時に、体の向きもトラックから爆発地点へと変えた。


 フェイファは素早く窓を開けると、身を乗り出した。


「ミロク兄っ」


 名前を呼ばれ、ミロクはトラックを後ろへと急発進させる。黒い球はフェイファの手を離れ、戦神の足元に落ちた。地面に着いた瞬間に割れた球から、勢いよく白煙が吹き出す。ミロクはギアを前進に切り替えると、蛇行運転を始めた。


「ルタ。回収してやれ」


「はいよ」


 レンリの命令を受けて、ルタはフェイファの腰を思いきり引っ張った。トラックの中に引きずり込まれたフェイファは、勢いのままにルタの上に転がった。ルタはフェイファを抱えたまま、窓を閉める。


 トラックは白煙が立ち上る地点を避けて通ったが、白煙の量が多い。煙が、閉まった窓を撫で上げていく。数秒後には、すっかり白煙に包まれていた。


「前が見えねえっ」


「がんばれ、ミロク兄っ」


「充分がんばってるっつの」


 アクセルをゆるめるのは、ハンドルをきる時だけだ。トラックが進行方向を変えるたびに、遠心力に従って体が傾く。


 あと、何度ハンドルをきれば良いんだ。そう考えが頭を過ぎった時、ハンドルを持つ腕に手がかけられた。


「真っ直ぐで良い。もう諦めてる」


 ミロクはちらりと横目でセハルを見た後、ハンドルを真っ直ぐに戻した。いっぱいまでアクセルを踏み込むと、数秒後には白煙を抜けていた。なんの面白みも無い荒野でも、ほっと安堵のため息が出る。


 セハルの言葉に半信半疑だったのか、白煙が抜けてからずっと後方を窺っていたフェイファが前を向いた。


「よし。まけたみたいっす」


「やるな、フェイファ」


 ルタに褒められて、フェイファは満更でもなさそうに笑った。


「でも、次に来たら打つ手が無いっすよ? あれ、本当は換気のチェック用なんすけど。余ったのをポケットから出し忘れてただけっすから」


 言いながら、両手を広げる。もう持っていない、ということだろう。それを見て、「ふむ」とレンリは顎に手を添えた。


「乗り込む前に、諜報部の誰かと落ち合うか」


「連絡取れるのか?」


 ミロクはアクセルを弛めると、バックミラー超しにレンリを見た。


「おそらくな」

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