1.ゴヤ村の惨劇 (2)

 ※


 ガンガンガンガン!!……


 荒野のオアシスとも言うべき、小さな森。

 その傍らに拓かれた、のどかなはずの村の夜の静寂を、早鐘のが斬り裂く。


「来たー!」

「奴が来たぞーっ!」


 見張りの声が、村人たちを、見ることもできぬ夢の世界から引き戻す。


「女、子供は森に隠れろー!」

「戦える者は武器を取れー!」

「援軍に知らせるんだーッ!」


 無論、その必要はなかった。すでに村の側方に展開していたクーパス地方の合同軍八千は、ゴヤの村をかばうように前進していた。

 その前方、軍勢が対向する南の地平線。深青と黒の境界に、ついにその者は顕現した。


「あ、あれが!……」


 誰もがそう思った。

 比喩ではなく、本当にひとり残らず、全ての者が。浮かび上がったその姿を視覚で認識し、思考で理解を拒否した。あまりに非現実的な光景。


 大軍勢に対峙せんとするのは、ひとり。たったひとりの少女。


 腰まで届く漆黒の髪。見れば歳はまだ十一、二か。あどけない姿の少女は、その長い髪をなびかせながら、射抜くような冷たい視線で軍勢を一望する。右手には、身長を超えるはがねのロッド。防具の類は、いっさい身に着けていない。右手首の銀の腕輪を除けば、薄汚れた褐色のローブが、唯一『防具』と呼べるものだ。


「あんな子供が……『悪の大魔導士』?」

「女の子じゃないか!」

「ウソだろ?」

「信じられん……」


 口々に疑問を唱える兵たち。

 そんな疑念を、長の怒声が撫で伏せる。


「惑わされるな!見た目は子供でも中身はバケモノだ!撃てーーーっ!」


 作戦は決まっていた。号令とともに、数百もの凶暴な矢尻が放たれた。それらは黒い虹の放物線を描き、一斉に少女に襲い掛かった。


「ふん!」

 少女が右手のロッドを一閃させる。幼い体を貫くはずの矢は、全て鈍った冬の蝿のごとく叩き落される。そんなことが二度、三度。

「てーーっ!てーーーっ!」

 第二射、第三射……絶え間ない射撃にも、少女は全く怯まない。相手が普通の人間なら、ゆうに三千は殺傷させていただろう。だがそんな秩序立った攻撃も、少女の周りに矢のむしろを築いたにすぎなかった。

 つぶてが止んだ。少女は全くの無傷だった。


「小賢しい……」


 低い呪いの言葉を少女が吐く。

 カララン……最後の一本が少女の足元に転がると、戦場――八千対一の対決を『戦争』と呼ぶなら――に再び静寂が流れた。


 その静寂しじまを、ギシッ、ギシツと男は踏みしめ進み出た。あの、戦士だ。


「お前の暴虐もこれまでだ!」


 荒野に響く、朗々とした声量。忌々しそうにその圧を受け捨て、少女は睨んだ。男は進む歩を止めず、腰の物を抜いた。重々しい輝きを放つ幅広剣ブロードソード。構える気配はない。右腕に握り、視線を少女に置いたまま距離を詰める。少女も一歩、二歩、地の矢を踏み折りながら前進する。


「私と戦うのに、そんな防具でいいのかしら?」

 少女があざける。確かに男は上半身こそ鎧で覆っているが、手足はむき出し。盾もなく、兜もかぶっていない。だが男はひるまない。

「どうせ妖かしの術を使うのであろう。防具など不要」

「あなたひとり相手に『力』を使うつもりはないわ」

 ガシッ、音を立てて、少女がロッドを地に突き立てる。

 それを合図に、二人は足を止めた。その間を、夜風が一陣。少女の髪が煽られ、闇の中、おぞましい生き物のようにうねうねと泳ぐ。戦士は、月明かりを受けた青白い顔で少女を凝視する。

「ミヤコン村のことは覚えているか?」

「さあ……」

 口をすぼめてとぼける少女。

「あなたに似たような男はいたかもしれないけど……目の前で妻子を殺されながら背を向けて逃げ出すような奴は多いから、いちいち覚えてないわ」

「ぐっ!……」

 ギリリ……歯ぎしりの音が、後方の軍勢まで届く。男の屈強な体が、見えるほど怒りに震えている。

「復讐なら受けて立つわよ」

 ロッドを握る右手に力がこもる。握る位置には、滑り止めの皮。その上下をつなぐベルトをたすきにして、少女はロッドを背に担いだ。これで両手は自由だ。彼女は上体をわずかにひねり、空いた右手で左の腰から剣を抜いた。シャラッ……切っ先が薄闇の中、半弧を描く。


「おおお……」

 軍勢からため息が漏れた。

 刃身は真っ直ぐ。まるで滴り落ちる水の一滴ように。その細身の剣は、一般的に言えば長剣と呼ぶほど長くはない。だが少女の小さな体に比すれば、十分に『長剣』と呼べるものだった。


