第十四話 二人の夜
「待ってな。すぐ火を点けてやるからよ」
洞窟の奥、少し入り組んだ先にあったアウルベアの寝床に着いたらしい。
ここまでの闇があったのかと感心するくらい洞窟の中は真っ暗で私には分からなかったが、何故か彼にはちゃんと見えているらしい。
足場が悪い場所に差し掛かった時にはちゃんと注意を促してくれるのだから。
……ギラギラ光る目を頼りとか言う話は何処に行ったのだろう?
「よし点いた。フーフー、後は木枝を少しづつ……」
彼が火を点けてくれたお陰で辺りに光が広がった。
ここがアウルベアの寝床……?
あまり匂いがしなかったからなんとなく感じてはいたけど、思ったより綺麗で驚いた。
人間や家畜だけでなくどんな魔物でも食べてしまうと言う凶悪な魔物だから辺り一面死体だらけだと思ったのに、背の高い草をこんもり敷き詰めた恐らくベッドと思われる物が奥に有るだけで、あとは本当に何も無い。
「ここって本当にアウルベアの巣なんですか?」
「ん? あぁそうだぜ。って言っても、これから巣になる筈だったって感じだな。この時期は巣作りの時期なんだよ。雄がこうやって洞窟掘って巣を作り雌を呼び込むってな。入り口に盛り土が有ったからもしやと思ったらやっぱりだったぜ」
「それもあなたの村で学んだ事ですか?」
「まぁな。でも既に雌を呼び込んでなくて良かった。もしそうだったらいまだに俺達は森の中を走っていたと思うぜ」
彼はそう言って大袈裟に疲れ気味に安堵する演技をしながらふ~と息を吐く。
さすがの彼でも二対一では敵わないと言う事なのだろう。
いや、一体でも勝てる事自体おかしいのだけれど。
「なんせ俺の村じゃ繁殖期の
なんだか思っていた回答と違う。
数の問題じゃないみたい。
「どうしてです? あんな恐ろしい魔物が繁殖するなんてとっても危険だと思うのですが?」
「そうそう! 普通はそう思うよな。俺も小さい頃そう思っていたぜ。危険な魔物なんて居なくなった方がイイジャンってよ」
彼も思ってたんだ。
小さい頃と言う事は今は違うということ?
理解出来ない私は首を傾げる。
「なんでも人間だろうと動物だろうと、勿論魔物だろうと皆一緒。この自然の中に生きる者達だって考えでよ。日々生きる為に互いに殺しもすりゃ殺されもする。だけどよ、繫ぐ命の価値は何者だろうと変わらないって言う事らしいぜ」
「繫ぐ命の価値……」
「あぁ、まぁガキの頃はよく分からんかったけど、村から離れて王都に来て色々有ってさ。最近じゃなるほどなぁって思う事もある訳よ」
焚き火の灯りに照らされて少し笑いながら感慨深げに彼はそう言った。
さっきまでまるで少年みたいな顔をしていたのに突然大人びた顔をしたので胸がトクンと跳ねる。
彼がそう思うようになった切っ掛けとは何だろうか。
恐らく彼の口から零れた愚痴が大きく関わっているのだろう。
だがしかし、何者にも束縛されない自由な彼の意識を変えたソレは、この国の闇の一端でしかないのだ。
彼と一緒に居られる幸せに忘れていたが、私もその闇を担う一部だと言う事を思い出した。
何故か彼は修道院に行く事を拒否した理由を聞こうとして来ない。
私が拒否した寸前まで修道院に行けば全て解決すると思っていたのにも拘わらずに。
「あの……私が修道院に行くのを拒否した事を責めないのですか?」
「ん? 急にどうした? 行きたくないんだろ?」
「……だって、貴方は私を修道院に連れて行く事が仕事だと仰られていました」
「『だって』って言われてもな~。あんな顔で嫌だって言われたから思わず連れて来ちまったんだよ」
彼は照れ臭そうにそう言って頬を掻く。
私がお願いしたから彼は何も聞かず助けてくれたのか。
私の胸はときめいた……ただ、一つの疑問が脳裏に浮かぶ。
彼にとって私と言う存在はどんな意味を持つのだろうか?
勝手に彼に押し付けた理想の騎士像にのぼせているのは私だけで、彼は私の事などなんとも思っていないのではないだろうか?
私を助けてくれるのもただ単に彼が優しいだけで、目の前で困っていた女性が偶々私だったから助けてくれるだけなのだろうか?
