下級兵士は断罪された追放令嬢を護送する。

やすピこ

第一話 下級兵士の愚痴


――ガタガタッゴトゴト。


 かつては貿易の要衝を繫ぐ街道として人の往来が盛んだったのは今は昔。

 十数年前に山を縦断せずに迂回する街道が開かれて以降、道の整備も杜撰な峠道を一頭引きの客馬車に揺られながら進んでいる。


 とは言っても、客じゃなく御者としてだけどな。

 朝早く王都を出発してから数刻は経っただろうか。

 薄暗かった空も今じゃお天とさんが高く上りジリジリと俺の皮膚を焼きやがる。

 まだまだ夏遠い春先だってのに今からこんなに暑くちゃ御者なんてやってられねぇな。

 いや、別に俺の生業が御者だって訳じゃねぇんだが、俺みたいな平民出の下級兵士にゃこんなつまらない仕事しか回ってこねぇってだけさ。


――ゴトンッ!


 俺が頭の中で愚痴を零していると突然馬車が大きく跳ねた。

 どうやら石に乗り上げちまったようだ。


「おっと! ってて」


 サスペンションも満足に付いてねぇこんな一頭引きの旧式馬車じゃダイレクトにケツが痛ぇ。


「……キャッ」


 馬車が大きく揺れた所為で客車から小さな悲鳴が聞こえて来た。

 今まで数時間ずっと無口だったが、さすがに今のはビックリしたようだな。


「おい、あんた。大丈夫だったか?」


「………」


 ふぅ、出発してからずっとこれだ。

 いくら俺が話しかけてもひとっ言も喋らねぇ。

 いやまぁ、御者である俺が乗客にベラベラと話しかけるのもどうかと思うがよ。


 ちらりと客車の格子を覗くと、そこには灰色のフードを被り死んだような目で虚空を見詰める若い女性の姿。


 はぁ……、これだもんな。

 年頃の娘が一体どんな目に遇ったらこんな目をするんだって話だ。

 赤の他人とは言え、若い娘のあんな顔見ちまうと慰めたくなるのが男ってもんだ。


 無表情の所為で多少大人びて見えるが恐らく年の頃は十七、八と言ったところか。

 俺より二、三は下なのは間違いないだろう。


 その恰好は上等とは言えない灰色のローブに身を纏い、フードを目深に被っている。

 ローブの隙間から見える服も質素な無地のドレスだ。

 王都に住む市民達の方がもっと良い身なりをしてるってもんだぜ。

 しかし、フードから垣間見れるその顔はそんな身形に対する感想を吹き飛ばすには十分な威力を秘めている。

 何かに絶望し虚空を見詰めるなんて酷い表情だが、綺麗な黒髪に美しく整ったその顔立ちからは、およそ平民には醸し出せない高貴な雰囲気を纏っていた。


 最初に見た時は思わず息を飲んじまったぜ。

 面倒臭い任務を押し付けられた事に愚痴を零していたが、ちっとばかし隊長に感謝の言葉を述べたくなったね。


 これだけの美人さんだ。

 どこの誰かは知らねぇが貴族のご令嬢で間違い無ぇだろ。

 まぁ安物とは言え一応王国管理のこの馬車を使うってんだから平民な訳はねぇんだがよ。

 けど貴族令嬢ってんなら、なんだって飾り気の無い身窄らしい格好のまま護衛も付けねぇで俺みてぇな下級兵士一人が御する安物の馬車で移動するのかね?


 出発の際も家族どころか知り合い一人として見送りがいなかった。

 例え見栄ばかりの貧乏男爵だったとしても、これだけ器量の良いお嬢ちゃんならもう少しまともな用意をすると思うんだが……。


 王侯貴族界隈の世情にはとんと興味も無いが、なんか悪さして勘当でもさせられたのかもしれねぇな。

 なんたってそもそもこれは楽しい旅なんかじゃねぇ。

 噂に名高い修道院までの護送任務なんだからよ。

 しかも、噂と言ってもそれは良い噂じゃねぇ。

 修道院と言えば多少聞こえは良いが、実際には素行の悪い貴族令嬢を更正させる為の矯正施設って話だ。


 だが、それにしてもよ。

 一応お貴族様なんだからそれなりの身支度で向かっても良い筈なんだがな。

 いくら山向こうに在る馬車で半日ちょっとの行程とは言え、手荷物一つ持ってねぇし下級兵士一人だけの型落ち馬車での護送なんて、こいつの両親はよく許したもんだ。


 そりゃ先日この付近の森を根城としていた山賊団が討伐されたから今は安全だって話だが、それにしても護送任務に慣れてねぇ俺を名指しで選ぶなんて隊長の奴は何考えてんだ?

 男女二人切り、間違え有ったらどうすんだって話だぜ。


 いや、まぁ手なんか出せねぇけどよ。

 いくら素行が悪いっても相手は貴族令嬢だ。

 何かあったら兵士隊をクビってだけじゃなく、物理的に俺の首が飛んじまう。


 こりゃあれだ、多分嫌がらせだな。

 少しでも問題が有ったらそれを理由に俺を解雇するつもりなんだろう。

 ちっ、本当に嫌われたもんだぜ。


 とは言え、この出会いは何かの縁。

 短い間だがこの死んだような顔をしているお嬢ちゃんが少しでも笑顔になってくれれば幸いだ。


 と、そんな身の程知らずなおせっかい心が湧いて来た俺は、さっきの様に何度無視されようが客車の貴族令嬢に話しかけ続けていた。


「知っているか? なんでもこの近くにゃ珍しい鹿が生息しててよ。なかなか姿を見せねぇらしいがとんでもなく美味いんだとよ。一度食ってみてぇなぁ」


「…………」


 う~ん、お貴族様にゃつまんねぇ話だったか?

 いや、そもそも身分関係無く若い娘が興味を持つ話じゃねぇか。

 さっきまで話していた貧乏長屋のご近所話よりかはマシだと思うんだがよ。

 はぁ、慣れない事なんてするもんじゃねぇな。

 今まで女なんてとんと接点無かったもんだから何喋っていいか分かんねぇや。


「この前、街の北にある川ででっかいマスを釣ったんだ。季節も良いし油が乗っててとても美味かったぜ」


「…………」


 ダメだ。

 楽しい事を喋ろうと思うと、頭の中に食べ物の話題しか降りて来ねぇ。

 自分の語彙の無さに呆れちまうぜ。

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