「あれが……」

 嘆息の声に、おさが答える。

「そうだ。名匠グスタフ=カッシニ最後にして最高の傑作、『スティグナ=ディ=アクエリア』だ」

 『彼の前に彼なく、彼の後に彼なし』と謳われた名刀匠、グスタフ=カッシニの最高傑作。本来ならば全ての剣士の憧憬の的となるはずだった業物わざものは、少女によってその名を汚され、妖剣と恐れられることとなった。

 彼女はそれを、体の正面で中段に構えた。反射した月の光が、動きに合わせて手元から切っ先に走った。少女はひとりだったが、呪われた剣を構えたその姿は、頭上に架かる狂気じみた色の月と、目に見えぬ幾千幾万もの暗黒の軍勢を率いているようだった。


「私に刃向かうとは、愚かな」

 少女のあざけりに、男は確固たる声で応える。

「今の私は、一年前の私ではない」

「私の邪魔をやめなさい。さもないと、頭と体が泣き別れることになるわよ」

「おもしろい」

 両者の距離は十ルーテ。剣と剣を交える全ての準備と儀式が整った距離だ。少女が柄をゆるりと腹の方へ引いた。突きの姿勢だ。反対に、男は両手剣を振りかぶった。


「うおおおおおおおおおおおおッ!!」


 雄叫びと共に大地を蹴立て、男は一気に間合いを詰める。少女の切っ先は、その男の喉を一直線に狙っている。後方に控える誰もが思った。あれだけ大きく振りかぶっては少女の思う壺だ。だがその瞬間、少女の左手が柄から離れた。

「ウワアアアアアアアアアッ!」

 幼い外見からは意外なほど低い声を絞り出し、少女が右腕だけで剣を後方に振った。刀身は彼女の頭の後ろ。突きの動作は偽装フェイントだった。白刃は地面に平行な円盤を描き、男の頸をまさに両断せんと横から狙う。


 ガキィィィィン!


「おおおっ!!」

 後方で声が上がった。

 少女の振りかざした刃身は、男の両手剣により、彼の耳のすぐそばで受け止められていた。彼は上段の剣を振り下ろさず、そのまま手首をひねり、剣先を下に向けた状態で少女の一撃を受け止めたのだ。

「くっ……」

 太刀の衝撃に男は歯を食いしばった。

 それもそのはず。少女の剣は無傷のまま、その幅の半分ほども男の剣に食い込んでいたのだ。押された幅広剣は男の頬に押し付けられ、鉛直に血の筋を作った。

 軍勢にざわめきが起った。


「なんて剣だ……」

「あれは、全ナローカー鋼造りの剣だ」

「ナローカー鋼だけで剣を鍛えるなんて狂ってる」

「いやそれ以前になんて怪力なんだ!片手で鋼の両手剣をこぼすなんて!」


 鎧からむき出た丸太のような腕は、隆々とした筋肉の一本一本まで筋立っている。少女の凶刃を受け止めるのにどれほどの力を要したか、容易に想像できる。もしその腕力がなければ、剣をこぼす代わりに自ら顔面を削ぎ取っていたことだろう。

 耳元で起った強烈な金属音に奪われた聴覚が、頬に走る痛みと共に男に戻る。もっとも少女にとっても渾身の一撃だったらしい。はぁはぁという息遣いが、痺れの残る鼓膜に届く。肩が上下している。右腕を突き出したまま、少女は男を見上げた。


「……なかなかやるわね。この角度じゃ力が入らなかった。私の身長がもう少し高ければ、剣ごと首を刎ねてやったのに」

「お前がその言葉どおりに首を狙ってくるのは読めていたぞ」

 ふん、おもしろくない……そう言わんがごとく口を尖らせた少女。だがその表情は、すぐに憎しみと闘志のそれに戻った。

「それがどうした!」

 ドカッ。

「ウグッ!」

 少女が爪先で男の内股を蹴り上げた。短く呻いた男が前屈みになった。

「くたばれっ!」

 呪いの言葉と共に少女は右腕を引いた。男の剣から離れた刃先が、一気に正面に突き出される。

「グエッ!……」

 細身の剣は、何の抵抗もなく、いともたやすく男の胴の真ん中を刺し貫いた。背中に突き出た切っ先が月光を反射した。鮮血が刃にまとわりながら、自らの宿っていた体に滴り戻る。少女の腕力と妖剣の前には、赤銅あかがねの一枚板を打った胴も紙同然だった。身体を貫かれる感覚と共に、男は自らの四肢がその機能を停止していくのを感じた。