……あぁ、何を勝手に嫉妬しているのだろう。
自分の心の醜さが嫌になる。
「それよりジョセフィーヌ。思わず連れて来ちまった所為で貴族に戻る道を潰しちまった。本当に済まねぇ」
突然彼はそう言って必死に頭を下げて来た。
どうやら私が自らの醜さに自己嫌悪していた感情が顔に出ていたらしい。
その表情を見た彼は、私が貴族に戻れなくなった事を悔いていると勘違いしたようだ。
違う! 貴方は何も悪くない。
全て貴方を巻き込んだ私が悪いのだ。
私の護送をしなかったら貴方はジェイスに目を付けられる事も無かった。
その時点で貴方は無事に王都に帰ろうとも兵士の職を失っていたどころか、投獄されて恐らく死罪になっていたと思う。
それどころかジェイスの機嫌に関係無く、任務完了後に修道院の正体を知る者として口封じの為に殺される予定だった可能性だって有る。
もしそうなら突然の魔物の襲撃で有耶無耶になったとしても、貴方の辿る道は死しかなかったのかもしれない。
全ては私に関わったばかりに。
謝るべきなのは巻き込んでしまった私の方なのだ。
既に貴族に戻る道なんて私には残ってはいなかったし、そんな肩書きがなくとも、元より私には醜い血が流れている。
彼が忌み嫌う貴族の血が……。
そうだ、私には最初から貴方に愛を求める資格など無い。
やはり今ここで全てを話そう。
貴方に嫌われても構わない。
これ以上、彼に嘘など吐くことは出来ない。
私は貴方の断罪を受ける為、真実を語ろう。
あの日の様な謂れのない断罪ではない、この国の
「聞いて下さい。実は……」
私は今日知ったこの国の闇を全て彼に話した。
自らの地位を守る為、他者を追い落とす事を是とする貴族達の醜さを!
修道院など元から存在せず、全ては敗者へ見せしめとして他国に奴隷として売り飛ばす為の
貴方は偶々そのふざけた狂気に巻き込まれて殺されそうになったと言う事を。
そして、私は今までそんなこの国の穢れた繁栄の恩恵を享受して生きて来たと言う事を……。
全てを喋り終えた私は彼からの断罪を待つ。
何も言われたとしても甘んじて受け入れよう。
もう私は何も恐れない。
彼の言葉に全てを捧げるつもりだ。
しかし彼の口から齎された言葉は私の想像するものとは違っていた。
「あ~なるほどな。それで色々と合点いったぜ」
「へ? え?」
私は聞き違いかと思って慌てて顔を上げた。
「可哀想に。そんな恐ろしい所に送られる事を俺を巻き込ませない為に黙っててくれたなんて。随分辛い想いをさせちまった。そんな事情も知らずに俺は能天気に修道院に連れて行くとか言っちまってよ。本当にごめんな」
一瞬彼が何を言っているのか分からなかった。
私の説明が理解出来ず、勘違いして頓珍漢な事を言っているのだろうか?
「あの、分かっていますか? 巻き込まないと言う話ではなく、私と関わった時点で貴方を巻き込んでしまったんです。その所為で貴方の人生まで台無しにしたんですよ?」
「いや~俺がジョセフィーヌの御者に選ばれたのは俺の日頃の行いだと思うぞ?」
「え? どう言うことですか? 何故貴方の日頃の行いが関係するんです?」
「なんたって俺は昔最強騎士の晴舞台を台無しにしちまったからよ、大勢のお貴族様から嫌われてんだ。最初から殺すつもりだってんなら俺が名指しされたのも納得だ。話してくれてありがとよ。これですっきりしたぜ」
何故か感謝された。
彼は喉に刺さった魚の骨が取れたかのようにすっきりとした顔をしている。
少しだけ彼と私が出会ったのは偶然ではなく必然なのかと運命を感じてしまった……ポッ。
って、そうじゃないでしょ!
ダメだ、まだ彼は理解していない。
私は彼を殺そうとした薄汚れた貴族の血が流れているのだ。
「私……私は貴方が嫌っているこの国の貴族なのですよ? この国を支えてくれている人達を貴族じゃないと言う理由で平気で虐げて搾取する。自らの悦楽に興じている醜い者達の血が流れているのですよ? 憎くはないのですか?」
「……? 俺にはお前が何言ってるのかよく分からん。ジョセフィーヌはジョセフィーヌだろ?」
「そうです! 私はこの国の侯爵家の娘です。罪深い人間なのです」
「ふぅ……。じゃあ聞くけどよ、お前自身は貴族じゃない奴に対して平気で甚振るような奴なのか? 違うだろ? 出会って一日も経ってねぇが、お前はそんな事する奴じゃないってのは分かってるつもりだ。逆だからこそ、こんな目に遭ってんだろ?」
「そ、それは……」
彼の言葉に返す言葉が見付からなかった。
確かに彼の言う通り、私は貴族じゃないからと言う理由で虐げた事なんて無い。
そんなこの国の貴族には相応しくない私の甘さが、マチュアに殿下のお心を奪われる隙を与えこの様な事態になったのだと思う。
「でもそれとこれは……」
「違わねぇって。俺がさっき言った事を思い出してみろって。 繫ぐ命の価値は何者でも等しいってな。それと同じこった。親がどうとか育ちがどうとかじゃねぇよ。ジョセフィーヌ、真実を知ったお前がこれからどうするかが重要じゃねぇかと俺は思うぜ。この国の貴族達の罪を全部自分で抱え込むなって」
「でも……だけど……」
「そっか、自分が許せないか。本当にジョセフィーヌは優しいな。でも、それ言うなら俺の方が極悪人さ」
優しいと言ってくれた事は嬉しいが、その後に続いた彼の言葉に驚いた。
彼が極悪人? もしかして隠れて悪事を働いているのだろうか?
