第15話 執念のぷるんぷるん
俺は猫じゃらしにじゃれるふりをして、必死に飛んだ。
見えない、見えないよ!
店の服は白っぽくて薄手で、少しだけ肌が透けて見えるような気がした。そして、思った通り、雨音は施術台に横になってすぐにそれを脱いだようだ。エステティシャンの女性が服を受け取っていた。
つまり、今、その台の上の雨音は。
俺はもう恥も外聞もなく、おもちゃに頼らず自ら飛んだ。
でも見えない!
テレビでは上から撮っていた。だからよく見えたけれど、俺は下から見上げる形になるのだ。台しか見えない。
「では、オイル塗っていきますね」
エステティシャンがビンをかたむける。ふわりといい香りが広がった。
「いい匂いですね」
「ゆっくり力を抜いて、リラックスしてくださいね」
オイルを塗っているらしい。と言うことは、ちょっと肌がテラテラしてたりするのかな。水着で。
もうちょっと、もうちょっとなのに!
俺は懸命に飛んだが、台は高く、そしてついに俺は。
「はーいマオちゃん、運動はできたねー。次はヨガですよー」
捕まった!
猫エステ担当の女性が、俺を床のヨガマットに押し付けた。
離せ、離してくれ!そしてできれば抱き上げてくれ!すぐそこに雨音がいるのに!水着の、オイルでテラテラの雨音がいるのに!
にゃあー!
「大丈夫ですよー、気持ちよーくなりますからねー」
俺がもがいていると、雨音の方の施術がいよいよ本格的になってきた。
「では、ほぐしていきますね。背中のリンパの流れを改善しますよ」
雨音がふにゃふにゃの声ではい、と答えている。気持ちいいようだ。
ということは、その台の上には、水着でテラテラでふにゃふにゃの雨音が。
なゃふっ。
「はーいマオちゃん、お手てぐるぐるー」
変な声が出た。俺も体を揉まれ、動かされ、これは何だか固まっていた筋肉がゆるゆるとゆるんでいくような。
き、気持ちいい……!
ふなぁー。
「ねー、マオちゃん気持ちいいねー」
「……むぎゅっ!」
ゆるゆるになっていた俺はぎょっとして施術台の方を見た。雨音から聞いたことのない音がした。
「ちょっと、痛みが、ありますが、効いてますよ!ぷるぷるの、バストに、しますからね!」
「はむっ」
エステティシャンが勢いをつけ、ぐいぐい雨音の体に何かしている。台がぎっと大きく軋むたび、雨音から変な音が出て、時々剥き出しのふくらはぎが跳ね上がった。
「んっ、うっ、ぎゅっ、まっ、ぴっ」
「効いて、ますよ、頑張り、ましょう、ね!」
「んぐにゅ!」
見なくて良かったかもしれない。
雨音の飽くなき美への執念とも聞こえる変な声を聞きながら、俺はちょっとだけ震え上がった。
雨音はご機嫌だ。
施術が長引きそうだし、今日はオフシーズンで他に予約もないということで、休憩も兼ねて早めのお昼を摂ることになった。
旅館のレストランからランチをエステ店のテラス席まで運んでもらえた。俺はもちろん猫用の特別食だ。なかなかおいしかった。
外から見えない中庭のようなテラス席で、俺と雨音はゆっくり雲の流れるのを眺めた。心地よく疲れているので、外でぼんやりするのが気持ちいい。空は相変わらず、黒い雲がひしめいているだけなのだが。
雨音は店から借りている服を着ている。意外と透けないが、このまま外に出ることはできないだろう。すぐ脱げるように、とてもゆったりしている。いつもより首回りが大きく開いているし、何だか肌が近い。
なのに雨音は俺をぎゅっと胸に押し付けた。
「あのね、マオ……ほら!」
俺は雨音の胸に埋もれた。
おおお。
確かに感触が違うぞ。ボリュームが増したというよりも、質が変わったというか。柔らかい中にも弾力があり、心地よく跳ね返してくる感じが……いや、不可抗力だ。雨音がそうしたんだからね。
雨音、素敵だよ。いつも素敵だけど、もっとだ。
にゃーう、にゃおー。
