第2話 船幽霊
わはは、わはは、わは、わは、わはは。
はいはい、確かにそんなこともありましたな。
はい、確かにそうです。高田の馬場の妖怪退治屋、通り名で高田の馬場のもんも爺とは、何を隠そう、このわしのことですわい。はいはい。ええ、そうですなあ。だいたい、明治の御代からわしはこの商売をやらせて貰っていますわい。
え? 今年で何歳かですと?
さあ、わしもちいとばかし長生きし過ぎましてな、実を言えば詳しい歳はとうの昔に判らんようになってしもうておるのですわ。おお、そうですわ。たしか平清盛とか言う洟垂れ小僧が都で権勢を振るっておったのを覚えておりますわ。
何、なんですと。
馬鹿にするなと。これはまた異なことを。はて、何故に怒りますじゃ。
それではあまりにも古すぎるとな。ははあ、もう五百年も昔のことになる。わはははは、そりゃ確かにちと古すぎますわいなあ。わはははは。はいはい、それはもお、このわしにも若い頃がありましたわい。いつごろからですかのう。自分の歳も忘れるようになったのは。ええ、ええ、それはもう。自分の歳は忘れても自分のやった仕事は忘れませんわい。
そうですのう。このわしのような者の話で良ければいくらでも。とは言うても、随分たくさん退治しましたでのう。さて、どれから話しましょうかいのう。
ええ、それはもう、幽霊や妖怪を退治するのに神や仏の力などは要りはしませんわい。いやいや、要らないと言えば語弊がありますわな。正直に言いましてな、偉い坊主の法力など、屁の突っ張りほどにも化け物退治の役には立ちませんわい。大きく開けた口いっぱいに涎を垂らしながら、かあっと牙を見せた妖怪を前に、念仏など幾ら唱えてみた所でどうなるものでもないですわいなあ。かと言って力づくでどうこうしようにも、わしのような老い耄れがどれだけの腕力を揮えるわけでもないですわ。まあ、この職業をやっておる者の中には、力だけで窮地を切り抜ける者も時々おりますが、それだけで長くは続くものではありませんわな。はい。
そうなりますと、力では駄目、法力ではなおさら駄目と言う事になりますわい。化け物退治に本当に必要なのは、そうですのう。相手の意表を突く行動が一番ですわい。一方では相手の出方を受けて、その実もう一方では相手の弱い所を突くのですわ。
それについては今、古い話を一つ思い出しましたので、これをお話しますかいのう。
それはわしが向島に船幽霊を退治に行ったときのことですじゃ。
船幽霊。御存知ですな?
海の上に出る幽霊で、現れると「柄杓を貸せ」なんぞと申す奴ですわい。で、その言葉に乗せられて迂濶にも柄杓を貸すと、海の水を汲んでざんばざんばと船に入れますので、船がたちまち沈むと言うあれですわい。あんたさんも聞いたことがありましょうが。それが、そうですなあ、昭和の御代も半ばに入った頃に向島の辺りの海に出ましてな、大騒ぎになりましたわい。
まあ、最初は夜遅くまでイカ釣り漁に出ていた船が、見た見たと騒ぐ漁師を乗せて港に駆け込んで来たのから始まりましてな、始めは船乗りの笑い話で語られていたのが、いつの間にやら、実はわしも見た、俺も見たとの騒ぎに膨れ上がりましてなあ。止せば良いのに、度胸自慢の若い者達がそれなら俺達が正体見てくれると出かけたのが運の尽き。たちまちに船を沈められて、次の日には海岸に打ち上げられる始末。まあ、乗っておった若い者の内、半分は板切れに掴まって流されておる所を、探しに出た他の船に救われましたが、もう半分はほんに気の毒な事になってしまいましてなあ。
この沈んだ船の若者達と言うのが、わざわざ柄杓を何本も積んで出かけた上に、船幽霊が出た所で逃げ出せば良いものを、度胸を見せるつもりでしょうなあ、震える手で気丈にも幽霊に柄杓を渡したのだからたまらない。これはもうあっと言う間の出来事だと聞きましたわい。
はあ、はあ、柄杓の底を抜かなかったのかと?