 そして少女も思った。


 ……


 幾千もの味方を背に一騎打ちに臨むには隙だらけ。防具も中途半端だ。血が沸き立つような歯応えある闘いデュエルなど、こんな相手では望みようもない。

 勝利を確信した少女が顔を上げる。夜陰に漂う青白い光に照らされた男の表情が覗える。刹那、敗者へのさげすみにわずかなが入った。苦悶に見開いた男の眼。痙攣するまぶた。瞬きすらもはやあたわぬ双眸に、どこか安堵のようなものが浮かんでいたのだ。


 少女は悟った―――この男は死にに来たのだ、と。


 愛する者を奪われ、憎しみの炎に身を焦がしても、仇討ちできる可能性など百万にひとつもない。強大な力の前に、あまりに矮小な自己。それを狂おしいばかりに認識した上で、それでも自らの行動をとどめ置くことができなかった。ただ挑み、敗れ去り、そうすることでしか背負った憤怒を降ろすことができなかったのだ。


 そしてそのみじめな男の命も、間もなく潰えようとしていた。『やるだけやった』、そんな敗者の常套句を現世の置き土産に、自らを突き動かしていた如何ともしがたい衝動も霧消した。冥土の入口で心もとなく揺れる、残りわずかな蝋燭の炎のような意識が、もはや振り返ることもできぬ背後の者たちに最後の望みを託す。


(時間は稼いだ。第二波攻撃の準備はできたか……)


 はっ……

 戦士の敗北に凍り付いていた長が我に返った。彼は剣を振り上げた。

「射手隊、一斉射、てーーーっ!!」

 一騎打ちのうちに矢の供給を受けた射手たちが、再び礫を少女に浴びせる。少女は男の体を串刺しにしたまま、その広い肩幅の体を盾にした。ガンガンガンガン……鎧が矢を弾く音の中に、ズムズムと嫌な音が混じる。いくらかの矢は、むき出しの頭部や手足を貫いているのだろう。矢の雨は続いた。しかし物言わぬ男の体に守られた少女には、ただの一本も届かなかった。


「……………」

 攻撃が止んだ。

 少女は戦士の腹を蹴り、剣を引き抜いた。男の体が背中から地面に倒れた。背や後頭部に突き立った幾本かの矢が、思い思いの方向にグニャリと折れた。二度、三度、少女は剣を振って血を切った。そして鞘に収めた。残忍な刃物の役目はここまでだ。少女は背負っていたロッドを抜いた。そして相対あいたいする軍勢を睨めつけた。六百人の射手は、矢を射尽くしていた。遠隔攻撃の手立てを失い、木偶の林となった軍勢に、少女は音吐朗々と告げた。


「降伏しろ!領主マクベスにひざまずき、その命に従え!」

「くっ……」


 長は、自らの意思が揺らぐのを覚えた。敗北の予感すらあった。

 だが、ここで膝を屈するわけにはいかなかった。クーパス地方十万の民を思うと、服従も背走もあり得なかった。彼に従う他の者も同じだった。彼らは盾を掲げ、剣を、あるいは斧、槍、棍棒、鎌、くわ、めいめいが調達できる武器を構えた。長は傍らの馬に跨った。そして再び剣を掲げた。


「突撃ーーーッ、踏み潰せーーーーっ!!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 鯨波を上げ押し寄せる軍勢。

 地鳴りのような轟音と、月を曇らす砂塵と共に、地平いっぱいに広がる私兵たちの姿が次第に大きくなる。

 その像をまなこに映しながら、少女にたじろぐ様子はなかった。


(愚かな……)


 あざけるように目を閉じ、少女は肺の息を吐き出した。そして右手の腕輪を外した。ロッドを構え直し、百ルーテほどに迫った群衆を睨めつける。海嘯かいしょうのごとく押し寄せる軍勢。

 その大軍を前に……

 青白い月光に抗う少女の桜色の唇が、みなぎる魔性の力を押さえつけるような口調で詠唱を開始した。


「ンガ スベア イム デクストラ アムト……」

「ううっ!」


 馬上の長はそれを見た。

 黒い布の巻かれた少女の右腕から、白いもやが浮かび上がるのを。その靄はゆらゆらと揺らめきながら、人魂のように尾を曳く無数の塊となってゆく。


「なんだ!?あれは?」

「魔法か!?」

「本当に魔術師なのか!?」


 右腕を突き出し、少女はロッドを迫り来る軍団の先頭に向ける。


「サント ベロア エンシール デライブ アントゥンガ……」


 詠唱の声が、次第に強く大きくなってゆく。それに伴い、白く揺らめく塊も、その輪郭を具現化させる。


「か、顔!?」


 ロッドを握る右腕を少女が引いた。そしてそれを頭上に掲げた。その動作は、惨劇の到来を告げる合図だった。鋼の先端が月光を翻した。


「ノーモーボルシュトローヌト……」

「うわあああああああああああああっ!!」


    

    その時、八千の兵は見た。

    それはさながら、死霊の舞い。


    そして呪文は完結した。

    呪わしき契約に従い、

     魔性の者たちをび出す言葉ワード

    それは……



       コ ム ト……!




      (第1話に続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る