因果の信託1

『よくぞ上級魔族を討伐してくれました、人の子よ。あなたの活躍はいつも見ていますよ』

「「何者じゃ(です)!」」


 ゲートを抜けた先で突如頭の中に響いた女の声に、二人は考えるよりも先に防御術を構築し始める。それは常に想定外の攻撃を想定し続けてきた結果の行動だった。

 一秒にも満たない思考の時間が勝敗を分ける世界に生きてきたシリウスにとって、防護術の術式を構築することは反射の域に達していた。もとより、転移門ゲートの飛び先を読んで待ち伏せするなど定石中の定石。予測できない方が悪い。


不可視不可変の絶対障壁キープアウト・エリア


 シリウスが行使するのは無詠唱で構築できる中で最高位である第八位階防護術。すでに最適化された手順で足元に不可視の魔術陣を構築し、展開するまで十分の一秒。しかし、構築した陣に魔力を供給しようとした刹那、魔術が暴発した衝撃により普段の尊大な振る舞いからは考えられないような、それでいて「あだっ」と幼い外見相応の弱々しい声を上げて尻もちを搗く。予期せぬ醜態だが、普段は魔術により若干宙に浮いた状態で生活しているため転倒するなどありえなかった。


 そこから導き出される結論は一つ。


「ま……、魔力が使えない!?」


 その事実は、シリウスの表情を驚愕に染めるのに十分すぎた。シリウスは高位の魔術師だが、魔術に長けている分だけ戦闘能力の大部分を魔力に頼っている。当然、魔力が使えなければその力を著しく損なうことになる。

 周囲に遮蔽はなく、考える時間はないと見える。とっさに背後に目を移すも、リリアは周囲の景色を見つめて呆然と立ち尽くしているのみだった。

 打開策を見つけるべく焼ききれんばかりに頭を回転させていると、ふと、再び女の声が響く。


『少し、門の転移先に干渉させていただきました。あらかじめ言っておきますが、ここでは魔力を供給することができません」


「それなら……暗黒騎士召喚サモンダークナイト!!」


 今度は脳内ではなく頭上から聞こえてきた声の方向に振りかぶり、シリウスは懐から取り出した拳大の魔水晶クリスタルを放り投げる。

 封魔の魔水晶。魔王の眷属が封じられた貴重な魔道具だが、ここで使うしかないだろう。シリウスの手から離れた水晶は耳鳴りするほどの破裂音を響かせて内に秘められた魔力を放出する。

 しかし、魔力が切れた時のための切り札は役割を全うすることなく魔力の粒子と化して消失した。


『そう怯えないでください。私はあなたとお話しがしたいだけなのです」


 耳を裂くような炸裂音の後に、行き場を失った粒子の合間から声の正体が姿を現した。陶磁器のような白い肌の上からさらに白い羽衣を纏い、金の頭髪をなびかせたその姿は、聖典の女神を思わせる。今まで女神を騙る存在を何人も見てきたシリウスだったが、そんな彼女が見ても女神以外の形容が思い浮かばなかった。呆然とその場に立ち尽くす二人を見下ろし、穏やかな笑みを浮かべて口を開く。


『ここでは魔道具を含む魔術の行使は禁じられています。聖隷術は……使ってもどうにもならないことはお分かりですよね、かわいらしい神官さん?』

「どういうことじゃ」


 いくら魔術に精通していたところで、神の奇跡だの聖なる力だのという意味の分からない概念は専門外である。武器は武器屋という言葉もあるように、法術や聖隷術の類は神官に聞くのが速いだろう。リリアはいまだに呆然としていたが、シリウスの視線に気づいたのか気を取り直すように首を横に振る。


「シリウス様。あれは精神体です。実体がないため攻撃が効かない代わりに、あちらからも攻撃できないはず。そして、私の力ではこの空間に干渉するのは難しそうです」

「亜空間の一種というわけじゃな。外部から内部に影響を与えることも、その逆も不可能といったところか。それでいて私の力を上回る干渉力とは……」

『少し強引な真似をしてしまったことは謝罪します。普段は夢の中で語り掛けるのですが、あなたの精神に直接干渉するのは少し難しいと判断しました」

「なるほど。それでわざわざ亜空間を作り出すような大掛かりなことをしたわけじゃな」


 術によって作られた空間には術者の力量に応じて独自の法則を付与できる。先ほど上級魔族が作り出した空間には術者以外の力を大幅に弱める効果があったが、この空間の中では誰も攻撃ができないような状況が作り出されたらしい。そして、先ほどから脱出の糸口を探しているものの、この空間には地面もなければ空もなく、壁もなければ綻びもない。ただ乱暴に、無限に広がる空間の概念だけが置かれているようだった。そして、そんな曖昧な条件で術を発動することができることから、術者が膨大な力を持っているということがうかがえた。


「なんにせよ、術が解けるまでは私たちには何もできないようです。ここは話を聞くのが賢明かと」

「……この空間から出る術を見つけたら覚えておくことじゃな」

『ふふ、初対面でこんなに嫌われたのは初めてで新鮮ですね。人間の神官達は私が声をかけるだけで神託を賜ったと恍惚の表情を浮かべるというのに』

「……まさか、地母神?」


 敵意を隠そうともしないシリウスに対して苦笑する女の言葉に、リリアは驚愕の表情を浮かべて目を見開いた。

 神学に精通する彼女が言うのなら間違いないだろう。目の前に佇む女は、多くの国々で信仰されている上位女神ということだ。

 女の口ぶりから天界に住まう神の一人か、あるいはそれに近しい存在だということはシリウスにも想像がついていたが、予想外の大物に出くわしてしまったものだ。魔力が使えない状況ということも相まって、シリウスは百年ぶりの冷や汗を流す。


「そんな変態どもと一緒にするでない。私の自由を奪おうとするのなら神であろうと容赦せんわ」


 しかし、相手が神だからと言って態度を改めるシリウスではない。もともと長い者に巻かれる質でもないうえ、個人的な理由で神の存在に懐疑的だった。


『私の前では一緒ですよ。強者も弱者も、信者も無神論者も。みな等しく愛しています』


 どこまでも好戦的なシリウスに対して、地母神は余裕の表情を浮かべる。魔術の使えない魔術師など一般人と変わりない。神の御前ではなおの事。それは史上最強の一等星冒険者と呼ばれたシリウスですら同じである。


『とはいえ、聖なる力で満たされたこの空間で魔術の構築を成し遂げてしまうとは恐ろしいまでの干渉力ですね。魔力の供給方法を見つけられる前に話を済ませてしまいましょうか』


 女神はそう言って、『魔術は怖いですから』とおどけたように笑みを深めた。

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