それが抜かずに渡したのですじゃい。若者というのは無茶をする。いや、柄杓の底を抜くこと自体は知っておったと思うのですが、底を抜いた柄杓など用意しようものなら仲間に臆病者と笑われると考えたのでしょうなあ。そして船幽霊が出てしまうと驚きのあまりに柄杓の底を抜くことを忘れたのでしょう。
まあ威勢の良いことを言ってはおっても若さというのはそういうものですじゃい。
それでな、船を一隻沈めたのに気を良くした幽霊達が、今度は霧が出ている日には白昼堂々と出てくるようになりましてな。まあ、そういうわけでさしもの気丈な漁師達も恐くて海に出て行けなくなる次第となりましてな。このままではおまんまの食い上げと困った末に、網元の所の隠居が知恵を出して、こうしてわしの出番になった、とこういう訳ですわい。
はい。流石のわしも船幽霊を退治するのはこれが初めての事でしたわい。しかし明治の御代が終わって以来、どう致しましたのか、とんと化け物というものが出なくなりおりましてなあ。好ききらいは言えぬ様ですからのう。二つ返事で引き受けましたのですわい。
はいはい、それで、わしはな、小さな船を一隻借りると、船幽霊の出るという海へ様子を見に出かけましたわい。勿論、陸育ちのわしに船など操れるわけがありませんわいな。蒼い顔して震えている案内の者を一人無理に連れ出しましてな、夜の海へと漕ぎ出したのですわい。なんでも籤引きに負けたとかで、最後まで泣き言を言うておりましたなあ。わははは。
それはわしでも恐い。しかし恐いと言って引っ込んでいたのでは、食うていけませんでなあ。何分これがわしの仕事ですからのう。それに昔ながらの掟に従っているような化け物達は実はそれほど危なくは無いものなのですわ。頭にかあっと血が登った今時の若者などに比べたら、それはそれは可愛いものですわい。わはははは。
で、わしが夜空の下で波に揺られながらゆっくりとタバコを吹かしていますとですな、覿面に現れましたわい。船幽霊が。
ほれ、ほれ、またそんな顔をする。わざわざ、こんな老人の所へ物好きにも話を聞きに来たのに、いざ話を聞く段となるとすぐ、この嘘付きがというような顔をする。
なに、あんたさんは今まで幽霊も妖怪も見たことがない?
そりゃ当然ですわい。幽霊や妖怪というものはどこでも見ることができると言うものではありませんわ。然るべき時、然るべき場所に行かなくては、見るどころか気配を感じることさえできないのが道理ですわい。
なに、まだお判りになれない。困ったもんじゃのう。
たとえばマムシを考えて見なされ。マムシ。ほら、あの毒を持った鎌首もたげて草むらから出て来る、あれですわい。日本全国津々浦々、マムシの出ない山などありませんわいなあ。探して見るまでもなく、どこの山にもそれはもう驚くほど沢山いますわい。こうして山の奥深い所に潜り込みましてですなあ、両手を口に当てて、ほおいほい、などと叫びますとですな、これはもう驚くばかりの数のマムシが寄って来ますわいな。
さて、都会に住んどる人々の内、どれだけの者が生きた本物のマムシを見たことがありますかいのう。一生涯マムシに噛まれたことはおろか、見たことも無いと言う者がおることでしょう。せいぜいが酒瓶の中に漬けられたマムシを見るぐらい。
お判りなさるかいな。マムシを見たければ、マムシの棲んでいる山の中へ行かねばならんものですわ。ましてや妖怪や幽霊と来たら、マムシよりぐんと数が少ない。となれば、まず普通の生活しとる者には見れる道理では無いのですわい。
ええと、どこまで話しましたかいのう。そうそう、船幽霊が出たところでしたな。
いきなり星が隠れたと思いましたらな、これが霧なのですわい。どこから湧いたのやらたちまちにして霧が辺りを包むと、不思議に風の音も波の音もぱったりと消えて、その中で小舟の櫂を漕ぐ音だけが、ぎいいぎいいと聞こえて来ましてな。これがお定まりの出方とこういうわけですわい。
それでわしがタバコを吹かしながら見とる前でですのう、霧の中から青白い陰火と共に出てきました小さな船がですの、水面をこう、すううっと、波一つ立てるでは無く近付いて来ると、中に五人ほどの幽霊が乗っているのが判りましたわい。櫂を漕ぐ音がする割には乗っておる幽霊の中の誰一人として櫂を漕ぐわけでも無いのを見て、少しばかりわしは腹を立てましたのじゃ。