俺は懸命に訴えた。雨音、君は素敵だ。この胸も素敵だ。ひとり占めしたいくらいだ。数多の女性を虜にしてきた、この俺が言うんだから間違いないよ。
雨音、君はきれいだ。自信をもって。
雨音にないものは自信くらいだ。他は何でも持っているのに、自分のことを信じられないからすぐに流され、溺れてしまう。
雨音、きれいだよ。
にゃあん。
俺は伝わらないのは承知の上で、俺は俺の雨音への思いを全てを込めて、鳴いた。
ぷるんぷるんの胸を手に入れ、控えめ過ぎるほど少しだけ自信を得た雨音は、それでも輝くように笑った。
「あとは体全体のトリートメントと、顔を中心にしてくれるんですって。すごく効きそうよ、楽しみ。胸も、こんなに効果があるなんて思わなかった」
雨音は俺をぐいぐい谷間に押し込む。
「これならきっと、
雨音が俺をぎゅうぎゅうに抱きしめながら、うふふと笑う。
雨音、あんまり押し付けたら苦しいよ。何ていうか、いろんな意味で。
俺はようやく谷間から顔をあげ、眩しい雨音の笑顔を、瞳孔を細めて見上げた。
カアカア、カアーアカアーア。
「あれー?やっぱりマオたちはこっちに来てたのかい」
やけに馴れ馴れしい烏がいると思ったら、
「よくここにいるのがわかったな」
「烏の目をなめるんじゃねえよ。まあ、本当はお前んとこの魔女から連絡を受けてたからなんだけどな。一応定期連絡に来てみただけだよ」
見に来ただけだろ。烏は物見高いからな。
「こんにちは、カア太郎さん」
雨音が声をかける。
「何だ、お前んとこの魔女、今日は珍しい格好してるんだな。ここからだともうちょっとでいろいろ見えそうだぜ」
俺は黙って雨音の胸元があまり開かないようにもう少しくっついた。上から見るんじゃねえよ。
「そうだ、マオ、少し待っていてくれる?蓮に電話してみるわ、さっき怒っちゃったから謝らないと」
雨音が立ち上がる。気持ち良かったので機嫌も直ったようだ。きっとぷるんぷるんの胸も早く見せたいのだろう。やれやれ。
「お前のとこのオヤジさん、やっぱり今日は留守番なのか。魔女がひとりで出かけるなんて珍しいな」
佳久郎があちこち首をかしげながら言った。
「え?一緒に来てるよ」
「だって、家に車あったぜ。家の中にも人がいるみたいだったし」
まさか、と俺は思ったが、どこかで不可能ではないとも思っていた。だって家はここから三十分しかかからない。俺たちはもう2時間くらいはエステにいるのだ。
「佳久郎の見間違いだろ」
それでも俺が言うと、佳久郎は憤慨したように烏の目をバカにすんじゃねえよ、とカアカアわめいた。
「間違いないよ。俺は数字が読めるんだぜ。車の番号もお前んとこのに間違いなかったよ」
俺は少しいやな感じがした。帰るならそう言っていけばいいのに。最近の蓮は何だか変だ。
「他に、家に何か変わったところはなかったか?」
佳久郎はまた首をかしげた。
「他にも近くに車が停まってたこと以外、なかったと思うぜ」
近くに車?家は住宅街から少し離れているのでお隣は遠いし、近くに車が停まる用事なんてないはずだ。家への訪問以外には。
「何だ、何かあったのか?」
佳久郎が目を輝かせる。こいつに関わられたら面倒だ。
どうやって穏便に帰そうか思案しているところに、雨音が戻ってきた。
雨音は真っ青になっていた。さっきまであんなに楽しそうにしていたのに。
佳久郎が良くない気配を察知して、じゃあまた、ごゆっくり、なんて言って早々に飛び立つ。
俺はおそるおそる雨音を見上げた。
雨音はもともと白い顔をさらに青ざめさせて、不安そうに見開いた、揺れる大きな目で俺を見つめていた。
「蓮が、なかなか電話に出なくて。やっと出たと思ったら、すぐ切りたそうにするの。今どこにいるの、って聞いても、答えてくれないの。マオ、私、どうしよう」
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