「貴方がですか? もしかして強盗とかしているのですか?」
「え? 違う違う、そんな事はしねぇって。あれだあれ。陣を襲った魔物の襲撃。実はあれ俺の仕業」
「えぇっ!! 本当ですか?」
また想像しても居なかった答えが飛び出て来た。
あの時の恐怖は今でも思い出すと震えて来る。
遠くから聞こえる魔物達の雄叫び、近付いてくる足音と地鳴り。
それと共に慌ただしく戦いの準備をする騎士達の怒声。
魔物学の授業で聞いた破局的災害である
それを貴方がやったの?
「いや~どうやってジョセフィーヌを助けようかな~と考えててよ。陣の中に忍び込むとしても兵士服のままじゃすぐに見つかっちまう。じゃあどうするか。ジェイスの野郎が追っ手を放つのは気付いていたしよ。だったら騎士鎧を失敬して乗り込めば良いと思ったのさ。しかも出来るだけ混乱させてその隙にって考えてたら
彼はまた少年の様な笑顔で自分の罪を告白する。
信じられない。
あっ、この言葉はこれは彼を責めているのではない。
私の為と言ってくれたのが嬉しくて出た言葉だ。
「私を助ける為に……ですか?」
あなたは誰でも助けようとするの?
それとも……私だから?
確かめたくて思わず言葉が口から出てしまった。
身の程知らずにも胸の中に淡い期待が広がる。
「あっ! 別にこの事にジョセフィーヌが責任感じる必要はないぜ。悪いのは全部俺なんだよ。他の方法も有ったんだが、奴らにムカついた俺が、仕返しを兼ねて一番最悪な手段を取ったってだけだからよ」
「いえ、そう言う事ではなく。私が言いたいのは……」
「じゃあこんなのはどうだ? 俺達は共犯者。ジョセフィーヌが自分の罪だと思っている事を大罪人の俺が許してやる。だからジョセフィーヌも俺の罪を許してくれ。互いの後ろめたい事を二人で一緒に背負っていけば、その内罪悪感も消えていくさ」
何が『どうだ』なのだろう?
彼の理論はめちゃくちゃだ。
彼は一方的に被害者だし、ジェイス含めてあの場の騎士達は、私の恐怖を煽る為にと、以前から私にしようとした陵辱を他の女性にも繰り返していたと自慢気に語っていた。
その中には近辺の村から攫って来た罪の無い女性も居たらしい。
ジェイス達は大いなる罰を与えられて然るべき大罪人なのだ。
多くの女性達が助けを求める声を誰にも届けられずにジェイス達……いや貴族達によって殺されていった。
彼の行い……それは言うなれば、そんな声を出せない貴族に虐げられた人々の代弁者と呼べるものだ。
それなのにそんな素晴らしい彼が私の罪を許してくれると言う。
一緒に背負ってくれると言う。
なぜそこまでしてくれるのだろうか。
どうしても彼の口から答えが聞きたい。
「なんで……なんで私の為にそこまでしてくれるのですか?」
「え? なんでってそりゃ……ごにょごにょ」
彼は顔を真っ赤にして目を逸らした。
その態度に期待はさらに高まる。
じっと見詰める私をチラチラと見る彼。
しばらく沈黙が続いたけど、一度目を瞑って深呼吸した彼は意を決した顔で私を見詰めて来た。
「あーーー!! こうなりゃ言ってやる! 俺はお前が大好きだ! お前に惚れちまったんだよ。どうしてもお前をあんな野郎に渡したくはなかった! だからどんな手を使ってでもお前を助けたかったんだぁぁーーー!」
彼は大声で私に告白をして来た。
またまた彼は私の想像を軽く超える。
今度は期待していた言葉とは言え、頭が真っ白になった。
だって、こんなに真っ直ぐに好きだと言ってくれるとは思っていなかったんですもの。
私は彼が好き。
そして彼も私の事を好きだと言ってくれた。
その言葉で私の心から闇は消えて光が満ち溢れる。
「あぁ……言っちまった。はぁ~すまん。聞かなかった事にしてくれ……って無理か」
「はい。しっかりとこの耳で聞きました」
「会って間もないってのに、俺みてぇな奴に好きとか言われてもキモいだろ」
「そんな事有りません! 嬉しいです! 私も……私も貴方の事が大好きですっ!!」
気持ちを抑えられなくなった私は、彼に思い切り抱き着きました。
そしてさっきは騎士達の叫びで邪魔されたキスも……そして……そして……。
この夜、私達の心と身体は一つとなりました。
私の罪自体が消えた訳じゃない。
だけど、私は彼が許してくれると言う事実だけでこれからも生きていける。
死ぬ事ばかりが贖罪じゃないと彼は教えてくれた。
声無き者の代弁者である彼を支える事こそ私の贖罪……そう思えた。
けれど、出会ってすぐなのに女性の方から積極的に殿方に求めてしまうなんて、はしたない娘と思われたかしら? ……とも思ってしまった。
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