それはの、確かに船幽霊の一人が船の艫でえっちらおっちら櫂を漕いでいたのでは流石に見栄えが悪いというのはわしにも判る。しかしそれならば元々、櫂の音などさせねば良いのじゃ。こういう道理を弁えぬ行為はいつもわしの心を酷く傷つけますのじゃ。まあ、あまり口うるさくは言いますまい。幽霊にも幽霊の事情と言うものがありますからのう。
それで、これらがこれからどうするのか、わしはこれからどうなるのかと、胸をわくわくさせて見ておると、これも船幽霊の決り通りに「柄杓をくれ」と声を揃えていいますのじゃ。そこで、わしが用意しておいた柄杓を渡しますとな、この柄杓で一生懸命に海の水を汲んでわしの船の中に注ぎ込む。ええ、そう、五人ほどでな。そりゃあんた、渡した柄杓は一つだけじゃったが、あれは柄杓を渡すと、なんと言うか、増やすことができるのですわい。一本の柄杓が幽霊の手から手へと渡る内に、たちまちにして数千本としかいいようがない数になるのは、見ていても肝が冷えるものですわい。
ええ、そりゃ、出てきた幽霊は五人ほどですわい。中の一人はやけに亡者にしては顔色が良かったですからのう。わしが思うにあれは溺れ死んだ漁師の若者の内の一人じゃろう。船幽霊を始めたばかり、ということですわい。柄杓を持つ何千という手は、どれも海の中から伸びておるのですわ。細い亡者の腕だけが、こう、底知れぬ海の底の闇の中から伸びておるのですわい。
これでもし柄杓の底を抜いていなかったらと思うと、流石にこういうことには慣れたわしでも冷汗をかきましたわい。それでも数え切れないほどの底の抜けた柄杓から垂れるしずくだけで、船の底には水が溜りましての、わしは必死で水をかい出しましたわい。そうこうしている内に朝が来ますとな、朝日を浴びてすうっと奴等は消えましてな、後には海の上に底の抜けた柄杓が一本浮いていましたわい。
あまりの光景にか腰が抜けおった案内役を引きずるようにして、わしはひとまず港に戻ったのですわ。
なんと申しましても、わしが請け負いましたのは船幽霊退治ですわい。これで済んだわけでないのはよう判っておりましたでな、わしはちょいとした道具を仕入れて次の晩にまた出かけましたわい。勝手も少しは判りましたので今度は一人で行きましたのですじゃ。船は流石にちょっとばかり大きめのを都合して貰いましたがな、こう見えても子供の頃は神童と呼ばれたわしですわい。それほど困ることなく船を操れましたわい。
何、ついて来いと言ったところで、誰が付いて来ますかいな。昨晩、わしと一緒に出かけた男は高熱を出して寝込んだきり、まだ床の中でうなっておる次第でしたでなあ。
まあ、そんなわけで、慣れない手つきで船を動かすと、わしは前の晩と同じところでまたタバコに火をつけて待ちましたわい。そうこうしておると、これも申し合わせたように前日と同じように霧が湧いたと思ったら、青白い陰火が幾つも出て来ましてな、その中をやってきた船幽霊が決まり通りに、「柄杓をくれ」と申しますのじゃ。
そこでわしは、今度は底のちゃあんとある柄杓を渡しましたのじゃ。
そのときの奴らのうれしそうな顔と来たら。よっぽど長い間、底の抜けた柄杓ばかり渡されて来たのじゃろうて。それはそれは実にうれしそうでしてなあ。まだ無垢な子供が大好物のお菓子を貰った時に見せる、あの表情ですわ。魂の底から感激したときには人も幽霊も似たような顔を見せるものですわい。
その顔を見てますとなあ、なんだかこれからやることが悪いことのように思えてきましてなあ。そのときは、どうせわしは女房も子供もいない身、今まで驚くばかりの長生きをしてきたものだし、大人しくこのまま溺れ死んでやろうかと・・。
まあ、そこで友人に貸した金のことを思い出さなければ、そのまま海の底へ沈められて死んでいたかも知れませんなあ。元はといえばこんな仕事を引き受ける羽目になったのも、その友人のお蔭でしてなあ。なに、人が生きる死ぬなんて理由はそんなたわいもないことが多いのですわい。まだ、あんたは若いからよく判らんとは思いますがのう。
それにまあ、よくよく考えて見れば、わしがこの仕事に呼ばれるきっかけとなったのは、この幽霊達に若い漁師達が溺れさせられたためとなれば、このうれしそうな顔は久々に底のある柄杓を握ったからでは無くて、短い間に鴨の二匹目がやって来たためと考えるのが道理。
わしは人にお人好しと良く言われるが、だからと言って人の食い物にされるのはうれしくありませんのじゃ。そういうときには徹底的に・・。
ああ、どこまで話ましたかいのう。そうそう、柄杓を渡したところでしたのう。
それでまた、例によって何千本という柄杓がのう、ざんばざんばと楽しくなるような景気の良い音を立てて海の水をわしの船に汲み始めましたで、たちまちにして船がぐうっと沈む。今の今まで磐石の重みで、というのは船を表すにはおかしな言葉じゃが、しっかりと浮かんでいた船が見る見る内に沈んで行くのはこれはもう肝が冷えるものですわいなあ。
そこで慌ててわしは借りて来た道具を使いましたじゃ。ああ、そんなに高級な道具じゃございません。ガソリンエンジンポンプと言うやつですわい。ちゃあんと濡れないように防水にしたものでしてのう。それはそれは見物でしたわい。船幽霊達が柄杓で海水を、ざんばざんばと入れる。ポンプがどこどこと音を立てて、その海水をたちまちに海に戻す。
ざんばざんばざばざんば、ごんぼごぼごぼごんぼごぼ、ざんばざば、ごぼごぼぼ、ざんばざばざばごぼごんぼ、ですわい。もうこれが踊り出したくなるぐらい景気の良い音でしてなあ。
ここで幽霊達がポンプを止めてしまえば確かに船は沈むのじゃが、柄杓なんぞを使うとこを見ても判ろうが、船幽霊は古い時代の幽霊でしてな、ポンプが何をしているのか理解できませんのじゃ。流石に成り立ての船幽霊の一人、若い奴はポンプに気付いて何か言いたそうに指を指しましたがなあ。他の古株の幽霊達が沽券に関わるのかこれの言うことを聞きませんのじゃ。わしもこの時ばかりはひやりとしましたがのう。わははは。
いやいや、よしんばポンプを止めることを思い付いたとしても、実はこの手の幽霊は決められた行動以外は許されておりませんのじゃ。船幽霊に許されておるのは貰った柄杓で水を汲み入れることだけ。それだけなのですじゃ。そうでなければポンプを使っておったのはわしでは無く幽霊の側でしたろうなあ。
まあ、端で見てるには船幽霊とポンプの戦いは面白い見世物でしたわな。一つ残念なのは海水のしぶきでタバコが吸えんことですわいなあ。ポンプが相手ではいくら頑張っても船を沈めることなどできはしないが、かたや船幽霊にも意地というものがありましての、それでも奇跡が起って船が沈まんかと朝まで頑張ってはいたが、とうとう終いには諦めて朝日とともに消えて行きましたわい。
そうですなあ、その後、全部で三晩ほど続けましたかいなあ。次の晩にもやっぱり同じ様に出ましたが、今度は柄杓の数はせいぜいが数百本と言うところに減っていましたわい。
ええ、ええ、そうですわい。柄杓で海水を汲むのにも力が入りましての。それは当然、底の抜けた柄杓を振るのとは大違いですわい。水を汲むための力というものは、船幽霊を成り立たせている霊力そのものを使っておるわけですからのう。前の晩の水汲みで、船幽霊は持てる力の大半を使ってしまっておりましたのですじゃ。かと言ってこのまま獲物を見逃したのではこれも船幽霊の沽券に関る。その晩も夜の間中ずうっと、船幽霊達は重い柄杓で海水を汲んでおりましたわい。
おお、言いませんでしたかいのう。柄杓と言っても鉛入りの特製の柄杓ですわい。
その次の晩は柄杓はせいぜいが数十本にしか増えませんでしたわい。まあ、最後の晩に柄杓を渡したときは流石に船幽霊もうれしそうな顔はしませんでしたわい。貰った柄杓の底が本当は抜けているんじゃないかと、じいっと柄杓を見つめていましたわい。
まあ、船幽霊になりたての若い漁師の幽霊が一番最後まで頑張っておりましたが、それもだんだん薄れて行って、周りでうごめいていた陰火も消えると、これがお日様の照る朝なのですわいのう。
まあ、そういうわけで、力を使い果たした船幽霊はそれ以来ぱったりと出なくなりましたわい。
実はの、それから三十年も経った頃、長い時間をかけて失った妖力を取り戻したらしく、一度だけ船幽霊が復活したことがあるのですわい。
ところがその頃から近くの航路を通るようになったのですじゃい。
大型タンカーが。
さしもの船幽霊もな、タンカー相手に出てしもうては、これはいけない。柄杓を手に海水を汲み入れたものの、タンカーに取っては小雨が降った程度にしか過ぎん。朝まで頑張りはしたもののどうにもできずに、ついにそれきり船幽霊は出なくなりましたわい。
自分がすでに恐れられる存在ではなくなったことを痛感したのじゃろう。
時代の流れとは言え、惨いことじゃのう。
わははは、わはは、わはわはわはは。はい、またおいでなされ。
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